第13章   メキシコ・・・ カンクン

 

かつて、パンアメリカン航空が、元気に飛んでいた頃、

「ビジネスクラス」と「エコノミークラス」の中間?に、

「クリッパークラス」と言う名の、座席が存在した。

 

成田~米国西海岸間は、航空時間が長く、日付変更線を超える為、

時差だけではなく、昼夜逆転になるので、体調を壊しやすい。

だから少しでも、身体に負担が掛からず、楽な状態で過ごしたい。

と思うのが、人情だ。

しかし、狭い機内では、そんな我が儘は通じない。

団体旅行の場合は、航空運賃が安い為、「エコノミークラス」、

また、うるさいので、席は奥の方に、追いやられる。

夢でも良いから、一度は「ファーストクラス」で、

ゆったりしたシートに座って、シャンパンと美味しい料理を、

試してみたいものだ。

せめて、「ビジネスクラス」でも良いと思っていたら、

そのチャンスが、とうとうやって来た。

 

今回のツアーは、或る企業の、優良顧客を招待する旅行だが、

その企業は米国系で、パンアメリカン航空と仲が良く、

海外出張は、全て、パンアメリカン航空指定だった。

その為、今回のツアー参加者全員の席を、ランクアップして、

「クリッパークラス」にしてくれた。

たまたま、人数も少なく、予約はスムーズに変更された。

 

今回の行程は、前半にダラスで企業訪問&研修、

後半はメキシコで、遺跡見学とビーチリゾートだ。

一行は、成田から空路で、サンフランシスコまで、

「クリッパークラス」でゆったり出来たので、

体力に余裕があり、元気に飛行機を乗り継ぎ、ダラス入りした。

 

ダラスはビジネスの町で、国内外から、ビジネスマンが多く訪れる。

「ケネディー大統領暗殺事件」があった為、少し印象が悪いが、

市民は、フットボールや野球を始め、スポーツに、人気がある。

また市長は、議会から契約で雇われ、成果を出さないと、

すぐに首になるシステムで、さすがにビジネスの町だ。

一行は早々に、アポイントが取れてる企業を訪問し、

相手側の役員と面談し、有意義な時間を過ごした、

またその会社の、ビジネスシステムの、研修を受けた。

昼間の充実したスケジュールが終了すると、夕食だ。

 

この町の夜に、少し変わった、有名なレストランがある。

今回の訪問先の社長が同行、招待してくれた店だ。

それは、「スターダスト」と言う名前の、ステーキハウスだ。

この店の、肉とソースの味も、評判が良いのだが、

驚くのは、その大きさだ。

ステーキ好きのアメリカ人でも、食べきれないで、残す程大きい。

そのステーキの大きさは、厚さ10センチ、大きさ30センチ四方、

百科事典一冊分位の、大きさに匹敵する。

 

それと、この店のもう一つの驚きは、

「ネクタイ」を絞めて、入店してきた人を、発見すると、

その人を、舞台上に引っ張り上げて、全員の目の前で、

その付けたままの「ネクタイ」を、大きなハサミで切り取る、

「ネクタイ」の公開処刑するショーだ。

 

このアトラクションは、非常に人気があり、

毎回盛り上り、一晩に何回も繰り返される。

西部開拓の歴史の中、「カーボーイ魂」のアピールか?

昼間は、「ネクタイ&スーツ姿」でビジネスをする人達も、

夜は寛いで、「ネクタイ」を取り、食事を楽しむ。

それが、ここのルールだ。とでも言いたいみたいだ。

ちなみに、「ネクタイ」を切られた人に対しては、

切り裂いた「ネクタイ」の代わりに、

後ほど、新品の物を進呈しているらしい。

今回のツアー参加者も、夕食のステーキは大満足だったが、

全部食べられた人はいなかった。

 

予定通りに、ツアー前半の企業訪問と研修を無事に終え、

一行は「ダラス」から、メキシコへと飛び立った。

 

久々のメキシコの空は青い。

ここは「テオティワカン遺跡」、「太陽のピラミッド」の上だ。

林にとっては3回目だが、何度来ても、その規模には感嘆する。

古代メキシコ最大の、荘厳なピラミッド群の中心的建造物だ。。

 

