「性善説」が裏切られる事案が多発しているように感じる。これまで「当たり前」や「普通」と思ってきた物事が、崩れ去っているように思う。先の参議院選挙で、大田区の職員が無効票を不正に大量水増し、約2,600票とのこと。職員の数も複数である可能性も言及された。
民主主義の一要素である「選挙」の信頼性を毀損するとんでもない事案だ。日本は政治参加、特に意思決定過程への参加が脆弱である。ゆえに「選挙」の信頼性が毀損されれば、「参加」の扉がまた狭くなる。加えて、これは、ポピュリストが多用する「この選挙は操作された!」の根拠をつくりかねない。
ますます、代議制民主主義は崩壊の一途を辿らんか。
それと同時に、職員らの動機に左右されずとも、職員のことを考えれば、休日(祝日)にも関わらず、出勤し、夜遅くまで、なんなら明け方まで開票作業に追われる激務。「酷務」と言ってもいいかもしれない。その実態を改善する必要があるとも思う。
最後に、綺麗ごとではなくて、民主主義は決して万能なものではない。ナオミ・ザックが『民主主義 終わりなき包摂のゆくえ』でも述べているように、「民主主義の構想は時代と場所で変化してきた」のだ。我々は、「民主主義」なるものを鍛えて、育成していかねばならない。それが、包摂への道なのだから。