blogを始めて4ヶ月弱、今日初めて

「タグづけ」の方法を知りました(-_-;)

というよりblogページ自体をモバイル版で操作していたため、たくさんの有益な操作(文字サイズ変更、画像や動画の貼り付けetc.)、を行えておりませんでした…現在の入力はパソコン版から打ち込んでおります、

機械音痴なアナログ人間「元競輪選手のトレーナー」安田壱也です♪


 ~クラスの雰囲気に疑問を感じる(~なぜトレーナーを志したのか?~vol.7参照)といいましてもクラスメイトとの時間は

 楽しく

 愉しく


 それはそれは貴重な思い出であります。


お昼休みにはだいたいお弁当を購入してきて、教室でみんなで食べるのがスタンダード?なんですが1年次の初めの頃、クラスの中に溶け込めていない私はほぼ毎日近くにある居酒屋さんのランチを食べに行ってました(-_-;)
※近隣のサラリーマン軍団に混じりながら焼き魚定食を食して俺は大人だ!とでも言いたげな…

 教室でみんなとワイワイやりながらお弁当を食べるようになるには少々時間を要しました。一緒に食べるようになるのは授業や休み時間の私の「オモシロさ」に気づき始めたクラスメイト達が、段々私をイジリ(あまりいい意味で使われない言葉ですが…)だし始めた頃であります。

 クラスメイト「やっさんオモシロイっすね!!」

(当然でしょ!※心の声)

 私「そお?」

 フリートークと可笑しな行動を面白がられました。トークに関してはやはりこれまでの人生、特に競輪選手生活15年間の夜の世界(※合コンはじめスナック、キャバクラときどきクラブといったネオン街の蝶たち)の方々と堂々渡り歩いてきた私です。


 「レェェベェルゥが違うんだよコノヤロー!!」

とは言いません(-_-;)

※新日本プロレス、外道選手の名文句であります(オカダ・カズチカ選手の元マネージャー)。


 競輪のランクでは十両若しくはそれ以下のようなものでしたが、トークや夜の振る舞いに関しては小結、関脇クラスではないか?と自負しております♪
※上から
 横綱
 ↓
 大関 
 ↓
 関脇
 ↓
 小結
 ↓
 前頭(1~15枚目)
 ↓
 十両(ここまでが関取と云われ所謂プロ)
 ↓
 幕下
 ↓
 三段目
 ↓
 序二段
 ↓
 序ノ口
 ↓
 etc.
 wikipedia調べ
※相撲で例えると寧ろ解りずらい?

 私でこんなに受けるなら私よりオモシロく弁が立つ元選手や現役選手が喋ったらどうなるんだ?

 あの人も!

 この人も!

と頭に顔が浮かびます(横綱、大関クラスがゴロゴロ(*_*))。変なところで競輪選手の、競輪界のスゴさを再認識した次第であります。


 「三幸フェスティバル(以下三フェス)」

というリゾスポ名物というべき催し物のがあり、なぜか学生はこの三フェスに命をかけます。メインは

 「演舞」

という大人数で独自に考案されたフリをやるものです。他に数種目の運動会でやるような競争をして総合順位を争います。この三フェスに3年間参加しました。正直申しまして毎年しんどかったです。踊りが苦手な私はフリのおぼえが悪く、みんなから遅れる、結果笑われる(*_*)
※オジサンが四苦八苦している姿が笑えたというのもあるかな?

そうです、


 笑わすのは好きなんですが、笑われるのは嫌なんです(-_-;)

 私と同じように演舞をやりたくない生徒の中には練習に参加もせず当日もバックレるという生徒もおりました。私もやりたくありませんでしたが、大人ですからやりもしないで批判するのはどうか?との想いから与えられたこと、決められたことは遂行してから批判しようと決めやり遂げたものであります。この三フェスに関してはずっと担任の先生に不満をぶつけていました。
※勉強を頑張らない、遅刻、欠席を繰り返し普段の学校生活を疎かにしている生徒に三フェスを一生懸命頑張る人が多かったのも気に入らない要因でした(-_-;)

(本末転倒だろ!)

って…。


そんなああだこうだと文句を言いながらもやりだしたら夢中で楽しんで、終わればみんなで打ち上げに行きバカ騒ぎをし盛り上がったものです。特に最終学年の3年次は私達の緑組「演舞」で最優秀演舞賞?と総合優勝を戴きました♪

 二冠であります!

IWGPヘビー級王座とIWGPインターコンチネンタル王座を同時に戴冠したゆいなもんです!

※いずれも新日本プロレスのチャンピオンベルト

ここ最近プロレスネタがなかったのでブチこんでみました(-_-;)


 そもそも三フェスのような催し物が嫌なら昼間部ではなく夜間部(※既卒の昼間働いてる方々が入る)に入ればよかった話で、昼間部を選んだ私に文句を言う資格はないのであります。

 「最終学歴」が日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)だった私は学生生活(大学生にも憧れもあります(;_;))を味わいたいという想いもあり昼間部を選んだのであります。

 どの人生にも運命的なことを感じるとは思いますが、夜間部を選んでいればみんなと出会っていないわけで、もっというなら競輪を辞めていなければ、上京していなければみんな(94年生まれの19歳下)に出会えていないわけで…

 なんか打ち込んでいて感傷的になってしまってますが…(>_<)

 本当に人生のいい経験、体験、大切な思い出を戴きました♪

 クラスメイト全体とは一緒になってませんが個別には連絡取り合ったりして、ごくたま~に再会を楽しんでます(女子は特に入学当初、私が話かけるとフリーズ(まさに凍ってました…)する子が数名いました(-_-;)いまではベラベラ喋ってくれます。)♪

 
 本連載も今回で8回目となりました。ダラダラと勉強のことや学生生活のことを交互に書いてきましたが、

 「なぜトレーナーを志したのか?」に言及してないだろ!?
 
 との声が聞こえてきそうな…

 
 次回(vol.9)お世話になった教員、講師の先生のお話をして 、最終回(vol.10)で「なぜトレーナーを志したのか?」について熱く語ります!

 ※急遽内容変更の可能性あり

 
 物好きな方、あと2回お付き合いいただけたら幸いであります!

 今日も最後まで読んでいただきましてありがとうございました♪