「これを造ったオティワカン人がどこから来たのか、

また、どこに消えてしまったのかは、今も解明されていません。

テオティワカンは平和的な神制政治を行っていたとされており、

宗教祭事を正確に取り決めるために、

高い数学、天文学の知識を操っていたとされています。

後に訪れたアステカ人たちは、

これこそ神々が建てた都市と信じ、

彼らの宇宙観ともいえる『太陽と月の神話』の舞台としました。」

と説明するガイドの話を聞きながら、

林は、さっきから、夜の食事場所の事を考えていた。

添乗員には、ゆっくり観光を楽しんでいる暇などない。

 

「マリアッチ広場」付近の店で、賑やかに楽しく過ごすか?

それとも「荘園レストラン」でゆったり寛ぎながら食事にするか?

どちらにするかを、さっきから悩んでいた。

そして結論を出した。

どちらを選ぶのでは無く、両方やろう、

予算は少しオーバーするが、折角だからお客様に喜んで貰おう。

支店長にまた文句を言われても、何とかなるだろう。

壮大な遺跡を見て、些か大きな気持ちになった。

 

今回は、或る企業のお得意先の招待旅行だ。

だから、社員旅行とは違い、内容も豪華で、予算も大きい。

その為、競争相手との、熾烈な見積合戦で勝ち取った仕事だ。

企画内容で、自分を選んでくれた担当者に、恥を掻かせる訳には行かない。

そう決めて、後でガイドに告げることにした。

 

宿泊ホテルは、市内を一望に見下ろせる高台にあった。

その名前も「エルプレジデンテ・チャペルデペック」(バッタの丘)、

メキシコはスペイン語で変わった名称が多いが、日本人には面白い。

 

これは裏話だが、

昨日チェックインした時に、林はまた荷物運びを急がせる為、

自分も大きなスーツケースを押して、エレベータが来るのを待っていたが、

なかなか来ないので、苛立ち、上に行くボタンを続けて叩いてしまった。

その時またキャップが外れ、ショートしてしまい、停電となった。

一瞬、昔バハマで起きた事が、脳裏に蘇ったが、今回は落ち着いて対処出来た。

ゆっくりフロントへ行き、停電はいつ復旧するのか?と尋ねると、

「すいません。直ぐに直ると思います。メキシコシティは、

停電が多いので、お客様にはご迷惑をお掛けして、申し訳ございません。」

との丁寧な返答に、いたく満足して、

「町全体の事情なら、仕方がないね。貴方のせいじゃない。」

と労い、余裕でその場を離れた。

 

*これも余談だが、林のニックネームは「ガウチョ」だが、

もう一つの裏の名前は「ショートマン」と呼ばれていた。

 

本台に戻り、

 

メキシコシティの夜は、最初「荘園レストラン」で豪華なコースを食べ、

その後「マリアッチ広場」へ行き、ギター演奏のグループの曲に合わせて、

全員、赤い「ソンブレロ」を頭にのせて、「テキーラ」で乾杯し、

大いに盛り上がった。

 

いつものことだが、皆が食事中に、明日の予定をガイドと相談して決め、

食事が終わった時に、発表するので、添乗員はゆっくり食事を取る暇はない。

その為、ホテルに戻ったら、近くのコンビニへ行き、夜食を買う。

これはこれで、細やかな楽しみだ。

この夜は、「コロナビール」と「トルティーヤ」を買い、

部屋の窓辺から、夜景を見ながら、味わった。

 

ツアーは予定通りに進行し、

今回のツアーの目玉の「カンクン」へと向かった。

太平洋側のアカプルコより、此処を選んだ理由は、

ユカタン半島のカリブ海に面した、高級リゾート地であり、

延々と続く白い砂浜に、青い海が、好印象だったのだが、

何と言っても、近くに「チチェン・イツァ」遺跡がある事である。

 

林も数々の添乗で、世界中の遺跡を見てきたが、ここは別格だ。

ユカタン半島には、マヤ文明の遺跡が、たくさん存在し、

付近にも、同様な遺跡は点在するのだが、ここが一番だ。

 

