6月9日です。
 
 ロ(6)ック(9)の日です!
 
 いつの世もロックに生きたいと思う…
 
 
 
 
 元競輪選手の「運動家_ヤスタ」です!
 
 
 
 
 先日、会うのが二度目の方に…
 
 
 
 相手「お会いして間もないのになんなんですが、ヤスタさんて存在が哲学的ですね…。」
 
 相手「仰る内容と行動が!」
 
 哲学とは…世界や人生の究極の根本原理を客観的・理性的に追究する学問(コトバンク調べ)
 
 ヤスタ「なんか解ります。このあいだニーチェの言葉をまとめた本を拝借して読んだときに…。」
 
 
 
 「これは自分がいつも言っていること、行っていることだ!」
 
 
 
 ヤスタ「って思ったんです。なんだ、普段から哲学を地でやっているんだ!?哲学的なんだ!」
 
 ヤスタ「でも哲学をもっと知りたい!哲学書読んでみたい!になりました。」
 
 相手「おもしろいですね(笑)」
 
 
 
 引用すると…
 
 
 

「自分の評判など気にするな」
~なぜなら、人間というのは間違った評価をされるのがふつうのことだからだ。自分が望むように評価してくれることなんてほとんどない。そういうのとは全然ちがう評価をされてるのがまったくふつうだからだ。~他人がどう思っているかなんて関心を向けては絶対にいけない。~

「超訳 ニーチェの言葉」フリードリヒ・ニーチェ 白取春彦 編訳 002
 
 
 
 いつ何時でも、他者はヤスタのことを「好意的には視ていない」という思考で生きております。ゆえに、好きなこと言ったりやったり出来るのです。しているのです。
 
 
 

「「~のために」行うことをやめる」
 どれほど良いことに見えても、「~のために」行うことは、卑しく貪欲なことだ。
 誰々のためにであろうとも、何々のためにであろうとも、それが失敗したと思えるときには相手もしくは事情や何かのせいにする心が生まれるし、うまくいったと思えるときには自分の手柄だとする慢心が生まれるからだ。
 つまり、本当は自分のためにだけ行っているのだ
 けれど、純粋に能動的な愛から行われるときには、「~のために」という言葉も考えも出てくることはない

「超訳 ニーチェの言葉」フリードリヒ・ニーチェ 白取春彦 編訳 020
 
 
 
 こちらも行動の指針は、自分がそうしたいか自分がおもしろいと思うか、自分が…。何回自分が出てくるんだといわんばかりに、自分のためだけに行っているのです。能動的に…。
 
 
 
 かつて長州力が…
 
 
 
 「鶴田、天龍とはイデオロギーの闘いだ!」
 
 
 
 と発したのも今は昔。
 
 
 
 イデオロギーとは…政治・宗教・哲学・芸術などにおける、歴史的、社会的立場に制約された考え方。観念形態。
 
 
 
 辞書を繰って(イデオロギー=哲学と出てきた記憶が…)、
 
 ヤスタ「新日本(長州)と全日本(鶴田、天龍)では、プロレス哲学の違いがあるのか!?」
 
 と、訳知り顔で唸った当時10歳のプロレス少年ヤスタでありました。
 
 (※長州力は名言製造機でもあります!)
 
 

 

 

 

 

 これを機に哲学書に勤しんでみたいと思っております。
 
 
 
 
 ヤスタは哲学を地でいく人間である!
 
 
 
 
 

カバーイラスト
 
 
 
 
 今回も最後まで読んでいただいた皆様、ありがとうございました♪