第12章 シンガポール・・・タイガーバーム

 

林の客層は広い、おそらく新宿支店の営業マンの中でも、

一番多いかも知れない。

普通の営業マンは、得意な業界で顔を売り、

同業他社への紹介で営業先を広げる。

しかし、林の場合は、趣味の世界や飛び込み営業で広げてきたので、

自ずと、多種多様な業界にまで及ぶ結果となった。

またバブルの時代は、どこの業界でも、旅行の話があった。

新入社員の頃、上司の紹介で歌舞伎町のクラブの社員旅行を皮切りに、

歌舞伎町の飲食店や、商店街の組合組織、信用金庫や、証券会社、

酒類の問屋組織、建築会社、不動産会社、数えたら切がない。

世代的には、高齢者も元気で、老人会、戦友会関係も多かった。

 

若者関係では、

最近は、専門学校の夏期留学セミナー、特に語学関係は人気がある。

行先は、ニュージーランドやオーストラリアが多い。

短くても一か月間に渡るので、林自身が添乗する余裕はないので、

契約添乗員を使うことになる。長期間の滞在中には、色んな事が起きる。

先日は、オーストラリアに滞在中の添乗員から、朝早く電話があり、

「週末の自然体験オプショナルツアーを実施中に、

モーターボートに乗って海辺の森へ向かったところ、

スピードが出過ぎて、ボートが木の上に飛び乗り、

引っかかったままなので、どうしたら良いですか?」

など、信じられない相談まである。

 

とにかく旅行は「水物」、何が起きるか分からない。

何が起きても、当たり前、そんな覚悟で対処するしかない。

 

その中でも、特に気を使う団体が一つ有った。

医療関係の団体ではあるが、全国学会や国際大会でもない。

正式な組織団体でもなく、あくまで民間組織、ボランティア組織、

組織と言うより、サークル活動、仲間の会と言った方が良いかも知れない。

「ガン患者の友の会」である。

最近ガンにかかり、手術を受け、リハビリ中の患者の会である。

ガンは手術を受けても、再発する可能性があり、二年間は安心できない。

定期的に検査を受ける必要があり、その間は不安の日々が続く。

そんな不安の中、同じ状況にある患者同士で、悩みを語り合い、

お互い励まし合う「仲間の会」だ。

 

リハビリも終わり、普通の生活に戻っても、

不安は決して拭い切れないばかりか、付いて回る。

体力回復や増進の為、適度の運動も必要だが、

精神的リハビリには、旅行が最適だ。

日常の空間から離れ、未知の世界を体験する。

全く違う気候風土、異文化に触れれば、

新たに沢山の刺激が得られ、興味が湧き、

自ずと前向き思考になる。

これが旅行の魅力だ。

 

定期的の旅行に出かけ、お互いの元気な顔を確認して、

綺麗な景色を眺め、美味しいものを食べ、励まし合う事を

目的として、がん患者の友の会「のぞみ会」が発足した。

 

その会の幹事役の運送会社の社長が、林のお得意さんだったので、

その会の旅行も、自然と林が担当となった。

この運送会社の社長との出会いも思い出深い。

それは一本の電話から始まった。

或る日、一階のカウンターに電話が入り、

忙しいカウンターの責任者、中村女史から電話が回された。

「林さん、何か中国の「山海関」へ団体で行きたい

というお客さんから、問い合わせの電話が入っているんで、

あんた、電話に出てちょうだい。中国と言へばあんたでしょ?

こっちは忙しいので、お願いね!」

と言われて、そのまま電話を繋がれた。

こっちも忙しいのだが、お客さんを待たせる訳にはいかない。

渋々電話に出ると、

「君は中国の専門家なんだって、さっき電話に出た女の人がそう言ってたが、

中国の「万里の長城」の始まり、第一の関「山海関」を知っているだろう?

今度久しぶりに、そこへ仲間と行きたい。

詳しく相談したいので、今日来てくれ。」

といきなり言われた。

たまたまその日は、出版社の募集旅行の打合せと、

印刷会社の社員旅行の打合せがあり、

同じ方向なので、寄ることにした。

 