メキシコシティの「テオティワカン遺跡」や、

ペルーのインカの遺跡、ナスカの地上図、

エジプトのギザの「ピラミッド」等は、

砂漠の中にあり、遠くからでも見えるので、

事前に認識して、だんだん近づくが、

ここは緑のジャングルの中に、突然出現する、

マヤ遺跡の代表的なピラミッドがある。

 

「チチェン・イツァ」遺跡の入口を通過し、しばらく歩くと、

まず初めに見えてくるのが、「カスティーヨ」だ。

マヤ遺跡の中でも、最も有名なこの神殿で、

実はこの建造物自体が、一つの「巨大なカレンダー」になっている。

階段は全部で365段なので、「暦のピラミッド」とも呼ばれる。

最上段の神殿から周囲を見渡すと、一面が緑の海、

人工物が一切見えない、緑の水平線だ。

その迫力に圧倒され、暫し時間を忘れる。

 

あまりぼんやりとしていたら、ガイドから急かされ、

慌てて、次の場所に追いつくと、次の説明があった。

 

球戯場

マヤ遺跡には必ず、ゴムボールを使用して、サッカーのように、

争い合う為の、球戯場があるが、ここのは、特に大きい。

試合が白熱するほど、雨が降り、豊作になると信じられていたらしい。

勝敗で、生贄になる者が決まったそうだが、勝った方か、負けた方か、

現在でも、はっきりしていないようだ。

 

セノーテ

また、遺跡の周囲には、川や湖が無い。石灰石の岩盤が陥没して、

地下水が露呈した天然の湖(セノーテ)が唯一の水源であった。

それを宗教儀礼に用いられるようになり、

雨が降らない時や豊作を願う時、

財宝や生贄の人間が投げ込まれたという。

事実、後にアメリカの探検家がこの泉にもぐり、

人骨やたくさんの財宝を発見した。

 

天文台

「天文台」は岩の上に建てられ、中心部に螺旋階段が作られており、

ドーム部の縦に細長い窓は、天体観測における重要な照準線で、、

現代に引けを取らない程の、精密な観測をしていた。

 

*筆者の想いが強すぎて、つい長い説明が入ったことをお許し下さい。

 

ガイドの案内も終了し、出口へ向かう途中、

夕暮れが近づき、ピラミッドが夕陽で輝いた。

数人が、また「カスティーヨ」に上がり、

頂上から、その壮大な日没を眺めた。

林も同行して、一緒にその感動を分かち合った。

 

「チチェン・イツァ」遺跡の観光も無事に終了して、

ツアーは「カンクン」の有名ホテルに到着、

既に夕食時間は過ぎていたが、到着が遅れた為、

一時間遅くしてもらい、各人部屋に入り、

シャワーを浴びてから、夕食を取った。

この日は、バゲージ運びはスムーズで、

ショートマンの出番は無かった。

 

夕食は、メイン食堂でのバイキングだった。

このアメリカ系で、世界中を網羅した、ホテルチェーンでも、

ここは、最上クラスに属する。

食材も豊富で、サラダコーナーでは色とりどりの野菜が並び、

ステーキコーナーでは、好みの焼き方、ソースの種類が選択できた。

 

特に卵焼コーナーでは、古株の専属の料理人がいて、

焼き方は、オムレツ、スクランブル、ミルク入り、等を選ばせ、

ソースもケチャップだけでなく、何種類もの中から選ばせるのだが、

一番力を入れているのは、目玉焼きだ。

普通に卵を割り、殻から中身を出して、フライパンに落して、

片面だけ焼くのか、ひっくり返して両面焼きにするのか?

黄身の硬さは、硬め、半熟、レアー?

