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手術の話しは少し置きまして···別の話しをします。
去る4月8日は、あまり知られてないかもですが、お釈迦様の誕生日です。
私は母のお腹にいる時から、あるお寺さんに通っていました。
母が若い時住み込みで働いていたお寺さんです。
そこの安住様が、母は実のお母親のようにしたっていましたし。
安寿様も、母を実の娘のように、困った時は助けてくださるという関係でした。
ので、私が物心ついた頃から、そのお寺さんは親戚···いえ、母の実家のように思っていました。
宗派は「浄土真宗」でした。
私の家は本来「もんと」と呼ばれる宗派なのですが、母は足繁くお寺さんに通っていました。
「もんと」はあまりおまつりごとはしないのですが、「浄土真宗」は春秋のお彼岸や、年忌のお祈りや、地蔵盆など、沢山おまつりごとをされるお寺さんでした。
その1つに
「花祭り🌸灌仏会(かんぶつえ)」
と呼ばれるお釈迦様の誕生日をお祝いするおまつりごとがありました。
お釈迦様がこの世にお生まれになった時、生まれたばかりなのに、お釈迦様が
すっと立ち上がられ
右手は天を指さされ
左手は大地を指さされ
「天上天我唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」
と言われたそうです。
すると天から甘露の雨が降りだして、大地をうるおしたそうです。
人々は喜んで、お釈迦様にお花を捧げ、お祝いをした···と言う古事があります。
私はよちよち歩きの時、花を1輪持たせてもらって、お釈迦様の小さな御堂に花を飾っていました。
お寺に行く時は、お洒落させてもらって、まだ小さかった弟と母の3人で地蔵堂に置かれてた、お釈迦様の天地を指さされてる小さな御堂をまいったあと、甘いお茶···甘茶をいただいたものでした。
ずっと通っていましたが、私が離婚をした際、お寺さんや色んな人にご迷惑をかけてしまい、通えなくなっていました。
母程ではないけど、身内の様に思っていたお寺さんだったので、私は 自分が撒いたタネやけど、お参りに行けないのは、本当に辛かったです。
もう一生行けないな···と思ってたのですが。
今年の母の誕生日のプレゼント、麻痺があってもよく伸びて着やすそうなカーディガンを選んだんです。
しかし入院先の病院から
「コロナが付いてきたらいけないので、洋服とかはダメなんです」
と言われてしまいました。
洋服がダメなら、花とかもあかんかな?消毒液で拭けるものだったらいけるかな···と思った私は、御守りがいいと思いました。
初めはうじがみさまの御守り···と思ったんですけど。
母の家は別の所にあるので、あんまり喜んでもらえない様に思いました。
そこでふっと
「昔母と通ってたお寺さんの御守りやったら、いいん違うかな」
と思いつきました。
だけど私は、罪をおかしてるので、お寺さんが「来ないで」と言われるかもしれない···と考えました。
ずっと行かないようにしてましたし。
中にはお茶子さんとして働いておられる、離婚した元夫のお義理母さんに会ったら、どうしようと···と悩みました。
でも御守りは欲しい。
そこで思いきって電話してみました。
私「もしもし、そちらは〇〇女子大横にあるお寺さんですか?」
と声音を変えて話しました。
すると落ち着いた女の方の声で
「そうですよ」
と返ってきました。
『お義理母さんではなさそうだな···』
と思った私は
「お久しぶりです。多田薔舞香です」
と名前を出しました。
すると電話の向こうから
「なんやぁ、薔舞香ちゃんかいな。〇〇〇やで。元気か?どうしたん?」
とめっちゃ明るく聞かれました。
ほっとした私は
「いや···〇△さんのお義理母さんがおられたらどうしょうと思って···。母の誕生日にお寺さんの御守りが欲しかったので、お義理母さんのいらっしゃらない時に伺わないと、嫌なお気持ちになると思って、試しに電話したんです」
と伝えました。
すると〇〇〇さんから
「嗚呼、〇△さんは歳でしんどいから、お寺辞めるってな、今は来てはらへんねん。薔舞香ちゃんそんなん気にせんと来てええで」
と言ってもらえました。
ちなみに〇〇〇さんは、今は大安寿様になってはりました。
〇〇〇さんは
「いいプレゼントやな。いつ来てもろてもええで。玄関から回ってな」
と言っていただけました。
それで喜んで数日後にうかがいました。
最初は母の御守りだけ···と思いましたが。
自分もあと少ししたら甲状腺腫瘍の手術を受けるので、自分の分も購入しました。
私が御守りを選んでる間に、〇〇〇さんはお見舞いを準備してくれてました。
びっくりしました。
同時に嬉しかったです。
で、手術後にお見舞いのお返しをしようと思ったんです。