運送会社の経営者と聞いて、荒っぽい人を想像していたが、

会ってみると、横塚社長は恰幅の良い、温和な人だった。

話を聞くと、昔、中国の「満鉄関係」で中国に住んでいて、

戦後引き上げで、苦労して帰国し、戦後の経済復興の中、

運送会社を立ち上げ、現在まで、続けているらしい。

今回、その時中国にいた仲間と、昔懐かしい、思い出の場所、

北京・天津・大連・山海関を回る旅をしたいという希望だった。

丁度昼時の訪問となったので、社長手作りの、

「手打ちじゃじゃ麵」をご馳走になり、

美味しい烏龍茶を頂戴しながら、話を聞いた。

林も、今までの中国旅行の体験談や中華料理の話し、

大いに盛り上がり、意気投合した。

林も人間なので、気に入った旅行と気に入った人には、

特別に力が入り、全力で対応した。

その結果、参加者全員から、記念写真と感謝状が届いた。

そのなかでも特に好評だった出来事は、

北京で特別に、宿泊ホテルの大食堂の厨房まで入り、

この社長と手討ち麺づくりをし、参加者にラーメンを提供し、

大いに喜ばれた事だった。

しかし、この時、横塚社長は頑張りすぎて、腰を痛め、

林が慌てて、市内の鍼灸専門病院まで運び込んだという裏話もあった。

そんな付き合いの延長で、この度、この「のぞみ会」の仕事が

廻ってきた。

 

話がずれて、しまったが、本題に戻すと、

この会のメンバーの主治医は共通で、皆の全幅の信頼を得ている。

その先生と一緒に海外旅行へ行こうという計画だ。

先生は全国的にも有名で、沢山の手術依頼があり、

大変お忙しい方だが、この会のメンバーからの希望とあらば、

何とかスケジュールを調整して、全行程は無理だが、

その内の一日でも、参加してくれるという話だ。

 

今までは、もしも何か緊急事態が起きるといけないので、

国内の近場の温泉等で実施していたが、

今回は、参加者全員の体力も増強され、

海外旅行にも耐えられる自信が有るので、

是非、皆で海外旅行に生きたいと決まったそうだ。

 

横塚社長は、海外でも飛行機に乗っている時間の短い、

近場の台湾・香港辺りを提案したのだが、

メンバーは女性が多く、美しくて清潔な印象がある都市、

シンガポールに決まったそうだ。

 

長い説明が続いたが、以上の流れの通りで、

林は「のそみ会」のシンガポール旅行を、

安心・安全にしかも楽しく実施しなければならないという

「ミッション」を頂いた。

 

林が支店に戻り、「女性」「シンガポール」「がん患者」と呟きながら、

どんなプランが良いか考えて、残業していると、

いつもの通り、残業している営業メンバーも残っていた。

 

デスク仕事に疲れて、缶コーヒーを飲みながら先輩佐藤が、

「お前、今度はシンガポールか?

俺は、ハワイのポールと呼ばれる男、

女心は知り尽くした人気者さ、なんでも聞いてくれ」

と冗談交じりに、からかってくるので、

「佐藤さん、女性は花が好きですよね?」

それに応えて、

「そうさ、女心をつかむには、花が一番、

シンガポールは、何とかいう名前のランの花が有ったな。

大きな植物園も有ったような気がする。

そこでも連れて行けば、いいんじゃない?」

すると、同じく残業している了木から、

「林さん、シンガポールはマレー半島の一部だから、

一般庶民的には、チキンライスだけど、

露天で売ってる、タンドリーチキンも美味いですよ。

お祈りをして絞めた鳥と、しないで絞めた鳥は値段が違うそうですが、

見た目も、味は変わりません。

でもやっぱり、メイン料理は新鮮な海鮮料理ですよ、

それから、中華料理でも潮州料理が良いですよ。

女性は、美味しい物には、目が無いですから。

それからアフタヌーン・ティーも女性に人気ですよ。」

林は了木に、旅行マンとしての成長を感じ、

「了木君も一人前の意見を言うようになったね。

食べ物に関しては、見直したよ。」

と言うと、了木は

「林さんに、散々鍛えられましたから。」

と少し照れくさそうに答えた。

 

遠くでこの話を聞いていた「原主任」が、

「林君、そのがん患者と言うのは、どんな人達?」

と話に加わって来た。

ここで、原から声がかかるのは珍しい。

林たちの民間チームと違って、官庁チームはいつも別行動だ。

原は、そこのチームのベテラン営業マンで、

官庁関係の仕事「青年の船」に乗って添乗するので、

一年の半分は、支店に居ない。

 