 

サービスもそれなりに、洗練されており、申し分なかった、

さすが、数年前にサミットで使われただけの事はある。

 

翌朝、散歩の為、ホテルのプライベートビーチへ、

このホテルはビーチの入り口に、マヤ遺跡の彫刻象があった。

勿論、レプリカだが、この配慮が嬉しい。

 

外に出ると、真っ白な砂浜が延々と続いている。

そこに、カラフルなパラソルが、一定の間隔で並び、

パラソルの下には、ビーチチェアーが在り、

サイドデスクには、トロピカルドリンクを置いて、

水着にサングラスを掛け、バカンスを楽しむ人々、

まさに、絵にかいたような、リゾートの風景だ。

 

その中で、林も人々と同様に、チェアーに横たわり、

ビーチの事を考えた。

 

世界中のビーチで、一番美しい場所はどこだ?

と、誰かに聞かれたら、

 

非常に迷うが、林は「カリブ海のビーチ」を選ぶ、

マイアミ、キーウエスト、バハマ、キューバの北カリブ、

メキシコ、ユカタン半島を含む、西カリブ

コロンビア、ベネズエラ等の南カリブ、

ハイチ、ドミニカ、プエルトリコ等の東カリブ、

沢山の島々、個性的な民族、多様性の文化、

一つの海で、これだけの要素を含む海は、カリブだ。

まさに、「カリブの海賊」が活躍した地域だ。

ここを観光で巡る、クルーズは楽しそうだ。

今度、ゆっくり参加してみたいものだ。

 

クルーズなら地中海、夕暮れで、海がワイン色に染まる時、

そんな海から、突然「ポセイドン」が現れそうな光景を、

体験できる、エーゲ海クルーズ。

 

白夜の中、北欧の国々と地域、

コペンハーゲン、ストックホルム、ヘルシンキ、

を周る、バルト海クルーズ。

 

夕陽と言えば、マラッカ海峡。

マレーシアとインドネシアの間にあり、

ペナン、クアラルンプール、シンガポール

のそれぞれの夕焼けは素晴らしい。

 

そう言えば、

先日タイの「パタヤビーチ」で、「パラセイリング」をしていたら、

その夜、地元の「アルカザール」と言う名の劇場へ、

とても面白いから、是非行こうと、連れて行かれた。

実はこの劇場は、「おかまショー」で有名で、

出演者は皆、本当にきれいな、「おかま」ばかり、  

ショーの最中に、いつも決まった席に、座った人を指名して、

舞台に上げて、皆でからかって、楽しむ嗜好だが、

今回は、なんと林が指名され、舞台に連れて行かれた。

そして、誰かの手が、林の服に掛かろうとした時、目が覚めた。

 

林は不覚にも、眠ってしまったのだ。

だが夢の中で、僅か数分間だけだが、世界旅行が出来た。

何故か得した気分になれた。

 

終日自由行動でも、こんなにゆっくり、過ごせた事は無い。

 

慌てて、仕事であることを思い出し、敷地内の見回りに出かけた。

参加者一同は、思い思いの事をして、楽しく過ごしていた。

それぞれに合った、マリンスポーツや、のんびり日光浴、

近くの水族館や、ショッピングに行く人もいた。

 

高級ホテルで一流のサービスを受け、贅沢な時間を過ごして、

十二分に「カンクン」を楽しんだ一同は、

大満足で、帰国の途に着いた。

 

しかし、林は何か物足りないものを感じた。

正直に言って、今回の添乗は、非常に楽だったのだ。

飛行機は予約も完璧、席もゆったり、おまけに時間通り、

現地のガイドもベテランで、全て任せて安心だった。

ホテルも、食事も申し分なく、文句も出なかった。

はっきり言って、林がいなくても、問題なかったのだ。

だから今回の添乗中、自分は暇を持て余し、ボーとしていた。

これでは、添乗員のいる意味がない。

そんなことを感じていた。

 

後日、久々に出社して、上司に報告にしたところ、

今回のツアーは、参加者からのアンケートでも評価が高く、

ツアーを企画した企業側からも、感謝の言葉が寄せられた。

との話を聞いた。

 

