第46話https://ameblo.jp/5717-8507/entry-12659906464.html 


♡思いきって試してみたコスメ♡https://ameblo.jp/5717-8507/entry-12654556861.html 




🌸思いきって試していたアロマオイル①🌸https://ameblo.jp/5717-8507/entry-12656818306.html 



こんにちは🌸
桜が咲きそうだと言うのに、今年もコロナが花盛りですね。
変異種とか出てきて、手強い!しつこい!
まるで使徒のようですね。
エヴァ助けてくんないかなぁ。
鬼殺隊でもいいんだけど。

私は2/22に甲状腺摘出術を受けたから、訪看さんに
「表に出たらあかん」
と言われてます。
あかんと言われると出たくなる。
あかん理由は、免疫力がだだ下がりしてるからです。

早く検査の結果出て欲しいです(まだ出てない!長い😵)

と、本題。
まずは
「昭和の看護婦シリーズ」
ですが。
話しが進んで、昭和が過ぎました。
ので
「昭和から平成の看護師シリーズ」
に名前を少し変えました。

名前は変わっても、内容はほぼ変わらないから、新しいシリーズではなく、続ける事にしました。

いわゆる出世魚的な感じと思っていただくと、嬉しいです。
よろしくお願いします🌸🐟🌸〜*°

では第46話の続きです。


午前中、汗かきながら風船バレーをした私は、汗を拭いて手洗いして、次のお仕事に取り組みました。

利用者さん達にお出しするお昼ご飯の準備です。
最初はお味噌汁を、全部で40個あるおわんに、均等に入れていきました。
これが結構難しい。

はじめに沢山入れすぎて、足りなくなったり。
めっちゃ余ったりしました。
まだ清潔のおたまでしか触ってないから、入れすぎたおわんから、足りないおわんに、お味噌汁を入れたこともありました。

慣れてきたら、寸胴(かな?大きな細長い鍋)の中を見て
「今日少ない。少しづつ入れよう」
とわかるようになりました。

後お汁を入れず具だけ入れるおわんも2、3ありました。

嚥下障害のある方の分です。

具だけ先に入れ、食品用のハサミで具を細かく刻むためです。
お汁が入ると手間がかかるし、切りそんじてしまう可能性が高くなるからです。

具を切り刻んだ後、お汁を入れて、とろみ剤で硬さを調節しました。

当然お茶や他のおかずも、2本の食品用のハサミで刻んでいました。

刻みがかなり必要な方には、小型のミキサーで原型が分からなくなるまで刻みました。
これは完全な流動食でした。

利用者さん達は、案外静かに待っていて下さいました。

刻み食だけでなく、各疾患用の治療食もありました。

お名前と食事の内容を間違わないように、確認しながら配膳しました。

一応全員にお膳がいってから
「いただきます」
と言うのですが。

中には待てない方もおられました。
その方々はたいてい食べる速度も早く、むせる事も多かったです。
ので、配膳を最後の方にしたりしてました。

そして配膳後そばにいて、声かけや、綺麗なスプーンで、利用者さんが口に入れようとしてはる山盛りの食品を乗せたスプーンから
「多いですね〜半分にしましょう」
と言って、半分お皿に戻したりしてました。

大抵の方は、じーと睨まれるだけで、暴れたりされませんでしたが。

中には
「何すんねん!やめて!」
と怒られる事もありました。

「あ、すみません。けどあれは多いですよ」
と微笑みながら答えました。

怒られてもいいから、誤嚥(言わる喉詰め)しないで欲しいので、私はめげずに利用者さんのスプーンから食品を減らしてました。

中にはこんな事しなくても、声掛けで少しづつ食べてくれる方もおられました。
けど、嚥下障害の強い方ほど、沢山口に頬張るように思えました。

幸い、吸引器を使うほどの詰めを起こされる方はいなかったんです。

周りを見ると、私と同じように、怒られながら、箸やスプーンで利用者さん達のスプーンから、食べ物をふるい落としてる職員の姿がありました。

その合間に、全然箸の進んでない方には、声掛けをしてみたり、口元まで食品を持っていったりしました。



あの○○さんも、食べずにぼぉーとしてはりました。
私が近付くと
「帰らして。これなに?お金持ってない。帰らして」と独語されてました。

「○○さん、お昼ご飯ですよ。大丈夫です。お代はいただいています。ご飯食べて、ゆっくりしてから帰りましょう」
と言うと
「ん?」
と一瞬黙られますが、また
「帰らして。帰らして。お金ない。3000円しかない。バス代足りるかな」
と話し続けはりました。
○○さんはむせが強かったので、無理やり口に食べ物を入れるのは危険でした。

