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🦷ある日突然死ぬかと思った🦷前話🦷https://ameblo.jp/5717-8507/entry-12849968472.html
「第17話」退院
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⚫︎心身弱いとねぇ つむつむ
⚫︎ある日突然死ぬかと思った。「第18話」生きて病院出れたとしみじみ思う。
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『少しおさらい』長いから飛ばしても良いよ🙆🏻
当時のかかりつけ歯科で、定期検診を受け。その日のうちに下の歯が痛み出し。
翌朝、再度受診した所「なんも無いですよ。けど痛いなら歯の神経抜いときますか」と言われ、虫歯でもない歯の神経を抜かれ。
その数時間後に、38.5℃熱が出てしまった。近所の内科クリニックで、インフルエンザの検査を受けた、結果は陰性。(当時コロナはなかった)
事情を話すと内科医は
「虫歯でもないのに、神経抜くのはあかん。痛かったら全部神経抜くのか?もっと全身を見てくれる大きな病院に行きなさい」と言われ、〇〇〇病院の歯科口腔外科の紹介状を書いてもらった。
そして予約日に、〇〇〇病院に受診。
最初、見た目なんともないと言われたが、その後炎症反応が30代になり。
〇〇〇病院の歯科口腔外科の歯科医師(後の主治医)は、緊急入院と。
後日予定のMRIを即時行う事などを決断。
また「転けるな!動くな!出血するな!死ぬぞ」と私に何度も言った。
原因は中々分からず。
点滴の痛み止めも効かず、自分では下の歯から顎全部に激痛が走り。
私は死ぬかと思った。
最終的に「骨シンチ」の結果検査を受け、それで両側の下顎が真っ黒になってるのが分かった。
この事から私の病名は
「下顎両側蜂窩織炎(ほうかしきえん)」
「下顎両側骨髄炎」
と確定した。
その後局所麻酔下で、排膿手術を受けた。
痛みのあった所とは反対の、左頬内側から膿が大量に出た。
激しい痛みは少しづつ治まった。
手術から約半月後。激痛は少しずつ良くなったが、後遺症がではじめた。
下唇中央から、扇状に痺れが常に走る。同じく下唇から、下顎にかけて、鈍痛と冷たさを常に感じる。
それはまるで、顎の骨が鉄板になったような違和感。外気温が下がると、それらの症状は強く感じられた。
主治医は「それは後遺症だ」と言った。
病気がちの私だが、とても戸惑った。後遺症が残るのは、生まれて初めての体験だった。
しばらく様子を診てた主治医は
「うーん。言いにくいけど後遺症はずっと残ると思う。
けど、まだ1つ治療方がある。
しかし、うちの病院に装置がないので、□□病院に行ってもらわなあかん。
すぐにでもと言いたいが、その前に、中途半端に神経抜かれてる歯の処置をしなあかん。
ただ炎症ある時は触られへんからなぁ、もう少し時間がいる。
幸い最近○○さん、調子が良くなってるから、一旦退院して、家で炎症がおさまるのを待ってもらいたい。
炎症治まったら抜歯出来るようになる。
その時一泊入院してもらって抜歯しよう。
抜歯がすんだら、いよいよ□□病院に転院して、高圧酸素療法を受けてもらいたいと思ってる」
と言われた。
抜歯で入院はオーバーだと思った。
主治医に正直に言うと
「普通はそうやけどな。○○さんの場合顎に菌いてるからなぁ。
用心するに越したことはない」
と言われた。
そう言われると私も心細くなる。私は主治医の言う通りにしようと思った。
けど、退院と言われた途端私は別の怖さを感じた。
〇〇〇病院は家から近かったけど、電車に乗る。
駅までは病院、自宅とも、そこそこ距離があった。
いつもなら私は1人でたったか帰っていたが。
この時は、ふっとT病院からの退院の時を思い出した。
すると私は、1人で帰るのがすごく怖くなった。
