11章 インドネシア・北スラベシ島(メナド)・・・海軍落下傘部隊

 

添乗員は楽しそうに見えるが、実は命がけの仕事だ。

そして芸能人もそうだが、親の死に目にも会えない。

仕事で世界中を飛び回るので、飛行機やバスの事故に巻込まれる事もある。

事実、それで命を落とす社員もいた。

しかし新宿支店の面々は、悪運が強いのか、幸い強情く生きている。

先日の「ガダルカナル島バス事故」でも、添乗員は生きて帰還した。

そのツアーの担当者の浅野から、林に話があった。

 

「林は戦友会の仕事が多いから、今度海軍OBの仕事を頼む。

場所は「メナド」、インドネシアの北スラベシ島だ。

ジャカルタから飛行機で行けば、そんなに遠くない。

それに帰りは、ジャワ島でゆっくり出来る。

お前の得意な「ポナペ」より都会だ。

支店長に相談したら、林が適任だと仰った。

太平洋戦争中に、陸軍は「パレンバン」に、落下傘部隊を降下させ、

海軍は「メナド」に降下させた。そして、その時か50年になる。

今回、海軍関係の戦友会や、海軍兵学校のOB会より、

「海軍落下傘部隊降下50周年記念ツアー」を企画しているので、

相談に乗って欲しいそうだ。嫌とは言わせないぞ、

先日の貸を返してもらう。この業界の掟だ。

明日にでも、担当の幹事さんの処へ行ってくれ。」

 

林は先輩の命を受け、反論出来ずに、黙って頷いた。

先日の借りとは、林の団体の飛行機予約が、オーバーブックで、

席が無くて困っていたところ、浅野の口利きで席が取れ、

しかも同じ料金で、ランクアップしてくれた事だ。

それに加えて、ニ丁目のオカマバーで監禁された時、

機転を利かせて、救出してくれたのも、この人だ。

これには感謝するしかなかった。

 

林は翌日、早々に幹事宅へ伺った。

「私が、海軍OBの杉田です。

話は既に聞いたと思うが、兵学校のOBと合同で、

今度「メナド」へ行くので、宜しくお願いします。

私は戦後インドネシアで、石油関係の仕事をしていたので、

現地の情報も詳しいだろうし、色々と人脈もあるので、

是非にと頼まれて担当になった。」

との挨拶を受け、恐縮して林が

「今回のツアー担当の林です。

若輩者ですが、宜しくお願い致します。

今回のツアーへの参加希望者は、どの位おられるのでしょうか?」

との問いに対して、

「バティック」(インドネシアの民族衣装の上着)姿で、

杉田氏は、ニッコリ笑って即答した。

「今回の作戦は百名です。本日の打合せ終了後、

直ぐに緊急招集を掛け、作戦会議を開きます。

今は年金生活で、のんびり暮らしているようだが、

戦中は正に命がけ、戦後も何とか生き抜いて、

あっという間に50年が過ぎました。

昔、海軍にいた連中はまだまだ元気です。

現代の若者と違い、鍛え方が違うのです。

私も戦時中に病気で倒れ、食べ物も薬もないので、

戦友にヤシの実の汁を点滴してもらい、

何とか生き延びました。・・・・」と、

戦時中の話が続き、林は黙って聞くしかなかった。

 

しばらくすると、今回のツアーの話に戻り、

「人間は必ず年を取る。親しい戦友も次々と鬼籍に入り、

段々自分にも、死期が近づいている事に気づくと、

残りの人生を悔いなく過ごしたいと思うのが常人だ。

しかし最近では、生きがいを無くし、前向きではなく、

昔の事ばかり考えている連中も多くなった。

そこで、何か前向きの目標を作ろうということになった。

それが今回のツアーの目的だ。

 

世間でよく聞く、陸軍などの戦友会のツアーは、

昔自分たちが派遣された場所へ訪問して懐かしみ、

亡くなった戦友の慰霊を目的とするが、

我々海軍は、もっとスマートに、効果的に成果を残したい。

インドネシアでは、日本軍は民衆に対して、悪いことはしなかった。

だから一般民衆からは支持され、親切にされた。

その思いに応えて、戦後になっても帰国せず、

インドネシアの独立運動に参加した者さえいた。

 

しかしメナドに降下した落下傘部隊は、事前に作戦が漏れ、

降下途中で敵に狙い撃ちに合い、半数以上が戦死した。

今回我々は、その事実を検証し、

その、時住民は何を思い、何をしたのか?

