とにかく寒い。1日中寒気がして、パーカーを着ているがそれでも寒い。37.5度を1日中いったりきたり。抗生剤を入れてるからよくなると信じて、寒気と戦っていた。
何をしても涙がでてくる。普通に生まれるのが当たり前だと思っていた。こんなこと微塵も想像してなかった。もう変わらない現実なのに、涙がでてくる。朝も会いに行かなくては、とNICUに出掛けた。
すると、うちの娘のとなりの飽きベッドだったところに黒山の人だかりができていた。今入室したばかりなんだろうか?スタッフがもう全部そこにいってるようで、中にいたお母さんも一旦外に出されて、新たに面会にきた方がインターホン鳴らしても応答しないぐらいみんなに見守られていた。外からみんな大丈夫かなと眺めていた。うちの娘もきっとあんな風にしてもらったんだなと思うと、また泣けてくる。寒気もあるので冷凍母乳だけ預け、また午後面会にきますと立ち去った。
また部屋で泣いていると、「どこいってたんですか?NICUですか?今から他の方と退院指導を聞いてほしいんです。お風呂の予約は変更してください」と高圧的に初めての助産師さんに言われた。
もうどうしてこんな風に辛く言うんだろうとまた涙が出てくる。アンケートをやったが、どれも楽しいとかなんて選べなくて、それすら泣きながら書いた。
一緒に受けたお母さんも子供がNICUにいるようで、しかも他の病院にいるとのことだった。
どんな大きさなんだろう?今、何を思ってるんだろうそんなことを考えながら、退院指導中も時折泣いていた。
午後面会に行くと、先生から呼び止められた。
「72時間が過ぎ、今のところ脳出血もなく、動脈管も閉じ、循環状態もよく安定してます‼️お母さんが頑張って26週まで粘ったおかげですよ。本当に頑張ってくれてます。
それにね、どんなに元気に生まれても親は子供のことがいくつになっても心配なんですよ。今は入院してるから、心配で仕方ないかもしれないですが、一生心配はつきないものです。」
本当に嬉しかった。娘を産んでから、初めてうれしいって思えた。
そして、ホールディングと手足を触らせてもらった。ぷにぷにであんなに小さい足なのに、キック力が半端ないうちの娘。
いつになったら、触れるのかさえわからなかったが、少し前に進んだ気がしてなんかほっとした。
夜、授乳室に行くと、授乳中のお母さんに会った。またやだな。あの気持ちになるのはやだなすごく怖かった。でも、そのお母さんは気を遣ってか「小さな声でもういいの?」と一言発しただけで終始静かにしてくれていた。すごく些細なことだけどうれしかった。
そうこうしていると助産師さんがきて、「今日のアンケートの結果が悪いんだけど、家に帰ったら早めに助産師に面会に行ってもらうように市の人に連絡するね。やっぱり赤ちゃんこと心配だよね」
今まで塞き止められてた思いが溢れてしまい、泣きながら話した。
「オペまでの2週間毎日が怖くて怖くて仕方がなくて、毎日寝れることはなかった。いつかは来ると思っていたし、体力的にもあの日オペになったことは最善策と納得しています。大きくしてあげられなかったことは悔やむが、これ以上は無理なのはわかってるからは後悔してません。だけど、産んでから2ヶ月で仕事に復帰して、母乳とミルクの混合で育てていこうと思っていて、職場の人にもみんなでみてあげるから早く戻ってきなよって言われてて、家も私の職場のそばに引っ越すことに決まってたが、全部白紙になってしまった。どんな子なんだろうと散々厳しいICは聞いていたが、想像もつかないので本当の意味での心の準備もなく、わけがわからないままこんな風になってしまった。とにかく自分を責めてしまう。仕事しかないのに、これでは仕事に戻れるかすらわからなくなってしまい、もう孤立してしまうことへの不安がある。ただこれではいけないと思っているが、今日NICUで少しいい話をしてもらえたので頑張らなきゃとは思ってます。」
気づくと、この前のいっぱいあやしていたお母さんも含め4人のママが授乳していた。でも、誰1人赤ちゃんに話すことはなかった。
部屋に戻ると、仕事を終えた夫が娘に会ったあと部屋に寄ってくれた。
NICUに寄った時に先生に呼び止めれて
「今日の昼間に脳出血大丈夫ってお母さんに説明があったと思うのですが、夕方の超音波の検査で右側に出血してる所見が認められました。大人しくする薬をいれて、出血が止まるのを注意深くみていきます」
72時間越えたのに?なんで?
せっかく、すごく嬉しかったのに。
「止まると信じよう。早く見つけてもらえたと、思って。娘ががんばってるんだよ。」
もうなんでと思ったが、仕方ない。止まると信じるしかない。
この日は寒気がピークに達し、38.4度まで発熱した。抗生剤をいれているのに。そして、娩出後も血圧は下がらず、降圧剤がまだやめられない。体調もまだまだ回復しない。