〈エピローグ〉

 

本文の中でも、何度も言い重ねているが、

バブルの時は、本当に大変な時期だった。

町中活気にあふれ、全てがパワー全開、

人々は、仕事も遊びも、目いっぱいやっていた。

 

その中でも、華やかなそうに見える、旅行業界は、人気が高く、

特に添乗員は、世界中に行けるので、若い人の憧れの的だった。

 

しかし現実は、確かに世界中旅行に行けるが、

自分が楽しむ時間は、絶対に無い。

何処に行っても、電話を掛け、走り回る。

次の移動や、食事・宿泊の確認作業に追われる。

最優先事項は、お客様の安全と満足だ。

その為にベストを尽くす。それが添乗員の仕事だ。

やってみて初めて判る、やらなきゃ分からない。

 

そんな業界に飛び込んで、既に数年が経ち、

新人から、中堅となった林は、

ドンドン増えてくる後輩と、先輩達の間に挟まれ、

添乗員の仕事以外に、もう一つの悩みを抱えていた。

 

「おじさん世代」と呼ばれる、先輩達と

「新人類」と呼ばれる、後輩の若者達と、の間に挟まれ、

両方から、愚痴を言われ、相談を受ける。

先輩達からは、

「どうもこの頃の新人は、文句ばかり言って動かない。

どうしてですか?何故ですか?ばかりだ。

黙って、先輩の命令を聞こうとしない。

おまけに、権利、権利と言いやがる。

仕方が無いので、説明すると、

そんなやり方は、もう古いですと意見する。

反抗的で、使い物にならない。

これは林、お前のせいだ!

お前の教育が悪いので、こうなった。

何とかしろ。」と言われ、

 

後輩達からは、

「林さん、聞いてくださいよ。支店長がまた、

新人がカギを管理して、最後まで残り、

朝から掃除、お茶出しをするのが、

当たり前だって言うんですよ。

今どきこんな会社有りませんよ!」

などなど、旧態依然とした支店内の、

組織や風習の改善を、求められる。

 

年代的に、林がちょうど中間なので、

どちらも言い易いのだろうが、

自分の仕事だけでも忙しいのに、

余計な仕事はしたくないので、適当に聞き流し、

まともに相手をする時間もなかった。

 

そんな或る日、支店長から呼ばれ、

「林君、君もお客様から、ベテランと呼ばれる位に、

なったのだから、肩書も大切だ。

今度、昇進試験を受けなさい。」

と言われた。だが、

「支店長、毎回そのお話は頂くのですが、

いつも試験日が、添乗最中に重なり、

受験できておりません。

今回は試験を、優先させて宜しいでしょうか?」

と答えると、

「当たり前だ。私も先日「管理者研修」を受けて、

本部長からお褒めを頂き、支店内の古株職員にも、

徹底するよう、指示を受けて来たばかりだ。」

と言われた。

 

しかし、この話は、毎年この時期に在るのだが、

実施されたことはない。

試験日が決まり、エントリーはするのだか、

その日が近づくと、色々問題が生じて、

支店長からは、

「試験なんかに、行ってる場合では無いだろう!

お客様が望むなら、君が行かなきゃ仕方ない。

君は自分の利益のみを優先するのか?

お客様に満足を、会社には利益をが、

私のポリシーだ。黙って行きなさい。」

ということの繰り返しだった。

 

結局、林は今年も試験が受けられなかった。

運良く受験できた後輩が合格し、昇進した。

後輩は、

「林さん、とうとう僕の方が先に、偉くなってしまいましたね。

林さんも組合に出向して、権利を主張し、

仕事に似合った給料を、もらうべきですよ。」

と言われた。

 

林は今まで、肩書や給料の事はどうでもよく、

入社以来の目標どおり、国内や世界中を旅が出来れば満足していた。

それがどんな内容で、どんな大変な事でも。

 

林を応援する先輩達からは、

「お前、若いやつに、抜かれたんだってな。

あいつは組合に行って、権利ばかり主張して、生意気な奴だ。

徹底的に焼きを入れなきゃいかん。

いつか痛い目に合わせてやる。」

 