記録映画を作り、マスコミに発表する。

 

作戦本部は、ここに置き、

作戦参謀は、不肖この杉田がやり、

君はその補佐役とする。そして通信・交渉係も兼ねる。

記録班はテレビ局OBの・・・

取材班は新聞社OBの・・・

移動輸送班は運送会社OBの・・・・

食料調達班は食品会社OBの・・・

と組織図が出来上がっており、

作戦は完璧に計画済みになっていた。

もし当日までに、病気等で欠員がでは場合は、

予備候補が繰り上がる。・・・」

話はまだまだ続いていたが、

林の頭の中は、もう目いっぱいで、

 

「杉田さんこれは凄い、ここまでの計画が、

すでに整っているとは、驚きです。

計画が壮大過ぎて、まだ十分理解できないのですが、

私はまず何をすれば良いのですか?」

と尋ねると、

「これを、大統領あてに送ってください。」

と、宛先を英文タイプライターで打たれた文字が並ぶ

海外送付用の封筒を渡された。そして、

旅行スケジュールが明記された旅程票も渡された。

「このスケジュールで飛行機、ホテル、バス、ガイドも手配して下さい。

まずは見積もりですが、私がビジネスで行くとこんな金額ですが、

旅行会社のレイトでは、もう少し安くなるかな?

募集はしなくても、もうすでに参加者は集まっているので、

メンバーリストを渡すので、詳細が決まったら、

漏れの無い様、全員に連絡してください。・・・」

と鋭い指示が、確実に告げられた。

結局この日の打ち合わせは夜まで続き、

海軍式の乾杯で終了した。

 

翌日、出社すると、林は直ぐに浅野先輩に報告した。

「浅野さん、昨日杉田さんの家へ挨拶に行ったところ、

そのまま打ち合わせになり、夜までかかりました。

杉田さんは凄い人ですね。」と言うと、

「そうか、ご苦労さんだったね。

あの人は海軍でも相当偉かったらしく、英語もペラペラで、

戦後は海外の石油会社の役員もしていたらしく、

インドネシア政府の要人ともルートが有るらしいよ。

とにかく上手くやってよ。全て任せるから。」

と、言われて、気を引き締めた。

 

数週間が過ぎた或る日、林は支店長に呼ばれた。

「林君、落下傘部隊の仕事は順調かね?ところで、

その杉田さんが、来月から当支店の顧問になる事なった。

海外ビジネスのプロだし。人脈も広いらしいから、

君は顧問付と言うことで、下について良く勉強して下さい。

これで、海外の仕事も増えるだろう。

君の予算も上方修正しなければ。」と言われて茫然とした。

杉田さんは、翌月から本当に顧問になって着任した。

 

着任早々、林と後輩の了木が呼ばれ、

「林君、こういうことになったので、宜しくお願いします。

ここに作戦本部を置いた方が、効率的だ。

そしてもう一人助手を付けてもらったが、君が了木君だね。

作戦の実施まで100日を切っているので、これからが大変だぞ。」

と言われて、二人は緊張した。

 

後で了木から、

「林さん、聞いてませんよ、どうしてこうなったんですか?

第一インドネシアの料理で、僕が好きなのは焼きそばぐらいです。」

と聞かれ、林はやっぱり料理の話かと思ったが、

「私も知らなかったが、何か陰で密かに動いている物があるようだ。」

と答えるしかなかった。

 

時間はドンドン過ぎて、準備に追われる二人に、杉田顧問は、

自分のデスクの上に置いた、オリベッティの赤いタイプライターを、フル活動して、

次々に英文の書類を作成して、各所へファックスするように命じ、

自分は流暢な英語で国際電話を掛け捲った。

一時三階の事務所は、杉田の英語と笑い声が、独占していた。

 

他の営業マンたちからは、

「あの人は何者だ? あの年でベラベラ英語を話すし、

ハワイのアロハシャツにしては地味だが、どっかの日系二世か?

これじゃまるで海外のオフィスだな。うちは何時から商社になったのか?」

などと、皮肉を言われたが、杉田は全く気にしない。

 

先日、メナドのホテル手配で行き詰った時、

杉田は大統領の親戚に直接電話をして、

建設中の大規模ホテルを使用できる様交渉し、成功した。

地元のラジオ局や新聞社にも、取材の確約を取り付けた。

まさにスーパーマン的活躍だった。

それを見た了木は感心して、憧れの眼差しで杉田を見るようになり、

杉田の命令には、絶対服従する様になった。

 

