今日は、京都で「祇園祭の山鉾巡行」が行われました。
「山鉾巡行」とは?
祇園祭のハイライト。元々は付け祭りだったんですが、こちらの方がはるかに大規模になりました。
山鉾からは祇園囃子のコンチキチンという独特の節回しが聞かれます。
現在のような囃子ができたのは江戸時代からです。また、ゴブラン織りをはじめとする豪奢な山鉾の飾りも見どころの一つです。
前述の通り、かつては山鉾巡行自体が17日(前祭・さきのまつり)と24日(後祭・あとのまつり)の2度行われていましたが、1966年(昭和41年)より17日に統合されました。
山鉾の数は現在は32基(鉾9基・前祭の山14基・後祭の山9基)で、これも時代によって変化しています。
山鉾は午前9時に四条烏丸を出発し、午前中にコースを回ります。見所の一つは辻回しと呼ばれる鉾の交差点での方向転換です。
鉾の車輪は構造上方向転換が無理なため路面に青竹を敷き水をかけ滑らして向きを90度変えます。
巡行終了後は直ちに解体・収納されます。
現在でも使われている「あとのまつり」という言葉は、これから来たといわれています。
また、山鉾には日本には存在しないエジプトのピラミッドやラクダなどが描かれたものが存在します。
「山鉾巡行」のその後は?
神幸祭・還幸祭(神輿渡御)
こちらが本来の神社の中心行事です。神幸祭は山鉾巡行で浄められた四条寺町にある御旅所へ、八坂神社から中御座神輿(なかござみこし)・東御座神輿(ひがしござみこし)・西御座神輿(にしござみこし)の大神輿3基に召した神々が各氏子町を通って渡る神事。この夜から7日間滞在する。974年(天延2年)に御旅所(現在と所在地は異なる)を朝廷より賜り、行われるようになった。また子供神輿である東若御座神輿も参加します。
神幸祭は朝の雅やかな山鉾巡行とは打って変わって、夕刻より行われる「神輿渡御」は、勇壮豪快で荒々しいのが特徴です。
3基の大神輿を総勢1000人以上もの勇猛な男達により担ぎ揉まれて神輿が暴れ狂う様は圧巻です。
いわゆる暴れ神輿というものです。
神社からの宮出しを完了した3基の大神輿と1基の子供神輿は祇園石段下交差点の楼門前に集結しての揃い踏みにて、神輿全基連合で勇壮に担ぎ上げられ練り暴れて、楼門前は歓声に涌きかえります。
その後は神輿はそれぞれ別ルートにて御旅所へ向かいます。朝に山鉾が動く美術館の名をほしいままに巡行した都大路を、今度は神輿が勇壮に練り暴れながらの渡御を行い、四条寺町の御旅所宮入りにて神幸祭での最後の豪快な練りを披露します。
山鉾巡行を祇園祭のハイライトと呼ぶならば、
「神輿渡御」はまさしく祇園祭のクライマックスと呼ぶにふさわしいものです。
神輿の御旅所駐輿中に、誰とも言葉を交わすことなく御旅所を七夜お参りすれば、願いが叶うというのが
「無言参り」です。
還幸祭は神輿と神々が御旅所から各氏子町を通り、八坂神社へ還る神事。今度は山鉾町をも含めた八坂神社の広大な氏子地域を練り暴れながら八坂神社に宮入を行う。八坂神社での宮入では、舞殿の周囲を3周する拝殿回しを行い、神輿3基がここぞとばかりに力を振り絞りながらの勇壮豪快な最後の練りを披露します。
舞殿前にて神輿の最後の暴れながらの揉みが終わり、神輿が舞殿に上げられ安置されると境内は消灯され漆黒の闇となり御霊遷しが行われ、神輿に乗せられた祭神が本殿に戻され、神輿渡御は静かに終了します。
お祭そのものは、7月31日の、「疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしまつり)」をもって
1ヶ月間に渡るお祭が終了します。
今年の「祇園祭」の詳細は、こちらをクリック
「山鉾巡行」とは?
