10月は2回5バッチの石鹸を作りました。

全て冬虫夏草+甘草を煎じた漢方石鹸ですが、写真撮影が完了していないので、今日は石鹸の歴史を簡単に説明し、写真UPまでの時間稼ぎをします。



石鹸の起源

記録に残る最古の石鹸は、紀元前3000年メソポタミア文明のシュメール人(現イラク)が残した粘土板(タブレット)に楔形文字で記された石鹸製造法です。

当時の石鹸は医薬品として使用されていたようで、洗濯などの石鹸(洗剤)には灰汁(あく)が使用されていました。

本格的に石鹸が製造されるようになったのは、古代ローマ時代。祭壇で動物を焼いたときに落ちた油脂と木の灰(アルカリ)が偶然作り出したものが石鹸でした。この祭壇はSapo丘という場所にあったため、ソープはこのSapoが語源とも言われています。

当時の石鹸は、肌がヒリヒリするといったあまり評判のよくない出来だったようです。ローマの自然科学者プリニーの記述によると、石鹸は、山羊の脂肪とブナの木灰や石灰でできるものが最上の石鹸とされ、さらに食塩を加える事で、より硬い石鹸ができると記録されています。この石鹸は、ガリア人、ゲルマン人が頭髪用の石鹸として使用していたとされます。

8世紀頃には、南ヨーロッパで石鹸業者も登場し、手工業的な石鹸の製造が各地で発達し始めました。

12
世紀頃には、フランス・マルセイユでオリーブオイルとバリラ(海藻灰・植物ソーダ)が原料となる現在の固形石鹸に最も近い石鹸が誕生しました。当時の石鹸は大変高価なもので、裕福な家庭でさえも日用品としては使用できないほど価値の高いものだったそうです。同時に、この頃から、カリ石鹸(軟石けん)からソーダ石鹸(硬石けん)へと移行していきました。

13
世紀には、スペインでカスティーユ石鹸が誕生し、その後、14世紀には、スペインの都市・アリカンテ、カルタゴノバ、マラガ、15世紀には、イタリアの都市・ベニス、サポナ、17世紀には、フランスのマルセーユ、イタリアのサポナ、ジェノバなどがヨーロッパの石鹸製造地として栄えました。

日本に於ける石鹸の歴史

石けんは、ポルトガルからの南蛮船によって鉄砲と共に日本にもたらされました。最

初、石けんは、洗浄用としてではなく、薬用として主に用いられたそうです。

また、手にすることのできたのは将軍や大名などの限られた人たちだけでした。

江戸末期頃までは、石けんのことを「シャボン」と呼んでいました。石田光成の手紙に「シャボン」という言葉が出ています。この「シャボン」という言葉はポルトガル語の(sabao)が語源だそうで、石けんの産地、イタリアの石鹸製造都市サボナに由来すると言われています。


明治に入り、新しく「石鹸」という言葉が出てくるのですが、「シャボン」より「石鹸」の方が今風の言葉として、当時は親しまれていったそうです。以後、石けんは、「石鹸」という言葉と共に、人々にとって、なくてはならないものとなっていきます。

石田三成が博多の豪商、神谷宗湛にあてた礼状には 「志也保牟」(シャボン)とある。


石鹸がはじめて日本に入ってきてからなんと300年あまり経った明治3(187)年頃、ようやく日本でも固形石鹸が作られるようになりました。最初の製造は、京都舎密局(官立化学研究所)で行われました。このときの石鹸は、牛脂とナスの灰汁(あく)を飴状にし、ハマグリの殻を容器にしたもので、とても石鹸とはいいがたい代物でした。


日本で石けんが使われるようになるまで、人々はどうしていたのでしょうか?

灰汁は、アルカリ性で汚れを分解します。そこで、人々は、木やワラ、海草を燃やしてできた灰を水に溶かし上澄み部分を洗剤として利用したそうです。

みかんの皮や小豆、大豆にはサポニンが含まれ、泡立ちがよいことが現在では知られています。みかんの皮は干して粉にしたものを"洗い粉"として頭髪を洗うのに用いられました。 



また、小豆や大豆は、粉にしたものに香料を加え入浴剤として使われていたそうです。

女性の洗顔剤としては、江戸時代から明治時代までうぐいすのフンが用いられたそうです。うぐいすのフンの中には消化酵素が含まれていて、皮ふの表面についた古い角質を溶かす役割を果たしています。

また、大正時代までぬかが、入浴剤や洗顔などに使われていました。

ぬかには酵素と油脂が含まれていて、この酵素が皮ふの老廃物を溶かし、皮ふの汚れを取り除きました。