そこでいつもお世話になっているヘルパーさんに、迎えに来てもらう事になった。が⋯。決まるまで、すったもんだあった。
以上おさらいおわり🙇♀️
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退院の日、お昼すぎにヘルパーさんが迎えに来てくれた。
しかし私が
ありがとうと伝えようとしても、
何故か彼女は無言だった。
私は自分が無理言って迎えに来てもらった為に、ヘルパーさんが怒ってるんだと思った。
その時病棟の看護師と事務の人が来た。
事務の人は、退院前のチェックをされた。とても優しくて
「忘れ物無いですか?」
と聞いてくれた 。
看護師は
「お薬ちゃんと内服して下さい。診察日間違えないように!」
と素っ気なく言った。
その看護師は、退院の日のお迎え依頼の時、私に暴言を吐いてたその人だった。
相変わらずきつい。
パワハラっちっくな言い方。
そんな性格なんやろなぁ。
けどまてよ。事務の人はヘルパーさんと私に挨拶してくれてたけど、この看護師はどちらにも挨拶してなかったなぁ。
挨拶どころか、私睨まれてた。
がヘルパーさんにも似たような態度とってなかったか?と私は気がついた。
私は患者やから仕方ないけど。
まさか他施設の人にそんな横柄な態度とらんよね⋯とその時は思った。
けど、ヘルパーさんの表情は、すごく硬かった。
それでも挨拶をして、病棟を後にした。
病棟から離れると、ヘルパーさんの表情から硬さが抜けた。
そして
「○○さん、退院おめでとうございます」
と言って荷物を持ってくれた。
私はほっとして
「ありがとうございます」と答え、荷物を半分持ってもらった。
長い渡り廊下を歩きつつ、私はパワハラ(?)モラハラ(?)看護師の事を考えていた。
あの看護師、なんであんなに高飛車で、叱りつける様に話すんやろう。
黙る私を、ヘルパーさんは心配したように見ていた。
「どうしたの?」と聞かれた。
私は「いえ、なんでもない⋯事も無いか。あの、本当にお迎え ありがとうございます。
お世話かけて申し訳ないです」
と改めて伝えた。
伝えつつ、そう言えばあの看護師が
「ヘルパーさんの所にも私から 連絡入れましたよ」
と言ってたのを思い出した。
まさか⋯私に言うように、きっつい言葉でヘルパーさんに話してないやろなぁ🤔と不安になった。
しかしその場では、病院の色んな人が居たので、詳しくは聞けないし、言えなかった。
大きな病院やけど、その分誰が誰と繋がってるか分からへん。
悪口ではないけど。他の人から聞いたらいい気はしないだろう。
てか😡もし言えと言うなら 私は本人の前でも言えるから、陰口みたく話しが伝わるのは余計に嫌だった。
私は、ヘルパーさんと2人になった時話そうと思った。
渡り廊下を渡り、本館について、また長い廊下を進み、やっと本館のエレベーターにたどり着いた。
もう外来診察の人もいてるので、荷物の多い私は、すみません⋯と呟いていた。小さめだけど、四方をガラスで囲まれてるエレベーターは、満員だけど 不思議と開放感があった。
1階について、私達は正面玄関に向かった。そのままま左側の玄関に向かおうとする私に、ヘルパーさんが
「あ、今車まわしますから。○○さん待っててね」
と明るく言って ヘルパーさんは走って行った。
待ってる間、私はそっと玄関ホールを振り返った。私が入院する頃にあった7段飾りかな?立派なお雛様はなくなっていた。
代わりに凛々しい兜をまとった人形と 鯉のぼりが、綺麗に飾られていた。
玄関周囲の花も感じも変わっていた。
新鮮な空気。
自由な雰囲気。
病棟では感じられないものばかり。
これから帰るんや⋯。
ほんまに私、生きて帰れるんやなぁ。 後遺症あるけど。死んでてもおかしくなかったのに。無事帰れるんや。
心からありがたいと思った。
とか考えていたら、ヘルパーさんはまた走って来た。
「バスのおっちゃんが、正面に停めたらうるさかってん💦少し急いで乗ってね」
と言われた。
私は慌てて荷物を持ち玄関を出た。そして車のドアに手をかけた。
続)