時が過ぎるのは早いもので、いよいよ出発の日になった。

林と了木は100人分のパスポートと航空券を大事そうに抱えて成田空港に着くと、

今回の集合場所に、大きな旭日旗が数本翻っている。

その場所だけが異様な雰囲気になっている。

集合時間まで、まだ一時間以上もあるのだが、既に全員集合していた。

その旗の下には、水兵帽を頭に付けた、一人の老人が立っていた。

直立不動で、背筋をピンと伸ばし、何か遠くを見つめている要だった。

二人の到着を確認して、嬉しそうに杉田が近寄り

「あのご老人は、今回の最高齢者で、御年90歳、

まだまだお元気で、地元で水泳倶楽部を運営するだけではなく、

実際に泳ぎ、コーチまでされている。

落下傘部隊の生き残りで、今回のツアーには人一倍思いが強い。

だから、宜しくお願いします。」

と言われたので、林がその老人をよく観察すると、

長身の体は、まだまだしっかりしていて、一人で十分歩けそうだが、

お年の為、顔には深い皺が沢山あるのは当然だが、

耳の穴から長い毛が、ボッと飛び出している。両方とも同様だ。

これには驚かせれた。これで声が聞こえるのか?

心配になり、二人が傍に近寄り、声を掛けようとした時、

老人がこちらを向き、姿勢を変えたので、林は不覚にもその足を踏んでしまった。

しかし何の反応も無い。老人の靴は非常に固い軍靴だった。

その失礼を詫び、声をかけると、これも反応が無い。

今度は交代して、了木が口を両手で囲み、再び声を大きくして話しかけると、

やっと通じた。二人は不安そうに見合ったが、この時点ではどうにもならない。

 

時間より早いが、VIPルームで結団式を始める事にした。

林は団員を誘導して、そちらへ向かい、

一方、了木は搭乗手続きに向かった。

結団式をしている最中、了木が暗い顔でそっと入室して、林に伝えた

「林さん、予定のガルーダ航空、機材故障の為、欠航です。

どうしましょうか?」

「どうしましょうかって、どうしようもないだろう。

まあこんなことも有ろうかと思い、ジャカルタで1泊してから、

メナドへ入る予定にしてある。

今日がダメでも、明日の朝の便が確保できれば乗り継いで、

予定通りにメナドへ入れる。現地のスケジュールは変えられない。

何としても明日の便を確保しろ。」

と指示を出し、杉田の相談すると、

「分かった。作戦を変更する。これから全員に伝達する。

今後の計画を練り直し、新しい作戦を発表しよう。

まずは航空会社との交渉だ。私も後から応援に行く。

それから、このまま解散はするのは難しい。

何かいい策はないかね?」

それに応えて林は、

「飛行機の目安が付いたら、戦勝祈願を兼ねて

皆で成田さんへ参詣するのはどうでしょう?

その間に私が、今夜の宿泊ホテルの確保と部屋割りを用意します。

夕食は、最上階のパーティールームで懇親会を実施するのは、

如何でしょうか?」と提案すると、

「よし決まった。その手で行こう。

手分けして、この難局を打破しよう。」

と即決した杉田は、団員には待機を命じて、行動に移った。

 

その後、航空会社との交渉では、杉田がジャカルタ本社の、

社長と話を付けたらしいが、何とか明日のフライトを確保し、

今晩の宿泊も夕食会場も手配できたので、

杉田が、結果を団員全員に通達した。

「諸君、ガルーダ航空の機材故障で、本日の出発は明日に延期となった。

明日は一日遅れだが、ジャカルタで乗り継ぎ、国内線でメナドへ入る。

現地でのスケジュールは、予定通り実施するので、安心して頂きたい。

そして本日はこれから、今回の旅の安全を祈願しに、成田さんへ参詣する。」

と説明したところ、誰も異存は発し無かった。

 

林と了木は、毎年の「初詣臨団」で慣れた参道を、社旗を靡かせ、

何時もの様に、団体を誘導していると、了木が、

「本当なら、今頃ジャカルタに着いて、

市内観光しているはずだったんですが、

どうして、こうなるんですかね~?」と愚痴を零した。

すると、顔見知りの、「羊羹店やうなぎ屋」から、

「あれ添乗員さん。今日は何の団体?