林は一度、原の仕事を手伝ったことが有った。

「肢体不自由児団体」の海外旅行だった。

ポリオで身体に障害が生じ、手足が不自由になり、

車いす生活を余儀なくされている、子供達とその親達の団体が有り、

当時は、飛行機に乗ることも大変で、まして海外旅行は夢だった。

しかし、原はそれを実行した。

そのツアーの準備では、数々の課題があり、本当に大変だった。

一例として、航空会社の規約で、安全管理上、

1機に乗れる車いす利用者の数は限られている。

だから、2機に分けざるを得ないが、現地での団体行動を考えると、

ほぼ同じ時間に到着して、合流して行動できるのが良策なので、

違う航空会社を使うしかない。そして車いすの積み込み、

搭乗手続き時間を短縮する為の交渉も必要だった。

幾つもの難題を解決して、やっと出発までこぎつけた。そしてついに、

車いす利用の子供達と、その親たち十数組を、米国西海岸へ連れいった。

当時、八代亜紀の「雨雨降れ降れ、もっと降れ・・・」が流行っていて、

ロサンゼルスに着いた時、現地でも、珍しく雨が降っていて移動が大変だった、

と帰国の際、成田空港で出迎えを手伝った林に、話していたことを思い出す。

その原からの質問だった。

 

林が、事の成り行きと、今回の目的を簡単に伝えたところ、

原から的確なアドバイスをもらった。

「ガンを克服したと言っても、不安を抱えている人が多いはずだ。

今回は、1泊2日の温泉旅行とは違って、3~4泊と長くなる。

まして、海外旅行ともなれば、いつもの病院もない。

何かあっても、言葉が通じない。

現地で日本語の通じる医師がいる病院も、

事前にチェックしておいた方が良いよ。

添乗員とは、何かあった時に対処する為にいる存在なんだから。」

正にごもっともな正論で、反論できないアドバイスをもらい、

細部にまで神経を使い、注意して準備を進めた。

 

仲間のお掛けで、何とか自分でも自信の持てるプランが完成し、

幹事役の横塚社長の処へ、提案に行った。

コース表を見せて、詳細を説明したところ、社長から、

「良いねこのコース!これなら皆さん満足だ。

それと、私は「タイガーバームガーデン」へ行き、

軟膏を買いたいのだが、、行けるかね?」と聞かれたので、

「大丈夫ですよ、肩こり・筋肉痛に効く軟膏ですね。

小さな瓶に入った、トラの絵が描いてあるやつですよね。

赤と白があり、多少成分が違うようですが、

シンガポールが本元ですから、両方とも沢山売ってます。」

と答えた。

 

それと私からのお願いで、皆さんのプライベートに関わる事ですが、

参加者全員の「アレルギー」について、お聞きしておきたくて、

質問シートを作ったので、案内状と一緒に発送して良いですか?」

と横塚社長に聞くと

「それは構わないと思うけど、どうしてだい?」

と聞き返されたので、林は

「通常、参加申込書には「住所・氏名・連絡先・緊急連絡先」位までは、

書いて頂くのですが、

今回の皆さんは、自分の体調には人一倍、気を使っていると思うのです。

現地での食事は、美味しいものを用意しますが、

海鮮料理には、エビ・カニ等が含まれます。

甲殻類に対してアレルギーをお持ちの方には、違うメニューを、

また個人々々で飲む薬との相性もあります。

例えば、心臓関係の薬を常用の方に、

デザートで、グレープフルーツを出すのは危険ですので、

「スターフルーツ」等を用意するとか、

基本的な注意を払う事は当たり前ですが、

他の人が美味しそうに食べているのに、

自分だけ食べられないと、感じさせてはいけません。

自分に合った物を自由に選べる様に用意して、

しかもそれを自然にできる様に、することが大切だと思うからです。」

と詳しく説明した。それを聞いた横塚社長は、

「おお、そこまで考えてくれてたのか、ありがとう。

今回君に頼んで正解だった。宜しく頼むよ。」

と感激してくれた。

 

いよいよ出発の日となり、ツアーは予定通りに出発し、

シンガポール・チャンギ空港に無事到着した。

まずは市内観光で、観光客なら必ず行く「マーライオン」のいる場所へ行き、

そこで、「口から水が流れ出ているアングル」で、記念写真を撮り、

続いて、世界最大の洋ラン園がある「植物園」で、

何種類もの「ランの花」と、香りを満喫した。

途中、目に入る市内の街並みは、美しく、整然としていた。

市内中心部のラッフルズホテル等がある場所は、

英国の統治下だった、歴史的雰囲気も残っており、趣があった。

また、吸い殻、ガムなどを捨てると、罰金が取られるという噂通りに、

ゴミも無く、道路はきれいに清掃されていた。

 

予定の市内観光を終え、ホテルにチェックインした。

林は、全員の部屋番号に数字の4が付いて無いことを確認し、キーを配った。

それから、皆さんが疲れていると思い、

少し休憩してから、夕食へ出かけるようにした。

 