林を慕う後輩達からは、

「林さん、しっかりして下さいよ。

ちゃんと試験を受けて、早く偉くなってもらわないと、

私達もやりにくいですよ。

この頃、三階のおじさん達が、何かにつけ、近頃の若い奴らは・・・

って、言掛りを付けてくるんですよ。」

 

林には、両方の声が聞こえていた。

しかし、どうしたら良いのか分からず、

その方法を、探していたが、既に支店内には、

不協和音が響き始めていた。

 

流石に支店長も、この事態を無視できず、

近くの喫茶店に、林を呼び出し、

「林君、支店内の雰囲気が悪い。

古株連中は、何か機嫌が悪いし、

若手連中は、反乱の兆しが見える。

両方とも、ハッキリ言わないし、

何を考えているか、サッパリ判らん。

君は中間管理職なのだから、何とかならんかね。」

と相談されたが、

「私におっしゃられても、どうしたら良いのか?」

と答えるしかなかった。

 

そんな中、日ごろの憂さ晴らしに、

伊五沢と浅草のすし屋へ行く事になり、

たまたま残業をしていた、女子連にも声を掛けた。

伊五沢は、新宿支店の古株おじさん達とは違い、

盛岡支店から来た、異色な存在なので、女子連からも人気がある。

伊五沢からの誘いに、

「伊五沢さんのおごりなら、喜んで。」

と意外な、返事が返ってきた。それに応えて伊五沢が、

「心配すんな、オラが持つ。そんじゃ、行くべ、行くべ。」と

 

結果的に、林は伊五沢だけでなく、女子も二人連れて四人で行った。

その浅草のすし屋は、知る人ぞ知る、下町の食通には有名な店で、

銀座と違い、手ごろな金額で楽しめるので、

常連は、その存在を他人には教えず、

ましてマスコミには、決して紹介しない店だった。

席に着き、お通し代わりに出てくる板盛は、

何と刺身の三層造りで、ボリューム満点、

新鮮な刺身をつまんで、日本酒をやれば、

普通の人なら、とても四人でも食べきれない程だった。

 

その日は、女子も同伴なので、刺盛だけでは可哀そうだと思い

一緒に寿司も頼もうとしたら、古株の店員から、

「お客さん、内はこの刺盛が定番で、これを食べ終わってから、

寿司を注文してもらうルールです。女性の方もいらっしゃるので、

刺盛を食べてる途中でも、寿司の注文を受けに来ますから、

まずは、残さずに召し上がって下さい。」

と言って、自信満々に、店の奥へ行ってしまった。

 

仕方がないので、刺盛を囲んで乾杯し、食べ始めた。

すると女子連は、

「さすが林さん、良い店、知ってますね。

どれも生きが良くで、美味しそうですね。」

と言って、凄い勢いで食べ始めた。

林と伊五沢は、乾杯のビールから、日本酒に変え、

箸も持たずに、お銚子を傾けて、一口飲んだ時、

「刺盛のお代わりと、お寿司頼んでも良いですか?」

と女子連から言われ、テーブルの上を見ると、

刺身は完全に消えていた。

その食べる異常なスピードにびっくりしたが、

仕方がないので、店員を呼ぶと、さっきの店員も驚き、

「あら、もう食べちゃったんですか。

仕方がないので、お代わりをお持ちします。」と言って、

さっきの威勢は跡形も無く、戻ろうとした時、

「それから、お寿司の盛り合わせも四人前、お願いします。」

と女子連からの追加注文も渋々受けて、戻って行った。

 

刺身のお代わりと寿司が来た時に、林と伊五沢はその日初めて、

刺身に箸をつけた。しかし二切れぐらいで、また刺盛は姿を消した。

林と伊五沢は、その現状を認識して、呆れていたが、

次は寿司を摘まもうと手を伸ばした時に、

すでに寿司も消えていた。

そして、女子連はもう勝手に追加注文をし始めた。

自分たちのテーブルだけが、追加注文の嵐になり、

他の客から注目を浴びている事に気付き、

林と伊五沢はバツの悪さを感じて、

酒を飲むペースが上がったが、酔えなかった。

結局、二人はろくに寿司も食べられず、勘定にした。

 