何時もの様に帰りに寄って下さいよ。」と声を掛けられた。

無事に参詣が終わり、ホテルへ戻るバスを見送り、

一人残った了木は、当然「うなぎ屋」に寄り、「羊羹」を土産にした。

やはり「成田山詣」は、これに限ると、一人「悦」に入っていた。

その後の、夜のパーティーにも、しっかり参加していた。

翌朝、今度は予定通り、成田を出発した一行は、

ジャカルタで乗り換え、メナドへ向かった。

そこまで順調だったが、ここでまた事件が起きた。

メナド上空に差し掛かり、間もなく着陸と言う時に、

最高齢の、耳毛がはみ出している老人が、

何を思ったのか、急にシートベルトを外して立ち上がった。

乗務員がそれに気付き、慌てて止めに行ったが、

老人は既に、機体の出口付近に達していた。

林もその異変に気付き、乗務員の後を追った。

老人は何かを呟いて、出口の安全コックを、開けようとしていた。

その時やっと老人に追いついた、乗務員と林の二人は、

老人を背後から、羽交い絞めにして、床に伏せさせた。

それでも老人は、まだ同じ言葉を繰り返していた。

「戦友よ、遅くなったが、俺も降下する。待っててくれ。」

と繰り返し、繰り返すのだった。後から追い付いた杉田が、

「貴方はそれで良いかもしれませんが、そこを開けたら、

ここにいる100名が全員死ぬことになります。

貴方の気持ちは分かりますが、友の慰霊は、地上でして下さい。」

と諭し、説得して席に連れ戻した。

その結果、暫くして、搭乗機は何とか無事に着陸した。

着陸した時に目を覚ました了木は、

「林さん、何かあったんですか?」と聞いてきたが、

林は興奮が冷めやらず、答えるのも面倒で、無視した。

 

メナド市内の中心地、市庁舎前に到着すると、

赤いカーペットが引かれ、一行の歓迎パレードが始まった。

「さすが杉田さん、これを準備していたんですね?」

と林が尋ねると、

「そうだ、皆はこれを期待していたんだ。

敗戦の時期が近づくと、この街を逃げる様にして去った。

あの時の屈辱の思いが蘇り、今でも眠れない夜がある。

我々は連合軍には勝てなかったが、民衆は我々を味方した。

そして、欧米に長い間、植民地にされていた、この国の独立を助けた。

それを民衆は、よく分かってくれていたんだ。」

そう言う杉田の目に、涙が光った。

メインストリートのパレードが終了し、

いよいよ一行は、落下傘部隊が降下した、現場に着いた。

ここでも村人の歓迎が待ち構えていた。

ラジオの生中継が入り、インタビューが始まる。

亡くなった部隊の指揮官の娘さんが、

村長と親しく、抱擁し、握手するシーンは、

翌日の新聞でも、大きく取り上げられた。

団員全員が歓喜し、喜びに沸いた。

そんな中、ただ一人、広場の片隅にある慰霊碑に跪き、

涙を流す耳毛の老人がいたことも、見逃してはならないと、

林は記憶の奥に深く刻んだ。

その日のメナドのホテルも、新築で快適に過ごせた。

旅の目的は、杉田顧問の活躍で、大成功に終わった。

 

満足した一行は、帰りにジャワ島で休養してからの帰国となる。

言うまでもないが、ジャワ島にはいくつかの美しいビーチがあり、

その一つのビーチの、大型ホテルで滞在した。

翌日は終日自由行動なので、全員寛いでリゾート気分を満喫した。

林と了木が敷地内の見回りでビーチに出ると、

目の前の浜で、水遊びをする白人系の子供達を横目に、

ビーチパラソルの下で、サングラスを掛け、横たわり、

サイドテーブルの上には、トロピカルカクテルを飲んでいる人がいた。

外国人かと思い、通り過ぎようとすると、声を掛けられた。

よく見ると、杉田さんだった。

「これは顧問、ここにおられたのですか、ホテルのマネージャーから、

最近、ビーチで置き引きが横行しているので、注意する様にと、

アドバイスが有ったので、見回りをしているところです。」

と説明すると、

「そうか、それはご苦労。

それはそうと、君たちからの、報告書はまだだったね。

僕は昨日の内に書き上げた。ホテルに入ったら直ぐに洗濯、

そして夕食前に報告書を書き上げる。これが海軍の鉄則だ。

戻って後で提出しなさい。」と指示を受けた。

了木が、部屋へ戻る時、林に、

「これじゃあ、完全に顧問の部下ですね。海軍の一兵卒ですか?

それとも、下士官ぐらいに思ってもらってるんですかね。」

「まあ、報告書を提出させるとなると、下士官ぐらいかな?

この調子では、かえってからも大変そうだぞ。

支店内で、海軍魂の演説が始まりそうだ。」

と笑って答えた。すると了木は、

「林さん、ホテルの別棟に、スイス料理のレストランが在るのを、

見つけました。今晩は自由食ですから、そこへ行きませんか?

こんな南国のリゾートで、冷えたワインで、チーズフォンデュを

食べるなんて、滅多にありませんよ。」

林は呆れて、

「全く、お前は懲りない奴だな。」と笑って答えた。