この1ヶ月で経験させていただいた“世界の清水の奇跡”。
絶対に忘れない。忘れることはできない。
その美しさを記すにあたり
わたしにとって
ポイントのひとつである
2019年の初めに至る。
2018年夏に日本に帰国して
秋には空音遊で研修させてもらって
夢も希望も成し遂げたい目標も全くない。
ただ、なぜか、有難いことばかりで
穏やかな時間を過ごしている。
幸せを感じる今という時間感覚はありながら、けど、このままでいいのかな?と、理想を持つことを是とする概念に対する不安を持っていた。
そんな時、
小林正観さんの本に出会った。
衝撃。
驚きでもあり、嬉しさでもあり、勇気でもあった。
●「そ•わ•か」の法則より
「夢も希望もない暮らし」のほうは、すなわち感謝に満ちた暮らしということで、そのほうがよっぽどラクで楽しい人生だと思うのです。
![]() | 「そ・わ・か」の法則 1,420円 Amazon |
おっしゃる通りです!!そうなんです!!
という驚きに加え、
えー!!!?認めちゃっていいんですか!?
と、叫びたくなった。
もちろん、わたしにも
楽しく生きていきたい、という想いはある。
けど、
あんな風になりたい!!
すごい人になりたい!!
計画と行動目標を立てて、
何者かにならなきゃ!
何かを成し遂げなきゃ!
そんな風に顕著に思っていたときは、
なんか、、しんどかった。
理想の架空の自分を追い求めて、
今の自分がみすぼらしく感じる気がして、
悲しくもなった。
だから、全部、
ま、いっか。ってことにした。
未来をみず、
何かや誰かと対比することもせず、
今の自分だけを軸にした。
そしたら、本当にラクで、有難いことばっかり。
夢も希望もないからといって、
人生を悲観して、絶望しながら、
仕方なく生きているわけではない。
充分、充分、幸せなんだ。
けど、
“夢も希望がない”は、
世の中の役に立てない考えなのではないか?
それは何の為に生きてることになるの?
そんな状態で生きてていいの?
と思ってしまう。
「夢も希望もない、けど有難い」
そう、素直に思うことに対して、
不安を持たないといけない、
と、思ってしまっていた。
だから、この言葉をみたとき、
あぁ、素直に自分の中で、
この感覚を信じていっていいんだと、
すごく嬉しい気持ちになりました。
そして、もうひとつ。
●「ありがとうの神様」のはじめに、より。
「何かをしたい」という思いを持たない。私たちがすべきことは「いかに喜ばれる存在になるか」ということだけです。•••••••人間の生きる目的は、頑張ることでも、努力することでも、何かを成し遂げられることでもなく、「喜ばれる存在になる」=「頼まれごとをする」ことです。
これだ!と思いました。
これだ!と決めました。
喜ばれる存在になろう。
力強く思った、決心した、とか、
正直そんなかっこいいもんでは全くありません。
それやったら、わたしにも何かできるかも、
と、救われたような、光を見出したような、淡い期待のような気持ちになったんです。
だって、
こんなわたしでも、ありのままで、
何かはできるかもって、思えたんです。
自分を強く、大きくみせることは
もう、できない。
ありのままで、このちっぽけさで、この楽しさで
生きていくしかない。
そう思うわたしが、
わたしの全部で生きていく道。
生きる目的って、
世界のためで、かっこよくて、大っきいものじゃなくていいんだ!!!
素晴らしく言語化することが、素晴らしい人生の第一歩なんだと思ってたよ。
ずっと生きる目的について、言語化できないわたしは、人生の目的が見つからず、そんなので生きてるっていいのかなって不思議でした。そして、ちょっと怖かった。
まずは、
喜ばれる存在になること。
喜ばれる存在であること。
頼まれごとをする、そんな大それたことは、正直、わたしにできる自信はなかった。
けど、
小さいこと、本当に小さいことやったら
喜ばれることって、わたしにもできる、
かも。
自分をまず満たすことを知ったわたし
だからこそ、自分の出来る範囲で
喜ばれることができる、、、かも。
例えば、
ご機嫌さんで過ごすとか、
旦那さんを笑顔で見送るとか、
嬉しい気持ちや感謝は思いっきり伝えるとか、
スーパーで店員さんにありがとうと言うとか、
うん、そんな小さいこと。
日常を、細かく細かく、
喜ばれる行動に少し移行する。
うん、これならやれる!!!
夢も希望もない、やりたいこともない
そんなちっぽけでありったけのわたしは
喜ばれる存在を心がけよう
と思ったことが
今振り返ると、
わたしにとって、ひとつ大きな準備だったように思えてなりません。
この時には分かっていない、
正直今も模索中ではある、
「喜ばれる存在」。
この観点をわたしにインプットできたことは
この後、時間をかけてジワジワと
わたしのペースで、わたしの形に、
わたしなりの喜ばれる存在という感覚
を得ていくことに繋がっていきました。