店を後にして

散々食べつくした女子連は、満足そうにして、

「今度は、屋形船で天婦羅が良いですね?」

と言っていたが、聞こえないふりをした。

最近の若い奴は、限度をわきまえない。

先輩を立てるということをしない。

思わず、古株連中と同じことを思ってしまった。

しかし、美味しい食べ物には、貪欲で素直だ。

何だかんだと言っても、人間は「食」だ。

このキーワードは共通で、

世代間の溝を埋める、ポイントかも知れない。

そんなことを感じて、女子連を見送り、

伊五沢と飲み直しをするために、次の店へ向かった。

 

数日後、都内野球大会の、組み合わせが発表された。

20支店のトーナメント表を見て、古株連中は、

「新宿の初戦は、虎ノ門か?ここには、負けられない。

いつも売り上げ成績で負けているからな。

二回戦目は、上野か?ここも強敵だ。油断はできない。」

野球の強さを言っているのか、営業成績で争っているのか、

良く分からない会話で、盛り上がっていた。

 

一方、若手連中、特に内勤女子達は、

「なんで日曜日に、休日を返上して、

わざわざ、遠い球場まで、おじさん連中と、

野球しに、行かなきゃならないの?

この日は約束があるので、欠席ですね。」

と不評な意見ばかり。

 

社内で、様々な会話が飛び交う中、

営業から戻って来た後輩の了木が、

「あれ、その前日の夜は、

「屋形船の夕べ」じゃないですか?

林さんが女子連に頼まれて、

いつも仕事で世話になっている、

知り合いの、屋形船の親方に、

破格な値段でお願いし、

花火を見ながら、ディズニーの

夜景を海から楽しんで、

特別料理で、大宴会をやろうと、

計画している日じゃないですか?

僕も楽しみにしていますが、

若手女子連は、もっと楽しみに、

しているみたいですよ。」

 

林は、了木の言葉で思い出した。

そうだ、以前に若手女子連に、

「林さんは、下町育ちで、花火好き。

美味しい店も沢山知ってますよね。

それに、いつも屋形船に乗れて良いですね。

私たちはまだ、乗った事が無いんです。

一度で良いから、乗せて下さいよ。」

と頼まれて、手配していた事を思い出した。

 

また、岩手出身の伊五沢先輩からも、

「林、今度、屋形船で宴会さやると聞いだ。

面白そうなんで、オラも混ぜてくれ。

金はオラが出すから、心配すんな。」と言われたので、

この際おじさん連中も加えて、野球大会の前祝とするか?

と考え、早速、若手女子連に相談すると、

「ええ~おじさん達と、一緒ですか?

毎年の社員旅行でも、大騒ぎして、いつも大変な目に、

合わされてるから、考え物ですねー」

そこで、林が、

「屋形船は貸切にするし、

おまけに料金は全て伊五沢さん持ちだ。

豪華料理も、タダで楽しめるんだよ。

こんないい条件は無いだろう?」

と言うと、

「タダなら良いです。」と即答が有った。

近頃の若者は、やっぱり現金なものだ。

と、再認識した。

 

その後、野球大会の前夜、

屋形船の夕べの日となった。

伊五沢先輩のお蔭で、参加者が増え、

結局、支店長を含む上層部を除き、

若手を中心に、ほぼ全員が集まってしまった。

しかし、この日は、あいにく天気が悪く、

雨はまだ大丈夫だったが、風が強かった。

乗船場に集合した参加者達からは、

「この風で、船は出るのか?

波が高いと船酔いするぞ。

花火はやるのか?」

などの不安そうな声が上がっていた。

しかし若手女子連からは、

「今日しか無いんです。延期は考えられません。

ずっと楽しみにしていたんだから、

絶対実施して下さい。」の声、

これは、我儘なお客さんより強烈だ。

仕方ないので、林が船の親方に相談すると、

「若い女の子に、あそこまで言われちゃ、

俺も江戸っ子だ。しょうがない。

少々波が有っても出発しますよ。

それに今日は、刺身の舟盛や、天婦羅も、

特別良いネタを、仕込んでいるので、

もったいない。飲み物も飲み放題。

日頃世話になっているんで、

あんたの好きな日本酒も、用意してあるよ。

思いっきり楽しんでくれ。」

と言ってくれた。

 