祇園祭のハイライト。元々は付け祭りだったんですが、こちらの方がはるかに大規模になりました。
山鉾からは祇園囃子のコンチキチンという独特の節回しが聞かれます。
現在のような囃子ができたのは江戸時代からです。また、ゴブラン織りをはじめとする豪奢な山鉾の飾りも見どころの一つです。
前述の通り、かつては山鉾巡行自体が17日(前祭・さきのまつり)と24日(後祭・あとのまつり)の2度行われていましたが、1966年(昭和41年)より17日に統合されました。
山鉾の数は現在は32基(鉾9基・前祭の山14基・後祭の山9基)で、これも時代によって変化しています。
山鉾は午前9時に四条烏丸を出発し、午前中にコースを回ります。見所の一つは辻回しと呼ばれる鉾の交差点での方向転換です。
鉾の車輪は構造上方向転換が無理なため路面に青竹を敷き水をかけ滑らして向きを90度変えます。
巡行終了後は直ちに解体・収納されます。
現在でも使われている「あとのまつり」という言葉は、これから来たといわれています。
また、山鉾には日本には存在しないエジプトのピラミッドやラクダなどが描かれたものが存在します。
「山鉾巡行」のその後は?
神幸祭・還幸祭(神輿渡御)
こちらが本来の神社の中心行事です。神幸祭は山鉾巡行で浄められた四条寺町にある御旅所へ、八坂神社から中御座神輿(なかござみこし)・東御座神輿(ひがしござみこし)・西御座神輿(にしござみこし)の大神輿3基に召した神々が各氏子町を通って渡る神事。この夜から7日間滞在する。974年(天延2年)に御旅所(現在と所在地は異なる)を朝廷より賜り、行われるようになった。また子供神輿である東若御座神輿も参加します。
神幸祭は朝の雅やかな山鉾巡行とは打って変わって、夕刻より行われる「神輿渡御」は、勇壮豪快で荒々しいのが特徴です。
3基の大神輿を総勢1000人以上もの勇猛な男達により担ぎ揉まれて神輿が暴れ狂う様は圧巻です。
いわゆる暴れ神輿というものです。
神社からの宮出しを完了した3基の大神輿と1基の子供神輿は祇園石段下交差点の楼門前に集結しての揃い踏みにて、神輿全基連合で勇壮に担ぎ上げられ練り暴れて、楼門前は歓声に涌きかえります。
その後は神輿はそれぞれ別ルートにて御旅所へ向かいます。朝に山鉾が動く美術館の名をほしいままに巡行した都大路を、今度は神輿が勇壮に練り暴れながらの渡御を行い、四条寺町の御旅所宮入りにて神幸祭での最後の豪快な練りを披露します。
山鉾巡行を祇園祭のハイライトと呼ぶならば、
「神輿渡御」はまさしく祇園祭のクライマックスと呼ぶにふさわしいものです。
神輿の御旅所駐輿中に、誰とも言葉を交わすことなく御旅所を七夜お参りすれば、願いが叶うというのが
「無言参り」です。
還幸祭は神輿と神々が御旅所から各氏子町を通り、八坂神社へ還る神事。今度は山鉾町をも含めた八坂神社の広大な氏子地域を練り暴れながら八坂神社に宮入を行う。八坂神社での宮入では、舞殿の周囲を3周する拝殿回しを行い、神輿3基がここぞとばかりに力を振り絞りながらの勇壮豪快な最後の練りを披露します。
舞殿前にて神輿の最後の暴れながらの揉みが終わり、神輿が舞殿に上げられ安置されると境内は消灯され漆黒の闇となり御霊遷しが行われ、神輿に乗せられた祭神が本殿に戻され、神輿渡御は静かに終了します。
お祭そのものは、7月31日の、「疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしまつり)」をもって
1ヶ月間に渡るお祭が終了します。
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