暴力の歴史とでも言いましょうか、血なまぐさい出来事がこれまでにいっぱいありました。思想は抜きにして、古い時代の事件から並べてみます。

 

荊軻(けいか):中国戦国時代末期の刺客。紀元前227年、秦王・政、のちの始皇帝を暗殺しようとして失敗。「風 蕭々(しょうしょう)として易水寒し。壮士ひとたび去って復(ま)た還らず」は、まるで見てきたような表現です。

ジュリアス・シーザー:共和政ローマ末期の政治家。紀元前44年、ブルータスらによって暗殺された。そのとき「ブル-タス、お前もか」と叫んだとされる。

安康(あんこう)天皇:伯父である大草香皇子を殺して即位したが、即位3年(西暦456年)に、奪った妃の連れ子に暗殺された。(ちょっと複雑で、ワタクシにも相関がよく分かりません)。

西暦645年7月10日、中大兄皇子(天智天皇)は中臣鎌足とともに、皇極天皇の目の前で蘇我入鹿を暗殺、大化の改新につながりました。

一気に飛んで、西暦1219年2月13日、鎌倉幕府3代将軍・源実朝が甥の公暁に暗殺されました。信長暗殺や忠臣蔵、前ロシア皇帝ピョートル3世暗殺、シャルロット・コルデーによるジャン・ポール・マラー暗殺、桜田門外の変、伊藤博文暗殺、サラエヴォ事件、515事件、226事件、ヒトラー暗殺未遂事件、ガンジー暗殺、JFK暗殺、金正男暗殺……。2018年、サウジアラビアのジャーナリスト ジャマル・カショギがトルコのサウジアラビア総領事館で死亡、殺害を命令したのは現サウジアラビア王太子・ムハンマド・ビン・サルマーン。

いやー疲れました。途中から箇条書きにしました。

 

「暴力はイケナイ」と言いますが、

意外なのは、上記事件の暗殺犯の多くが、

一方の勢力からは、英雄(雌)視されていることです。

暴力を防ぐのはもちろん重要ですが、

暴力を使わなくてもよい公平な社会をつくる努力が、もっと大切だと思います。