そんな状況の中、支店長は、3階の営業マンデスクの間を、

うろうろしながら、林の側にやって来て、

「林君、今回のツアーは、大分良かったみたいだね。

お客様から、多くの手紙が届いていると、聞いてるよ。

それに、契約先の部長からも、感謝の電話があり、

次回のツアーも宜しくとの事だ。私も鼻が高いよ。

この調子で、頑張ってくれ給え。」

と珍しく機嫌が良く、林を褒めた。そして、

「今日のランチは、ステーキでも行きますか?」

と誘い、近くのステーキハウスへ連れて行ってくれた。

勿論、一番安い、千円ランチメニューだったが、

滅多に無い事なので、林は感激した。

食事をしながら、今日は数字の事では無く、

自分の若い頃の、添乗話をする支店長に

この人も以前は、皆と同じように、

散々苦労して来たのだと実感し、

この日は、何故か共感を覚えた。

 

夕方営業から戻り、これを聞いた先輩の佐藤は林に、

「おい聞いたぞ。あのケチな支店著が、

昼飯をおごってくれたんだって、

それに、今回のお前のツアーは、

珍しく何事も無く、終わったらしいな。

だけど何もないで、すんなり行くと、

「つまんねえ」だろう。

何か、「やりがい」と言うか、「活躍場所」が無いと、

添乗員としての、存在意義が無いというか?

俺たちが、居なくても良いとなると、

これから、どうなるのかねえ。」

と話しかけて来た。

 

それを聞いてた、後輩の了木は、

「佐藤さん、そんな心配は無用ですよ、

佐藤さんがいるだけで楽しい、居ないと寂しい、

だから、添乗員は佐藤さんじゃなきゃダメ。

って指名で来る、お客さんが多いじゃないですか。

佐藤さんは人気者だから、安心して下さい。」

と言ったので、

 

それに答えて佐藤は

「ありがとう了木君、褒めてくれて、

しかし、それじゃ、俺は太鼓持ちか、芸人か?

確かに、歌は上手いし、女性にはもてる。

英語は出来ないが、海外だっていけるぜ。」

と答えた。

 

了木はまた

「それに比べて、僕なんかには、指名は来ないですよ。

僕の代わりに「契約添乗員」でも、全然問題ないですよ。

彼等は知識も経験も豊富だし、安心して任せられます。

全国的にも、彼等を使う支店が、増えてるみたいです。

うちの支店長なんかは、

添乗行ってる時間を、セールスへ回せば、

もっと数字が上がり、営業成績も上がるから、

ドンドン使えって言ってます。」

 

これを聞いてた林は、

「確かに効率だけを考えたら、双方が有効だね。

大型団体で、人手が足りない時なんかは、特に便利だ。

また、行程が決まっていて、不特定多数が集まる、

一般募集のシリーズものなんかには、最適かも知れない。

 

だけど、我々が担当する旅行は、そもそも中身が違う。

大量販売する企画ものではなく、一本一本特注だ。

最初、旅行の目的・意義を共有するところから始まり、

担当者と何度も、打ち合わせをして、一緒に旅を作る、

オーダーメイドの、高級商品を生み出す職人のような存在だ。

その際、大切なのは、担当者とのコミュニケーションだ。

また、「旅行は水もの」予定通りに行かない事もある。

途中で何かあった時でも、旅行を成功させる為に助け合う、

チームワークが必要だ。」

と珍しく力説した。

 

これを聞いて了木は、

「そうでした、僕がいなきゃ、旅行は成り立たない。

お客さんだっていますよ。まだまだ少ないけど、

特に、料理の話は、僕の得意分野ですからね。

今度は「グルメ探訪ツアー」を、シリーズで企画してるんです。

日本全国「食い倒れ巡り」、現地でなきゃ味わえないやつ、

その次は「世界絶品グルメツアー」ですよ・・・」

と話し出したら止まらない。

 

遠くでこの会話を聞いていた官庁チームの原から、

「林君、さっきから、君らの話が耳に入ってくるけど、

君は何か大きな勘違いを、しているようだね。

添乗員の仕事は、法律でも定められている通り、

「旅程管理業務」を遂行することだ。

旅行が予定通り、進行しているか、状態をチェックして、

管理する事が、一番大切な役目だ。

だから、予定通りに進行して、問題が起こらないなら、

特別な事をする必要もなく、のんびりしていれば良い。

それは良い事なんだから、気にする事では無い。

この際、言わせてもらえば、民間チームは詰が甘い。

事前チェックが、ズサンだから、問題が起きる。

いつも、こんなことをしてると、これからも大変だぞ。」

と真摯なアドバイスを貰った。

しかし、それだけでは無く、それに付け加えて、

「ただし、お宅らのメンバーなら、多少は何かがあぅても、

平気でやり過ごし、ミスを逆手に、お客さんを巻き込んで、

楽しい思い出に、変えてしまう、マジックを使う様だ。

役所には通じない方法だが、時々羨ましいこともある。」

と少し楽しそうに語った。

 