一日目の夕食は、海鮮料理だ。

場所は、港近くの夕日が臨める、シーフードレストランにした。、

新鮮な魚貝類等の海産物が、種類も豊富に並べられ、

エビ・カニなどが、生きたまま、沢山入ったの水槽が並ぶ、

それを見て回り、目で楽しみ、自分で選び、

焼くか、茹でるか、塩味か、しょうゆ味か、

自分好みの調理法を、指示できるシステムである。

これには全員、大いに満足し、自分に適した美味しい料理を、

お腹いっぱい満喫した。

 

ホテルに戻り解散して、各人三々五々に部屋へ向かった。

林も戻ろうとした時、横塚社長から声が掛かった。

「林君、このホテルの最上階のラウンジで、一杯やりたいのだが、

付き合ってくれないか?」

と誘われたので、一緒にエレベーターで上へ上った。

ラウンジから見える夜景は、素晴らしく、市内を一望できる。

そこで、飲み物を注文し、二人とも黙って、暫し夜景を楽しんだ。

注文したのは、もちろん「シンガポール・シリング」だ。

サマセット・モームが名付けたその名前は、

「美しいシンガポールの夕焼け」

先程の夕食時の夕焼けを、思い出しながらの一時だった。

「林君、実はこの頃、私の体調が思わしくなくて、

今回の旅行に参加できるか心配だったのだ。

みんなに心配を掛けてはいけないので、黙っていたが、

幹事役の私が、欠席となると、ツアーが成り立たない。

でも思い切って、来てよかった。

気分も晴れて、調子も戻って来た。

やはり、「旅はリハビリ」だね。

日常の生活から離れ、全く違う環境に来れば、

精神的にも、解放され、自由になれる。

みんなの明るい顔を、久々に拝めたよ。

明日の夜は先生も来てくれるし、楽しみだ。

私も昼間に「タイガーバーム」を買いに行くぞ。」

と、明るく話していた。

 

翌日は、思い思いに、好きなところへ、観光に行き、

ショッピングを楽しんで貰う為に、終日自由行動にした。

女性陣は、「オーチャード・ロード」へ行き、

ショッピングと「アフタヌーン・ティー」を楽しんだ。

横塚社長は、勿論「タイガーバーム・ガーデン」へ行き、

軟膏の瓶を、沢山買い込んで来た。その時の記念写真には、

大蛇を首に巻き、嬉しそうにして写っている横塚がいた。

 

夕方には、皆が全幅の信頼を寄せる医師の先生が到着、

先生を囲んでの夕食会は、ホテルの中華料理で催された。

久々の再会と、皆の元気そうな笑顔を見て、先生も嬉しそうだった。

色とりどりの鮮やかに飾られた前菜、

次から次へと出てくる料理に、舌鼓を打ち、

自然と会話も盛り上り、楽しい一時を過ごし、会はお開きとなぅた。

先生は多忙の為、もう明日の便で帰国する予定だ。

忙しい中、こんな遠くまで、来てくれる先生に、全員感謝した。

直接の当事者ではない林も、何故か一緒に感動してしまった。

こうゆう偉い先生がいるから、前向きに生きる、のぞみも湧いてくる。

まさにこの会の名前通りの「のぞみ会」なのだと、1人納得していた。

その後、ツアーは無事終了して、帰国した。

 

帰着後、出社すると、すぐに了木が寄ってきて、

「林さん、シンガポールはどうでしたか?

美味しいもの、いっぱい食べて来たんでしょう。

羨ましいですね、ところでお土産は?」

と聞かれたので、林が土産袋から、小さな瓶の入った箱を一つ渡すと、

「なんか、スースーする匂いがしますね。

これは一体なんですか?」

と言うので、林は説明した。

「これが本家・本元の「タイガーバーム」だ。

香港初め、東南アジア一帯の各地で、売ってるけど、

此処のが、一番効くそうだ。」

その話を、先輩の佐藤が耳にして、

「林、ちょうど良かった。俺にも2つ位くれ。

これから農協の役員さんと打合せだから、持って行って、

肩こり、筋肉痛に効きますから、遠慮なくお使いください、

つって言って、ゴマするんだ。いいから寄こせ。

三途の川も金次第、金じゃないけど、付け届けは大切だ。

これは、年寄りには人気があるからな。」

と言って、3個持って行ってしまった、

 

それを見て了木は、

「林さん、僕はこれより、チョコレートが良いな。

マーライオンの形で、中にナッツが入ってるやつ、

あれが結構美味いんですよ。

その袋に入ってるんでしょう?

僕にも下さいよ。そうそう、これですよ。」

と言って、勝手に袋を開け、中から持って行ってしまった。

 

林は、呆然と、事態を見ていたが、

ここの人間は、皆ハイエナか?

油断も隙もありゃしない。

しかし、今回は少しだけ世話になったので、

許すことにした。