そして落ち着いた頃、〇〇〇さんの予定を聞くために電話しました。
丁度花祭り(灌仏会)が近かったので、その日にしました。
私は10数年越しに花祭りに行けるのが、すごく嬉しかったです。
甘茶も飲める♪
と電話口で喜んでると、〇〇〇さんは
「薔舞香ちゃん、甘茶はコロナあるからふるまわへん事にしてんねん。けど薔舞香ちゃんだけにはあげるわ」
と\(^o^)/
私はお礼を言って電話をきりました。
その足で水筒を買いに行きました。
そして2021年4月8日🌸
ドキドキしながらお寺さんに行きました。
お見舞いのお返しはお茶にしました。お寺さんなら沢山お茶使われると思って、選びました。
お寺さんに着いたら、前はお地蔵様(結構でかい)の所でされていたのに、そんな様子はありませんでした。
私は玄関のチャイムを鳴らしました。
中から男の人が出てきました。今住職をしている△△君の、大きくなった姿でした。
あー△△君がこんなに大きくなるなら、私も老けるわな···と思いました。
△△君は
「母は本堂に居てるので、そちらにどうぞ」
と教えてくれました。
私はお礼を言って、本堂に向かいました。
すると明るい〇〇〇さんの声が聞こえて来ました。
本堂は全開で、段を上がった所にお釈迦様の御堂と、花をいける入れ物が置かれてました。
御堂の前にはお焼香もありました。
本堂の左端にはアルコール消毒用のジェルが置かれていました。
まさにソーシャルディスタン
私は持ってきた花を1輪ずついけて、お焼香をして手を合わせました。
それから本堂に上がって、御堂の中の小さなお釈迦様の像に、小さな柄杓で3度、甘茶をおかけしました。
そして手を合わせました。
もう二度と、来れないと思っていた花祭り🌸私は本当に嬉しかったです。
その後本堂奥の仏様と、父が居る納骨堂をお参りしました。
そこで気が付きましたけど、珠々持ってくるの忘れてるのに気が付きました。
まぁいいかと(いいのかな😅)と思い、お参りを終えた後、〇〇〇さんと話したり。
新しいお茶子さんなのかわからないですが、柔らかい雰囲気の方と話しをしました。
聞いてびっくり!△△君のお嫁さんのお母さんでした。
お嫁さんは子供さんの幼稚園の行事で居ないから、お母さんが助っ人に来られたらしいのです。
私「そうでしたか。おめでとうございます。と言いますか助っ人大変ですね」
と言うと、お母さんは
「はい。私がお寺の事知らないから、戸惑ってしまって···」
とはにかむように笑いながら答えて下さいました。
あ···この方ならお寺さんに向いてるかも···と私は思いました。
優しい方だと感じられたからです。
そこに〇〇〇さんが来られ、私の母の事と弟の事を聞かれました。
すごく心配してくださってました。
知ってることをお伝えすると
「そうかぁ···2人とも大変やなぁ。けど薔舞香ちゃんもうようけ病気して大変やなぁ。大丈夫かぁ?」
と言われました。
「なんとか食べれてるから、まだいい方です」
と答えました。
けどこの時私が考えてたのは···甘茶いつ切り出そう···でした。
だいぶ長い事いるし、そろそろ···と恐る恐る
私「あの〇〇〇さん。甘茶···いただけると···」
言いました。
〇〇〇さんは
「嗚呼、そうやったな。ちょっと待っといて」
とそのまま奥に行かれました。
水筒渡せてないから焦りました。
私は水筒と小さな蓋付きコップの2つ持ってきてました。
どんだけ貰えるか分からないから、2つ持ってきたんです。
けどそれは使うことは無かったです。
多分ですけど、〇〇〇さんが「入れるもんどうしょう。蓋出来るやつ。これか!(ジャムの瓶)中身出して洗おう」として下さったんだと思います。
〇〇〇さんは
「ほんまはコロナあるからあかんねんけど。薔舞香ちゃんにはあげるわ。内緒な」
と言われました。
本心言うともっとごっそりもらうつもりだった私。
水筒出さなくて良かったと思いました。
そして〇〇〇さんは
「ほな薔舞香ちゃん、そろそろ帰りぃな。またね」
と言われました。
私は合掌しながらお辞儀して
「ありがとうございます。またよろしくお願いしますm(_ _)m」
と言って本堂を後にしました。
その帰り際に、お地蔵様の方にもお祈りして帰りました。
帰宅して、甘茶を1番に出しました。
コップに入れ替えて、仏様におまつりした後いただきました。
10数年越しの甘茶。
最初甘くて···後少し苦味がありました。
うーん。こんな味やったかな?10数年もたってたら分からへん。
けど落ち着く味やな。
やっぱり甘茶はええなぁ。
来年は自分で甘茶が入れれるように、コロナが治まってたらいいなぁ(前は自分でやかんから、入れてました)
12月25日もええけど、4月8日もええもんですよぉ···と甘茶を飲んで思いました。