私は何回も○○さんを呼んで、私の方に顔を向けはった時にだけ
「ご飯食べましょ、あーん」
と声掛けして、食べてもらいました。

凄くゆっくりなペースの食事介助になりました。
同僚はもっとパワフルに介助してました。

「○○さん、食べんで!」
と言って顔を覗き込み、口元に食品を持っていき
「はい!口開けて!食べたら帰れんで」
と言いつつ介助してました。
そのスピードが早い。

多分私には分からない、○○さんの気を引きつける技があるんだと思います。

スピード早くてもむせてはいはれへんかったからです。

それでも食べ終わるのは1番最後のことが多かったです。

他の方が食べるの早いから余計に目立ちました。

ご飯の後13時までは、お昼時間でした。
けど○知症の方が多かったので、外に出る自動扉は鍵をかけられていました。

そして昼からのプログラムを1つこなした後、14時50分くらいからおやつが始まります。
おやつを食べた後からが、やばい時間帯になってきます。
3時から4時までの攻防の火蓋が切って落とされます。


皆さん頭には
「帰るんや」
しかないようで、空気がピリピリしました。

ですがそれぞれ決められた時間まで、ここにいてもらわないといけないので、焦っても時間が来ないと帰れない仕組みになっていました。

一応朝10時から16時まで、6時間とどまる方と。
11時から15時までの、4時間とどまる方とがおられました。

滞在時間を決めるのは、御家族と先生とディケアとが話し合い、希望の時間を聞き出し。介護保険でその時間を補えるか確認したあと決まりました。

つまり、来られてる御本人には決定権がない事が多かったのです。

と言うとどういう事が起こるかと言うと
「私はよから来てるのに、後から来た人が先に帰ってる!私が先違うの?(怒)」
と言うご不満の声でした。



壁にはってる送迎表を見てもらっても、ややこしいのか  怒りはおさまらないんですよね。

○知症だから、毎日説明しても忘れてしまったり
元から理解出来ない方々も沢山おられました。

まだ車を準備させてるだけの段階で


「帰る···帰る···あ、バス来た!帰る···」
と立ち上がる方がいました。
長身の男性で、体のバランスが取りにくく、よく転倒される方でした。

「○本さん お迎えのバスはまだです。歩くと危ないですよ 座って下さい」
と言って椅子に座ってもらいますが、すぐに立ち上がられます。

○本さんは6時間の方でした。
「バス来た」
と車が来る度ずっと立ち上がられるので、側から離れられない方のお1人でした。

ちなみに○○さんも6時間でしたが、1度座ると立ち上がられないから、声掛けだけしてました。
もちろん観察しながらですが。

また送迎車の椅子が空いてる時は、1便目に乗ってもらいました。

そしてそのまま帰ってきて、2便目でご自宅にお送りしました。

待ってる方々は、気性が荒い方が多かったです。
○知症が進んでいて、お体元気な方々が多かったように思います。

これは御家族がお世話をされる時、1番しんどいパターンだと思いました。

夜間徘徊とか、すぐに怒るとか、何かとトラブルが起こる方々でした。

その人達が悪いのではなく、病気がそうさせているだけなのですが、症状が出ること自体が問題なので、大変な事にかわりはないです。


ので、たとえ杖を武器にしても、穏やかに対応しないといけないんです。

てか杖は本来体を支えているものなので、振り上げたら、大抵ふらつかれます。

慌てて支えに行ったことが沢山あります。

女性は杖を武器にしはります。

男性は···あまり武器を使われないです。多分看護師達が女性だからでしょう。

最も○知症の進んだ方は、鉄の傘立てを両手に持って 頭の上に持ち上げたりされてました。
この方はガタイのいい方で、力も強かったので、結構怖かったです。

男性職員が羽交い締めにして止めてくれました。

どんなに暴れてる人も、送迎車に乗ると機嫌が治りました。

そして笑顔で
「また明日ね」
と言われていました。

最後の1人が送迎車に乗られた後、私は小さくため息をつきました。

『ほんまや。ディケアは見た目よりしんどいぞ。けど頑張らなあかん!』
と思いました。

続)