9月10日(月)
毎月、第二日曜日は新聞が休刊。
朝の新聞がないと、なんだか、寂しい朝となる。
起床→着換え→エレベーターで郵便受けへ→新聞を読む
そのコースが一日のスタートなので・・・ペースが狂う。
(暑くない時期には、約200段の階段を歩く)
【月曜日】は【太極拳】の日となっていて、【太極拳】の会場
に行くことが、“今週も始まった!!頑張ろう!!”の合図
となっています。
【太極拳】で、身体を動かすと、身体が柔軟になる。
本日発売の【文芸春秋・10月号】の記事の中に【ノートルダム
清心学園理事長】の【渡辺和子さん】が書いた【雑用はない】
とのテーマの文中に、興味を引く文章があった。
格調高い文章の中の一部分だけを引用しますが、“「しあわせ
は、いつも自分の心が決める」のであり、私たちは環境の奴隷
ではなく、環境の主人になり得る人間の尊厳を取り戻さなけれ
ばならない。”と、ありました。
この文章を読んだ時に、思い出したのが、幕末の志士の
【高杉晋作】の辞世の句と言われる“おもしろき、こともなき
世を(に)、おもしろく”の句です。この句には、高杉晋作の
看病をしたと言われる【望東尼】が“住みなすものは、心
なりけり”と、付けたと言われている。
上記の二人に共通するのは【幸福は心の領域】であって、
【モノやカネの領域ではない】ことなのでしょう。【幸福】を願う
のは、万人共通のことでしょうが、その人の置かれた環境
によって、【願う幸福】は異なるのでしょう。
戦乱の地の人は、戦乱の無いことを願い。飢饉にあえぐ
人達は、食事が出来ることを願うのでしょう。
時代・地域・環境等などによって、【幸福の意味するもの】は
大きく異なるのでしょう。
私の【幸せの定義】は、イギリスの18世紀の思想家(経済学者)
の【アダム・スミス】が書いた【感情道徳論】の中にあった【幸福
について】の記述を借用している。
彼の記述によると、
幸福とは ・健康であること
・借財(借金)がないこと
・心にやましいことのないこと
だったように記憶している。
“心にやましいことがない”点については、いささかの“やましさ”
があるが、健康・無借金なので、自己暗示的に“これが幸せなんだ!!”
と、思っている。
【幸福論】って、人様々であって、一面的に定義することは難しい
テーマだが、これからは、物質志向から、精神面での志向が
増えて行くのかな?
【ブータン】の【GNH志向】も注意して、見て行きたいものだ。
(Gross National Happines)
本日の歩数 17610歩
昨日の歩数 13576歩 でした。
