一秒一時間の長さは常に同じ間隔で刻まれているくせに、時の流れは一年の中で緩やかなときと急なときがあるような気がして仕方がない。

 

 

 

森林の少し進んだところで、岩に分けられながらゆったり平やかに流れる川水のような時期を歩いている日々。

森林のもっと奥で、光って散る波飛沫を岩に当てながら慌ただしく下る流水のような日々を走り抜ける時期。

 

 

 

とくにこの一年は、私にとって多くの意味で変化の年だったように思う。

 

高校卒業に大学入学、知らない土地での暮らし、慌てて適応させた生活習慣。

 

 

 

身を取り巻くほぼ全てのものは変わった。

 

 

自分を探すのに必死な年だった。

(俗に言う「自分探しの旅」の典型である)

 

 

これまでで初めてだった。

これから何を学びたいのか、何を勉強すべきなのか。

どのように大学生活を送りたいのか、そもそも大学に行きたいのか。

今までの人生の中で、目の前が真っ白の巨大なキャンバスに覆われることなど経験したことがなかった(物理的には今もないが)。

 

 

ただ、真っ白だった

真っ暗じゃなく、光が差しすぎていた

 

 

自分の可能性を見出してみたい、そんなおこがましい考えから急にマレーシア大学進学を選んだ。

そんな輪郭が見えないぼやいた理由からこっちに来たもんだから、九月からは文字通り怒涛の日々だった。もはや森林の奥の奔流などのレベルではない、巨大な波の襲来続きである。

 

 

必死に泳ぎ続ける日々の中で、本当にこの選択が正解だったのかをずっと考えていた。半ば勢いで決めたこの道が、思い描いた地点とは別の方向に続いていた、なんてことは全然あり得る。

 

 

 

ただこの時点で、私は勉強することを使命と捉えた。

人生の中で、こんなにも学びに集中できる時間なんてこの先ないだろう。

 

 

「自分探しの旅」の中で勉強に辿り着く人物はいたのかが知りたいが(だって勉強続きの日々から自分を見失って世界に発つ人が多そうだからさ)、結局自分なんて見つからなかったのである。

 

 

 

ならば自分のしたいことが、自分なりの生き方が、自分が理想とする像が、みえてくるまで今できることに真っ向から対峙するのが一番だ。

 

勢いよく飛び立ったにもかかわらず、そんなはじめから原点として置かれているような結論に行き着いたのは恥ずかしいが仕方ない。

 

 

 

改めて振り返ってみると、勢いのわりにこれといって得たものは無かったような気がするが、満足度は不思議と高い。

 

 

「自分探しの旅」一年目はこんなものである。

 

 

 

あ、そうそう、年のはじめには意気込みを。

 

来年は趣味を増やす一年にしよう。

そして、いろいろな場所をみに行こう。

 

 

 

辰年、万物の躍動と多方面での成長を願って。