聖蹟桜ヶ丘駅で下車し、多摩市を散策。一際目立つポスターを発見。「政治家の方なんだろうなぁ」と思ったり、「俳優さんがポスター打ってるのかなぁ」とも思ったり。「マサノリ」は目立つな。
多摩市の人口は、148,084人(令和7年1月1日現在)。面積は21.01㎢。多摩といえば、「多摩ニュータウン」。東京都都市整備局によれば、
多摩ニュータウンは、東京都西南部の多摩丘陵に位置する、八王子、町田、多摩及び稲城の4市にわたる総面積2,853ha、東西14km、南北2~3kmの地域です。
昭和30年代の東京では、深刻な住宅難によって、住宅建設が既成市街地から周辺地域へと拡大していき、昭和30年代の終わりごろには、多摩地域でも無秩序な開発が進行していました。
このような乱開発を防止するとともに、居住環境の良い宅地や住宅を大量に供給することを目的として、昭和40年に多摩ニュータウンの計画が決定され、昭和46年には入居が開始されました。
昭和61年以降は、昼夜間人口の不均衡などを解消するため、業務施設が導入され、多機能型のニュータウンとして発展していきました。
地域において深い信仰がなされてきたと思われる神社を発見。九頭龍神社。詳しくはホームページをご参照ください。
今日も今日とてカーシェア!今回はヴィキの引っ越しをお手伝い東京に来て2度目の引越し手伝い
IKEA立川の駐車場から富士山。
組み立て大変そうやなぁ。ベット。
コンビニにて発見。府中市の広報誌。学校給食の特集が組まれていた。府中市では、給食費が公費負担らしい。おすすめメニューには、「ルーロー飯」🇹🇼。
お昼は妻と娘とサイゼリヤにて。
お昼から白ワインをいただきました
昼食後、バスに乗って帝京大学へ。
山の上にある巨大な城。とんでもない規模。
立派な図書館。高校の先生が「大学の価値は図書館を見れば分かる」と言っていたなぁ。
この木は、クリスマスになると電飾が施され、クリスマスツリーになるらしい。
東京をこんな視点で見るなんて。
帝京大学のルーツは1931年(昭和6年)5月20日に開校した帝京商業学校にあります。同校は、夜間部のみの開講でわずか4名の学生からスタートしました。
開校から3年後の1934年(昭和9年)には、昼間部を設置し、最盛期には1,500名以上の学生が学んでいたとのこと。「実学」をモットーとし、毎朝そろばんの特訓があったのだとか。
https://www.teikyo-u.ac.jp/application/files/7716/3175/5234/poster_20211006.pdf
詳細に知りたい方は、帝京大学のホームページをご覧ください。また、帝京大学博物館でも歴史を見ることができます。
滋賀大学では、春学期に帝京大学から数十名の交流学生が学んでいます。今年度春学期は私もチューターとして数名の学生の学習支援にあたりました。台湾留学後、外国人留学生との購入が格段に増加しています。今後も、外国出身者と深い議論を交わしていきたいです。そのためには、英国はもちろんのこと、台湾華語もしっかり復習しなければなと。
悪魔的な美味さ。
大学院の無事合格をお祝いしてぺこちゃん