夫の不倫相手と私の対決 不倫女はみんな不幸に -15ページ目

あれからのこと②

とりあえず私は尻軽女とは和解したが、夫とは慰謝料の件での和解などした覚えもないので夫に慰謝料を請求することにした。
夫は私の言いなりなのですぐに私に慰謝料を払った。
夫と尻軽女は求償の件で争うこととなった。
夫も弁護代を払い尻軽女もまたまた弁護代を払い裁判となった。
夫と尻軽女の裁判の様子はすべて私に報告するように夫に言っていたので双方が交わした準備書面や陳述書や答弁書などはすべて目を通すことができた。
この裁判において尻軽女は相当悔しい思いをしたと思う。
夫はその当時の尻軽女との関係や気持ちを相当クールに語ったからだ。
つまり暇な時に遊べる女が必要だったわけで全く尻軽女と結婚する気も日陰の身にさせている罪悪感さえも全くなかったのである。
尻軽女は夫と結婚できればいいなぁと考えていたようだ。
そりゃそうだろう。同棲している男はヒモのような男で高校を卒業後一年間だけしか定職についていない。
同棲しているアパートの家賃もいれない月があるとぼやいていたくらいなので夫と結婚できれば
社長夫人となれるわけでいい生活ができるからだ。
まぁ尻軽女と夫が結婚するということは、私と夫は離婚することだということで夫と私の間の子供の父親がいなくなるということで私たち母子は不幸になるわけなのだが、泥棒猫というものはそんなことは全く気にしないようである。
夫との甘い結婚生活を夢みてい尻軽女なのだが

尻軽女:不倫は二度としたくないの。(以前も夫以外の男と不倫していたため)
夫   :子供が出来たら産んでもいいよ。けれど結婚はできないかもしれない。
尻軽女:子供ができたら産んでいいの?!子供が欲しい。

こんな会話をしていたようだ。
しか~し。夫はなんと26歳の時にパイプカットをしていたのでした。( ´_ゝ`)プッ
なので子供なんてできるわけがない。できれば産んでもいいだけでできるわけがないので産めるわけもないのである。あしからず。
そのことを知った尻軽女は相当バカにされていたと悟ったようである。
常套句おそるべし。                   つづく
 





あれからのこと①

私のブログを読んでいるとつじつまの合わない部分があると思う。
そのことから書いていきます。
2006年の10月に裁判では納得いく金額で和解できたと書いてある。
しかし、2007年3月には控訴のことを書いている。
和解したのに控訴??そんなことあるわけありません。
では、何故?それをお話いたします。

私と尻軽女との裁判は150万で和解をしました。
しかしこの尻軽女は私に払った慰謝料の大部分を夫に求償してきたのでした。
求償の意味、詳しくは2007年7月を見てください。
元々私は、この尻軽女を苦しめることに裁判の意味はあると思っていたので
私の手の上にお金がのることを最大の目的とはしていませんでした。
貧乏な愛人がいかに同棲している男に気付かれないように裁判をし、いかに気付かれないようにお金を工面しそれを払う、それこそに意義があると思っていた。
しかし私に払った慰謝料の大部分を夫に請求しそれが認められたら尻軽女に与えるダメージは少なくなる。
まぁ夫に請求するのも裁判費用がかかり弁護代もかかるわけなのだが。それが、私は許せなかった。
そのころの私と夫との関係はというと、夫は私に許しを請うために必至で相変わらず私のいいなりの生活を送っていた。とにかく離婚だけはしたくないと私のご機嫌をとり続けていた。
そこに降って湧いてでたような求償の話。夫は意味も分からずただ呆然としていた。
そこで私は夫に一言   
『あんたあんな尻軽女に求償なんかされて、払うつもりやないやろね。あんな女に払う金あるなら私に慰謝料払え』   と・・・・
夫はもうどうすればいいか分からず弁護士に相談したのでした。  つづく。

春が来たね

お久しぶりです。
本当に長くお休みしていました。
別に冬眠していたわけじゃないけど。。。やっと春がきました。
ずっとずっと戦っておりました。
愛人と?んなぁわけありません。
受験戦争。めちゃくちゃ戦っておりました。
ついつい子供のことになると熱くなる母親でして。
見事、難関高合格☆
めちゃめちゃうれしくて号泣してしまった。号(┳◇┳)泣。
子供が生まれてから今までずっと楽しく子育てができました。(あの時期以外は・・・(-_-メ)
本当に我が子に感謝です。

ところで、愛人との対決は?って
一つのことを除いてはすべて終わりました。
一つのこととは、またこれから書いていきますが・・・。
あれからのことをそろそろ書いていきますよ。お楽しみに。