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アラフォーADHDシングルマザーの獅子(ししこ)と申します。                                   獅子→凸凹44歳、息子のちゅーは2018年3月生まれの凸凹君。ワンは2017年生まれの非常にお利口なシーズー♂。 離婚はしているがなぜか毎週来るパパは世間的には硬いお仕事をしているが中身はかなりづれている。(多分ASD)     。 そんな我が家の珍道中書いてます。



アメトピ掲載記事

 



療育でちゅーの検査結果を聞いた日。

「LD」

そう書かれた報告書と、Dr.からの説明は本当にショックだった。

これから勉強どうするんだろう。 学校生活は大丈夫かな。 中学受験は。 将来、ちゃんと社会に出られるのか。

色んなことを考えた。
頭も心も嵐だった。

でも、段々時間が過ぎるにつれて、 妙に冷静な自分が居ることにも気付いた。

それは、 ちゅーを見ていて、
“この子、意外と折れない”
そう今回の事で確信したからだと思う。

正直に言えば、 学習面や処理速度だけ見れば、 ちゅーは同じ凸凹の私より大変そうだ。

私は一応、 読み書きはそこまで困らなかった。
でもちゅーは、 明らかに処理に時間がかかる。
覚えるのも、 整理するのも、 すごくエネルギーを使っている。

ただ、 メンタルはちゅーの方が強い。

これは本当にそう思う。

私は子供の頃から、 凸凹の癖にかなり勝ち気だった。
負けず嫌いで、 気も強くて、 攻撃的。
多分、 あれで全部をカバーしていた。
できないこと。 苦手なこと。 処理しきれないこと。
それを見破られないために、 とにかく“強い側”に立とうとしていた。
攻撃される前に攻撃する。
そんな感じだったと思う。

でもちゅーは違う。
変に虚勢を張らない。
できなくても、 案外ケロッとしている。
必要以上に自分を大きく見せない。
もちろん傷つくことはある。
でも、 私みたいに“戦闘モード”で生きていない。
それを見ていると、
「あ、この子は私とは違う」
と思う。

だから私は、 心配しているようで、 実はそこまで絶望していない自分もいる。

そして、 ちゅーの結果を聞いてから、 自分の幼少期もかなり思い返した。
私は昔から、 そこまで“勉強が壊滅的にできない子”ではなかった。
読み書きも、 一応できた。
でも、 本が嫌いだった。
文字を追っても、 内容が頭に残らない。
読書は楽しいというより、 疲れる作業だった。

そして決定的に、
「自分は目からの情報処理が弱い」
と感じたのが、 ピアノの譜読みだった。
音符を見ても、 情報がうまく頭に入ってこない。
右手、 左手、 リズム、 記号。
全部が一気に押し寄せてきて、 重なった音符をサクサク読むことができない。
周りは普通に読めるのに、 私は譜面を読むというより、 指の動きと音を丸ごと覚えて、 なんとかバイエルを卒業した感じだった。

だから私はずっと、
「努力不足なんだ」
と思っていた。

でも今思えば、 努力不足じゃなかった。
見えていないわけじゃない。
ちゃんと見えてはいた。
ただ、 情報処理が難しかったんだと思う。
うまく掴めない。
読み込んで、 手に情報を送るまでに時間がかかる。
そんな感覚だったのかもしれない。


余談だけど、 私は今でもあまり本は好きじゃない。
でも、 ブログ記事を読むのは好きだ。
短く区切られていて、 感情や生活が見える文章は、 不思議と頭に入ってくる。
昔は、 「活字嫌いなんだ」 と思っていた。
でも今は、
“自分が処理しやすい文章と、 そうじゃない文章がある”
だけなのかもしれないと思っている。

LD結果を聞いた時、 私はちゅーの未来を考えながら、 同時に自分の過去も振り返っていた。

似ている部分もある。

でも、

「この子は私のコピーじゃない」
とも感じている。
全然違う部分の方が多い。

私は、 勝ち気さで生き延びてきた。
でもちゅーは、 別の強さを持っている。
持ち前の人たらしな所と、 人に優しくできる所。

それはきっと、 私が生きてきた時代より、 遥かに選択肢の多い今の社会で、 武器になる。
この子はこの子なりに、 たくましく未来を切り開いていくのだろう。

だから私は、 自分の知る限りの“生きる術”を、 彼に伝授していこうと思う。

遠回りしたことも、 失敗したことも、 生きづらかったことも。

全部、 無駄じゃなかったと思えるように。

それが、 私の最大の仕事であり、 私が凸凹で生まれてきた意味なのかもしれない。


 


 


 

 



 

 



 

 



 

 



 

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