一方古株連中は、船着き場のベンチで、

「俺は船酔いするのが嫌なので、

その前に酒で酔ってから乗る。

皆も酔い止め薬だと思って飲め!」

既にかなり酔っていた。

 

その後、覚悟を決めた親方の舟は、出航した。

乗船した一行は、既に船内で大騒ぎ、

女子連も、隠し持ってきた変装道具を身に着けて、

付け髭で、ラッパやタンバリンを鳴らして踊りはじめ、

日頃の憂さ晴らしに、酔っぱらったおじさん達にも、

化粧や、変装をさせて、楽しんでいた。

 

花火を見る為、船が沖へ向かい、

波で揺れが段々激しくなって、

てんぷらを揚げる、鍋の油も揺れ始めた。

豪華舟盛が並び、山もりの天婦羅が並んだ時には、

酒酔いのせいか、船酔いのせいか分からないが、

おじさんたちは、頭にネクタイを蒔いて、

一升瓶を抱えて倒れていた。

女子連も変装したまま、顔に刺身を乗せて、

窓辺でうずくまっていた。

結局、花火を見る前に全滅だった。

 

少々酔っぱらっていたが、

責任上、添乗員モードに戻った林は、復活し、

「これじゃ、いつもの社員旅行と同じだ。

いや、いつもよりひどい。」

と感じて、立ち上がると、

その横で、呆れ返って、

その状態を見つめる親方に、

「すいませんね。いつもこれだ。

沢山料理を用意してくれたのに、

誠に申し訳ない。」と謝った。

親方は、

「これじゃ、あんたも大変だね。

この人達と、毎日仕事してるんだろ?

折角だから、持ち帰れるように、用意するよ。」

と言って、奥へ行き、船は帰還した。

 

下船した時に、雨が降りはじめ、

三々五々に解散した。

 

今回のタニマチ役、先輩の伊五沢は、大いに満足し、

参加した女子連を、タクシー送り届け、

自分はまた一人で、歌舞伎町へ戻ったらしい。

 

豪華料理を楽しみにしていた後輩の了木は、

財布を落として帰れず、交番で夜を明かした。

しかし身に着けたリックの中には、

刺身や天婦羅の包みが満載だったらしい。

 

何とかタクシーを拾い、帰宅した林は、

自宅前で倒れ、降り出した雨の水たまりに、

顔を付けて、溺れそうになりながら、

「旅行会社の会社員、屋形船を楽しんだ後、

自宅前の水たまりで溺死する。」

の記事を連想して、これはいかんと、

最後の力を振り絞り、玄関を叩いた。

 

それぞれ、無事(?)に帰宅した様だった。

幸い、翌日の野球大会は、雨の為中止となった。

 

その後、社内の雰囲気に変化が出た。

古株連中は、若手の話にも、耳を貸し、

親身に相談を受ける様になった。

一方、若手女子連も、あんなに嫌っていた

古株連中との間に有った壁が無くなり、

なんでもストレートに相談し、

冗談を言える様になった。

 

毎年の強制的な、社員旅行とは違い、

今回、自発的に同じ船に乗った経験が、

「呉越同舟」とは少し違うが、運命共同体の様な、

仲間意識を目覚めさせたのか、

単なるストレス発散の、ガス抜きだったのか?

それは不明だが、良くなったのは事実だ。

 

屋形船に呼ばれず、何も知らない支店長は、

支店内の雰囲気が、改善させた様子を見て、

林に、

「君に頼まなくても、

支店内の雰囲気は、良くなって来た。

やはり、各人の予算数字を増やせば、

文句なんて、言ってる暇は無いんだ。

数字が一番効果的だ。」

と言って、一人で満足していた。

 

林は、

「やはり、人生は長い旅だ。

途中いろいろな事があるが、

ゆかいな仲間たちと、楽しい仕事を、

助け合って、一緒に出来れば

それだけで良い。」

そう思って、懲りずにまた、

明日からの添乗の準備に入った。

 

林の旅は、これからも続く。