昨日、田野岡 大和君が発見されましたが、発見されたからといってそれで済む問題ではありません。
一部に道沿いを歩いていたら誰かに発見されていたのではないか、との声も聞かれますが、それは大人の側の意見で子供の立場に立って考えるとどうでしょうか。
確かに道沿いを歩いていれば誰かに発見される可能性は高まりますが、子供の側に立って考えると発見されたら両親に怒られると考えるかもしれませんし、今後両親と一緒に過ごすと何か事あるごとにまた怒られると考えるかもしれません。
なので誰かに見つけて欲しいと道沿いを歩くのか、それとも、1人で逃げようか、そういった事を考え、天秤にかけた時に1人で逃げる事を考えたのだと思います。
こういった結果になったのは親の育て方次第であると考えます。
私は虐待といじめは似ている部分があると思っています。
それは、いじめられている側の人間はいじめだと思っていても、いじめている側の人間は、そうではないと、からかって遊んでいるだけであっていじめてはいないと。
双方の意見が食い違うわけです。
いじめも虐待もやられている弱い立場の人間の側に立って考える必要があると思います。
「貴方は自分の子供に虐待をしていますか?」
こう質問を受けて「虐待をしています」と答える親はいないでしょう。
そういう事なんです、親と子供では、受け取り方が違いますから。
もう、いい加減にしたらどうですか もう止めましょうよ
「しつけ」や「我が家の教育方針」と言って正当化する事を、そして子供の上に立とうとする事を。
強い者の立場で考えないで、弱い者の立場で考えたらいいじゃないですか。
なぜそれができない?
「親は偉いんだ」 「親だから偉いんだ」と思っていおる人がいるかもしれませんが、根拠は何ですか? そんなに偉いんですか?
もう1度しっかりと考える必要があると思います。
もう1度
「生まれてきてくれて有難う」
我が子が生まれたあの時を思い出してみてください。
