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みのお の かっちゃんのブログ

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ヒバクシャの願いが世界を動かした。 ただし、ヒバク国日本は除いて。

 

 

国連本部で採択された核兵器禁止条約。「世界は変えられる」「世界を変えよう」。

 

 

カナダ在住の被爆者、サーロー節子さんの会議場での演説が力強かっただけに、いっそうやりきれない思いがする。

 

 

交渉会議にさえ参加しなかった日本政府の言い分はこうだ。

 

 

「核兵器国と非核兵器国の対立を一層深める。逆効果にもなりかねない」「建設的かつ誠実に参加することは困難だ」

 

 

言い換えれば、米国の核の傘に守られている日本が条約に賛同する「矛盾」を乗り越えられない、ということなのだろう。

 

 

だが、その「矛盾」と、唯一の被爆国である日本が核兵器禁止条約に参加しない「矛盾」は、どちらが大きいのだろうか。

 

 

日本が抱える核の矛盾はこれだけではない。

 

 

思い出したのは、公開されたドキュメンタリー映画「アトムとピース」(新田義貴監督)だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016/06/07 に公開
 

長崎で生まれ育った被爆3世の女性が原子爆弾と原子力発電所について調査するため、長崎から福島、青森、アメリカを巡るドキュメンタリー。福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、唯一の被爆国である日本が原発事故を起こしてしまったことに疑問を持った女性が、青森県の六ヶ所村などを訪ねる姿を追う。監督は、NHKで多くの番組に携り、『歌えマチグヮー』を手掛けた新田義貴。プルトニウムの日本における保有量などの事実に、考えさせられる。

 

 

 

 

「放射能が漏れるって、原爆の時のあの放射能?」。

 

 

長崎の被爆3世で小学校講師の松永瑠衣子さんが、福島第1原発の過酷事故の時に感じた素朴な疑問を胸に、福島の被災地を回る。

 

 

原発と原爆は何が違うのか。

 

 

なぜ日本は原発をやめないのか。 原発から出る使用済み核燃料の再処理により、核兵器の材料となるプルトニウムを日本が大量に所有していることも学んでいく。

 

 

原爆と原発の根っこには同じ「核」がある。

 

 

にもかかわらず、戦後、米国のアイゼンハワー大統領が国連本部の演説で「アトムズ・フォー・ピース(原子力の平和利用)」を打ち出し、両者は別モノと位置づけられた。

 

 

そこには、核兵器保有を正当化する意図があり、だからこそ、日本が原発立地のターゲットとなった。

 

 

日本は原発を受け入れ、原爆とのつながりを忘れがちになった。

 

そこにくさびを打ち込んだのが、福島の原発事故ではなかったのだろうか。

 

 

8月9日、長崎に原爆が投下されて72年、経済産業省が「エネルギー基本計画」の見直しに着手した。

 

 

「原発依存度を可能な限り低減する」と言いつつ、「原発は重要なベースロード電源」と位置づける。

 

 

消費できるあてのない大量のプルトニウムを持っているのに、「再処理推進」をうたう。

 

 

こうした現行計画の矛盾をどう乗り越えていけばいいのか。

 

 

 

問いかけは続く…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直に話すと、実は、東京で好きな人が出来たんだ。

 


だから、かっちゃんとは友達としてなら、LINEで仲良くしてゆけるけど、

 

 

それ以上ならもうLINEもしない方が良いかなって思ってる。

 


変な話してごめんね

 


ちゃんと伝えないと、お互いが幸せになれないような気がして、

 

 

ずっとズルズルしてきちゃったかもしれない。 ごめんね

 


かっちゃんにはいつも感謝してるし、これからも幸せを願ってるよ

 

 

 

今までありがとう 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今までの   たくさん話し合った    数え切れないメール や  LINE が 

 

 

取り残されて   そのまま …

 

 

 

 大阪  ⇔  東京    ~    遠距離恋愛は    無理なのか?

 

 

 僕も    努力してこなかった       悔いだけが     残る

  

 

 

 

 

 

 

 8月のこと~ステキなシンガーソングライターの君 点 その後、現在は服飾デザイナーしてるドレス Tシャツ

 

 

 

結婚式に出ることはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直に話すと、実は、東京で好きな人が出来たんだ。

 


だから、かっちゃんとは友達としてなら、LINEで仲良くしてゆけるけど、

 

 

それ以上ならもうLINEもしない方が良いかなって思ってる。

 


変な話してごめんね

 


ちゃんと伝えないと、お互いが幸せになれないような気がして、

 

 

ずっとズルズルしてきちゃったかもしれない。 ごめんね

 


かっちゃんにはいつも感謝してるし、これからも幸せを願ってるよ

 

 

 

今までありがとう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今までの   たくさん話し合った    数え切れないメール や  LINE が 

 

 

取り残されて   そのまま …

 

 

 

 大阪  ⇔  東京    ~    遠距離恋愛は    無理なのか?