こんな会話をしながら、林は佐藤に

「原さんが言うように、うちの人たちは、大丈夫ですよ。

百戦錬磨の軍団ですから、何があっても大丈夫。

この先、バブルが弾けようが、仕事の方から付いてきますよ。

こんだけ、ユニークな面々が揃ってる、チームは無いですから、

お客さんだって、離さないですよ。」

と答えた。

 

すると佐藤が、

「まあそういう事だな。俺たちはどんな状況でも、生きていける。

今までいろんな事を乗り越え、不可能を可能にしてきた。

これからも、同じようにして行くしかない。

それには、チームワークが大切だ。

人間同士の、最良の「コミュニケーション」は、

「飲みにケーション」だ。そうと決まれば、

林、了木飲みに行くぞ!付いて来い!

旅行商品造りの名人、「人間国宝、佐藤勇次」の

ワンマンショーを見せてやる。」と言って、

またいつものようにように、川向う(歌舞伎町)へ繰り出した。

 

後から、春田が、

「勇次よ、この頃冷たいぞ、同期を誘わないなんて、

榎本から聞いて、飛んできてやったよ。金は無いけど。」

と言って、当然のように、春田、榎本の二人も合流、

 

また、官庁チームの浅野、原も

「林、自分達だけで行くんじゃなくて、

たまには俺達にも、声をかけろよ。」

と言って、特別に参入、店は大いに盛り上がり、

カラオケパブは、貸切状態になった。

 

そして、どこで聞いたか不明だが、

なんと前章の落下傘部隊ツアーで登場した

海軍出身の「杉田顧問」までもが、

「林君、了木君、君たちは上官を差し置いて、

自分達だけで、楽しんでいると聞き、立ち入り検査に来た。

どんな状況か、報告したまえ。」と笑って参入。

店内は「夜の緊急特別作戦本部」の様を呈し、

英語の歌が響き渡り、宴もたけなわになった時、

 

有ろうことか、中村女史が率いる、1階カウンターチームが、

顧客である「おかま倶楽部」のママと乱入した。

中村女史は、

「春田さんが、勇次さんが林さんと飲んでるって言ってたから、

いくつか探したけど、ここだったのね。やぅと見つけたわ。」

と言って、へべれけ状態だった。

 

新規メンバーの参画で、店内は再度盛り上り、

杉田顧問は、「おかまのママ」と肩を組んで、

了木と三人で「マイウェイ」を謳い、

その後、タンゴを踊り始めた。

 

佐藤はカラオケメドレーで

「北国の春」「帰って来いよ」「東京だよおっかさん」

原は「北島三郎メドレー」

浅野は「セーラー服と機関銃」

春田は「山口百恵メドレー」

榎本は「憧れのハワイ航路」

中村女史は、「テントウ虫のサンバ」

の後に、突然の婚約宣言をして、

一同、びっくり仰天、大騒動、その後また、

大盛り上がりで、気が付いた時は、朝になっていた。

 

林はいつもの

添乗員の歌(軍歌、月月火水木金金の替歌)を

杉田顧問、了木と肩を組んで熱唱していた。

 

♪ タンタランタ、タンタランタ~~

長崎鼻へ、函館山へ

   西へ東へ 旅から旅へ

光る腕章 00観光

   旅の男の添乗業務、月月火水木金金

船は出てゆく、テープは切れる

   別れ別れの 別府の港

  涙流しちゃ カモメが笑う

   旅の男の添乗業務、月月火水木金金

夢は広がる世界の空へ

   霧のロンドン、ワイキキの浜

  にっこり笑った パリジェンヌ

   旅の男の添乗業務、月月火水木金金 ♬