10月20日 (土) 晴れ
朝食前にホテルの周辺を歩く
朝食、いつもながら食欲旺盛
ホテルのロビー
ソ連時代の建物か?
9時にホテルをチエックアウトし、バスでクレムリに行く。
「クレムリン」の入場口で開門を待つ
多くの人の列が出来た。中国からの人達に割り込まれないように
しなければ・・。
開門し、入場。
正面の塔は「スパヤスカヤ塔」(救世主塔)
入り口の警備をしている長身イケメン
この身長の差、彼は代の上に乘っているとはいえ・・、写真を
撮るのはOK、ただかれは無言、直立不動
クレムリンの中も秋の黄葉
「スパヤスカヤ(救世主)塔」
「アルハンゲリスキー大聖堂」
騎馬警官
「アルハンゲリスキー大聖堂」
この大鐘が完成したとされている日は、1735年11月25日。
重さは約200トンだった!
余計な物を落とし、飾りをつけること。それもまた時間かかった。
装飾作業の間はずっと地面に掘った穴のなかに置かれていた。
起こってしまった。鐘を冷やすことが決まり、鐘に水を注ぎ始めた。
これが大きな間違いだった。
急激な温度変化によりひびが走り、11.5トンのピースが欠け落ちてしまった。
これを直そうという試みが過去2回あったが、直しても音がおかしいのでは
ないかと結局あきらめてしまった。
1836年にモスクワのクレムリンに置かれ、ある種のシンボルとなる。
現在でも同じところに置かれている。
大宮殿
「衛兵の交代式」
「大砲」・・・無用の長物?
モスクワ・クレムリンのツァーリ・プシカは、世界最大の口径の
射石砲としてギネスブックにのっている。800キロの砲丸を撃つよう
設計されていた。大砲自体の重量は40トンほどで、
輸送には200頭の馬が必要である。
実際に使う兵器としてではなく、国家モスクワの力を対外的に印象
づけるよう、大砲をつくった、という話がある。大砲はもともと
使用を意図したものではなく、発砲されたことはないと。
だが1980年、軍事アカデミーの専門家は大砲の修復の過程で
調査を行った際、火薬残留物を発見し、少なくとも1回は発砲
されていたという結論に達した。
「武器庫」と「ダイアモンド庫」 を見学する。二つの施設は、共に
写真撮影はダメ。
「武器庫」
「武器庫」とあるが」、戦いの戦利品やロマノフ家の宝物を保管・展示
している。1720年ピヨートル大帝の勅命によって美術館となった。
コレクションには、13世紀から18世紀の武具・武器・、14席世紀
から19世紀の織物、ロマノフ家の馬車などがある。
「ダイヤモンド庫」
このダイヤモンド庫ではエカテリーナ2世の笏に装着されている伝説のダイヤモンド
「オルロフ」で、この卵をふたつに割ったような姿のダイヤはインドで見つかった
最大のダイヤモンドと考えられています。
一説には、元々400カラットであった「オルロフ」はカッティングの際に189カラット
ほどにまで小さくなってしまったといわれている。
同じコレクションには、ペルシア政府からニコライ1世に贈られた88.7カラットの磨かぬ
「シャー」という宝石が所蔵されている。他に注目すべきはダイヤの粒で作ったロシアの
地図である。世界で一番高価な地図かもしれない。
そしてダイヤモンド庫の象徴である女帝エカテリーナ2世の戴冠式に使われた王冠も価値がある。
5000個の白とピンクダイヤモンドと75個の大粒の真珠で大量に使われていて、
世界で2番目に大きい深紅の宝石スピネルが頂点についている。その他のダイヤモンド
、金銀財宝、宝石の輝きは誰をも感動させる。
“世の中に、こんあ煌びやかな世界があるのか!!”と驚き見入った。
モスクワ川を渡り、空港に向かう。
モスクワの空港
このJALで帰る
17時15分 JL-0422便にて成田空港へ。
機中泊、10月21日 午前8時35分に成田空港着。
東京からの参加の4名とはここでお別れ、大阪からの10名と
一緒に、羽田空港までリムジンバスで。
羽田空港で、大阪組の10名と分かれ、私は一人で福岡空港へ。
飛行機内の私の隣の席はお相撲さん。尾車部屋のお相撲さんで、
福岡場所に向かうとのこと。
お相撲さんはデカイ!!
お相撲さんは、随分と恐縮していましたが・・相撲で頑張って欲しい!
福岡空港から地下鉄・新幹線を乗り継いで帰宅する。
これで、私のロシア旅行は終了。
気候に恵まれて、ロシアの「黄金の秋」を楽しむことが出来ました。
そして、エルミタージュ美術館にも行き、多くの絵画に圧倒された。
旅行をご一緒した方々、添乗員さん、現地のガイドさん、
お世話になりました、そして、ありがとうございました。

