 

 

 僕も    努力してこなかった       悔いだけが     残る

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現行憲法は92条で、地方自治体の組織や運営に関する事項を「法律で定める」としている。

地方自治に関する事項は、中央官僚が政令などで勝手に決めるのではなく、国民の代表である政治家の議論によって「地方自治の本旨に基いて」決めることとしたのだ。

 

 

この観点から、沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題を考えてみたい。   国内に米軍基地を置くことは、地元自治体の自治権を大きく制限するということだ。

 

 

辺野古のように新しい基地を建設するなら、基地建設に伴い沖縄県や名護市の自治権をどのように制限するかについて「辺野古基地設置法」などの法律で定めるのが、憲法92条が求める本来の姿である。

 

 

さらに憲法95条は、特定の地方自治体に適用される特別法を制定する際には、住民投票で過半数の同意を得ることが必要だとしている。この条文がなければ、国全体から見れば少数派である特定の自治体に不利益となる法律を国が安易に制定できてしまうからだ。

 

 

憲法は、辺野古移設のように特定の地方自治体の自治権を制限する施策を実施する際には、法律と住民投票によって国会と地域住民の意思を示すことを求めているのだ。

だが、閣議決定という内閣の意思決定だけで、移設が進められているのが実情だ。

 

 

こうした事態を前に、しっかりとした憲法判断を下すのは裁判所の役目だ。

 

 

判決は、新基地建設に伴う自治権の制限は「日米安全保障条約及び日米地位協定に基づく」とした上で、「普天間飛行場が返還されることに照らせば、基地建設が憲法92条に反するとは言えない」と結論づけた。

 

 

これでは、日米両政府が条約を結べば、憲法で求められている立法や住民投票を必要とせずに自治権が制限できてしまう。立憲主義を破壊する判決だ。国民が見過ごしていると、他の自治体でも沖縄基地問題と同じことが起こり得る。

 

 

政府や裁判所が憲法に反して自治権を制約しようとしていないか、国民自身がしっかり認識すべきだ。そうすれば、国によるおかしな自治権の制約を国民の手で止めることも可能である。

 

 

 

 

 

 

                        ヒーロー亀次郎

 

 

 

沖縄では4カ月早く米軍の本島上陸とともに順次、軍政府による直接統治が始まっている。沖縄の住民にとっては、収容所に入れられた日がそれぞれの終戦と言われる。

 

 

本土と沖縄は、このように「戦後」の出発点からしてまったく別だった。

 

 

植民地同然だった当時の沖縄で1人の政治家に光を当てるドキュメンタリー映画が完成した。

 

 

 

「米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー」(佐古忠彦監督、公開は26日から)だ。

 

 

 

 

瀬長亀次郎(1907~2001年)。戦後、沖縄人民党の結成に参加。今の県議にあたる立法院議員と那覇市長、衆院議員を務めた。戦前は毎日新聞那覇支局で記者もしている。

 

 

 

祖国復帰と土地防衛を掲げて占領政策に立ち向かった。52年4月の琉球政府創立式典でただ1人宣誓を拒んだことが米軍を刺激し、狙い撃ちの弾圧で54年10月に投獄された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画の縦糸になっているのは、瀬長が獄中でつけ始めたノート200冊に及ぶ日記だ。そして関連映像や多くのインタビューを横糸に編んで瀬長を立体的に描くことに成功している。

 

 

 

演説が抜群にうまかった。ユーモアと方言を交えての米軍糾弾に大衆は沸き立った。映画には稲嶺恵一元沖縄県知事も登場する。「高校生の頃の憧れの人。民衆の心をつかみ、演説が終わると皆すっきりして帰っていった」

 

 

 

56年12月、刑期を終えて間もない瀬長は那覇市長に当選する。米軍は再び強引に瀬長を失職させるが、後継市長もやはり瀬長系になった。

 

 

 

闘士・瀬長は、紛れもなく軍政下のヒーローだった。ただ、その物語が単なる歴史の一コマにとどまらないのは、沖縄がいまだに占領期と地続きの状態に置かれているからだろう。

 

 

主権が奪われることの痛みに右も左もない。占領期の改革を「戦後レジーム」と毛嫌いしながら、沖縄には基地の島という戦後体制の受容を求める一部の主張は、ねじ曲がっている。

 

 

市長就任前、瀬長は日記に「民衆の憎しみに包囲された軍事基地の価値はゼロに等しい」と書き残している。  もちろん今に通じる。