気が付けばもう9年近く前になりますが、

花ブロ友のお気楽ひろちゃんさんと山口県の角島の達磨菊を、

写しに行ったことがあります。

彼女が助手席に乗って写した角島大橋や、

角島の海岸の岸壁の岩の上で咲く淡い紫や白い達磨菊を、

紹介したいと思います。

今日の画像はすべて彼女の画像で、

彼女が今は廃止されたウエブリブログに投稿されたものです。

パソコンで検索しても残念ながら、廃止されたウエブリブログには、

彼女のブログは今は出てきませんが、私が彼女からもらった画像の中から、

紹介したいと思います。

よろしかったらご覧ください。    アイリス               2024・03・12 10:15

 

「↓角島大橋、本土から角島に向けて」

 

 

 

「↓角島で見た淡い青紫の達磨菊」

 

 

「↓海岸のそばの岩の上で群生しています。」

 

「↓もちろん、右に見える海は日本海です。」

 

「↓淡い青紫の達磨菊のアップ」

 

「↓可愛い白花も咲いていました。」

 

 

 

「↓白花の群生」

 

 

「↓もう夕方近くで太陽は傾いていました。」

 

 

 

「↓岸壁の岩の間にも群生していました。」

 

「↓帰り道、角島から本土へ」

 

早いもので、もう9年近く前になりました。

この角島の画像を見ると、その頃のことが思われて、

とても懐かしくもありますが、辛くもあります。

この時から約3年後に、

彼女は彼女のアパートから見えた飛行機雲をブログにアップして、

それを最期に本当に飛行機雲のように、

突然急性心不全で、帰らぬ人となってしまいます。

そんな彼女が写した角島の達磨菊や角島大橋の画像を、

ぜひ、私のブログでも紹介したいと、アップさせていただきました。

 

今朝の話は、

広島県東広島市にお住まいの17歳の男子高校生の投稿文です。

よろしかったらご覧ください。

 

『友からの励まし』

 高校3年生の私は就職に向けて、勉強に励んでいます。

テストの点数はあまり良い方ではなく、まずは1日1時間以上を目標に、

朝、授業開始30分前に、席に着いて勉強することにしました。

 普段から勉強する方ではないので、周りの人たちは驚いた顔をしていました。

私は冷やかされるのかなと思い身構えたのですが、

それどころか励ましてくれました。

 私は良い友達を持ててうれしいと思った半面、

疑ってしまったことに少し罪悪感を覚えました。

 それから私は家での勉強時間を少しずつ増やしていきました。

今では3時間ほど机に向かっています。

これだけ勉強していることに、自分ながら驚いていますが、

飽き性を克服できたように思えて気力が湧きます。

 つらくてもやらなくてはならないときに、

人から励まされると、頑張れることに気付きました。

私も人を応援して、勇気付けることを心がけたいです。

「2023年8月1日の中国新聞ヤングスポット欄に投稿されていました。」

 

最後までご覧頂きありがとうございます(^^)/ アイリス

↓山裾の黄色いイトバハルシャギクとベニシジミ(^^)/

 

↓共有地のピンクのナツズイセン(^^)/

 

↓同じくピンクのゼラニューム(^^)/

 

↓同じく夏に咲くピンクの芝桜(^^)/

 

↓グーと引いて(^^♪

 小さくて分かりにくいですが左から芝桜、ゼラニューム、ナツズイセンです(^^)/

 

↓鉢植えの赤い松葉牡丹(^^)/

 

↓同じくピンクの松葉牡丹(^^)/

 

↓同じく白い松葉牡丹(^^)/

 

↓地植えの八重の黄色いポーチュラカとオレンジ赤の一重のポーチュラカ(^^♪

 

↓ピンクの一重のポーチュラカと八重の黄色いポーチュラカ(^^♪

 

今朝の話は、

広島県竹原市にお住まいの69歳の主婦の方の投稿文です。

よろしかったらご覧ください。

 

『お母ちゃんと』

 富士山の登山シーズンが本番を迎え、多くの人でにぎわっている。

私はそれより少し早い5月中旬、富士山へ日帰り旅行をした。

一緒に暮らす母が「目の前で見たい」と言ったからである。

 母は要介護1で車いす生活だ。

認知症ではないものの、少し記憶が薄れる時もある。

95歳と高齢でもあり、急きょ旅行を計画し、JR東広島駅から新幹線で向かった。

幾つかの駅で乗り換え、約5時間かけて静岡県の新富士駅に着いた。

 驚いたことに、降り立った駅で目の前に飛び込んできたのは、

雪化粧の富士山だった。

母はしばらく見ていた。

感激した様子だった。

 タクシーで、40㌔ほど北の「道の駅朝霧高原」へ行く。

よほどうれしかったのか、母は車中で唱歌「富士の山」を歌い始め、

2番までを歌い切った。

母の歌声に、私もつい涙が出てしまった。

 道の駅では、食の細くなった母と1杯のラーメンを分け合ってすすった。

こんなことも久しぶりだ。

静岡名物ワサビをみやげに再び帰路に就いた。

 強行した日帰り旅行がスムーズにできたのは、

母がこれまで苦労してきたごほうびだったのだろう。

何より、母の笑顔が見られたのが、最高のごちそうだった。

 お母ちゃん、お疲れさまでした。

 「2023年7月31日の中国新聞こだま欄に投稿されていました。」

 

最後までご覧頂きありがとうございます(^^)/ アイリス

↓山裾のオレンジ色の地植えのガーベラ(^^)/

 

↓少し引いて(^^♪

 

↓咲き始めのガーベラ(^^)/

 

↓可愛いガーベラの蕾(^^♪

 

↓グーと引いて(^^♪

 ご覧のように山裾で地植えで咲いています(^^)/

 

↓ガーベラ近くのこの時季の柿の実(^^)/

 

↓山裾の柿の木(^^)/

 

↓グーと引いて(^^♪

 

↓道なりのカッコウアザミとも言われる淡い青紫のアゲラタム(^^)/

 

↓同じく道なりの2輪咲いた一重の青紫の桔梗(^^)/

 

今朝の話は、

広島県廿日市市にお住まいの61歳の主婦の方の投稿文です。

よろしかったらご覧ください。

 

『老老介護のその後』

 父は97歳で1人暮らし、母は90歳でサービス付き高齢者住宅に住んでいる。

老老介護だった両親が、別々に生活するようになって9か月近くになる。

 父は母に頼り切っていた生活から自立することになった。

嫌がっていたデイサービスにも休まず通い、

介護士さんや通所の方と関わりが持てるようになり話題も増えた。

 母は長く住んだ家を離れ、さまざまな介護サービスを受けることに、

「申し訳ない」と気持ちもふさぎがちだった。

けれど職員の方々によくしてもらい、

ちゃめっ気と優しい笑顔を取り戻すことができた。

 長年連れ添った両親の体や心の健康を考え、思い切って、

地域包括支援センターに相談し、家族で悩んで決めた2人別々の暮らしだ。

老老介護の時の「もう死にたい」という両親の口癖は、

「感謝して頑張らないとね」と明るく前向きな言葉へと変わってきている。

これも関係機関の方々の心温まる力強い支援のおかげ、

と感謝するばかりである。

  「2023年7月30日の中国新聞広場欄に投稿されていました。」

 

最後までご覧頂きありがとうございます(^^)/ アイリス