昔は極度の心配症でした。

 

幼い頃の過敏性腸症候群の最中は、

中1から高2まで

学校に行くのが苦痛で

よくぞ不登校にならず、

高校受験して

志望校に入ったものです、

今から50年近くも前の話です。


当時は病名もわからず、

スピリチュアルも知る由もなく。

 

 そんな私はいつも笑顔でした、

心の中はいつも怯えていても。

 

笑顔でいれば、

Yes Womanでいれば、

人から後ろ指刺されないと。

当時、私が出来ることでした。

 

ですので、母も私のことでは

いつも心配していました。

 

出産して生まれた子は、

想定内をことごとく

壊してくれた

想定外の子でした。

 

私は先回りして、

過剰なくらい心配して

先を案じ、

レールの上に乗せて

育てようとしました。

 

この子は手がかかりそうだと

いう直感は当たり、

レールの上にのせることは

私の安心材料と

なりました。

 

ヴァイオリン🎻の練習はもとより、

小学校の宿題や夏休みの感想文、

アメリカ駐在中は

家庭教師に任せましたが、

帰国してからは、

大学のレポートまで

書きました。

 

大学卒業🎓してから、

ほっとする間もなく、

反抗が始まり

その尻拭いも私が全部。

 

私は脳疾患後の

障害のケアが必要のなかでも、

手を抜くことはありませんでした、

疲れて懇々と眠る以外は。


言わば脅迫観念という

心配の塊は、

消えずにいたのです。


 子供を信じきることが出来ない、

キャラクターの違い過ぎる

親子のなれの果てに、

結果はおして知るべしで…

 

心配から始まったことは

心配になることや失敗を

引き寄せるものです。

 

もう心配はしません、

子供の人生は

子供のものなので。

 

反対はしても心配はしません。

甘えの構造は

私が作ってしまったのですから。

 

心配はまぎれもなく執着です。