第9章 ニューオリンズ・バハマ・・・「カリブのハリケーン」

 

或る日、いつもの「チョビ髭医院長」から呼び出しの電話が有った。

今夜8時に医院に来いとの事だったので、約束通りに訪問した。

すると、院長は仲間と麻雀の最中だった。

「来たか林君、ちょっと待っていて呉れ給え。」

それから1時間後、麻雀の休憩の最中に、

「後で国際電話を入れて欲しい。

アメリカのニューオリンズだ。

時差を考えるともう少しだな。」

そう告げると、また麻雀ルームへ戻って行った。

そう言えば、先日定期セールに来た時、

今度全米の歯科大会がニューオリンズで開催されると、

余談で話していたが・・・

今度の世界大会は南米アルゼンチンのはずだが・・・

とあれこれ考えていると、院長がやっと出てきて、

「今度、全米大会に出席する。

今回参加すると、名誉市民の称号がもらえるようじゃ。

これから、大会事務局へ電話する。

相手は君も何回か世界大会で会っているはずだ。

番号はこれだ。」

と言って、簡単なメモ書きを渡された。

「先生、世界大会は南米のはずじゃ?

全米大会にも参加するのですか?」

と質問すると、

「そうじゃ。全米大会の後、南米の世界大会へ参加する。」

この開催日を見ると、全米大会から世界大会までの間が

1週間ある。その間どうするのか?

恐る恐る尋ねると、

「ペルーに寄る、昨年カンクンでマヤ遺跡を見たので、

今度はペルーでインカの遺跡を見たい人がいる。

私は、ペルーには数年前に行ったが、

マチュピチュは、高山病になったのでもう行かない。

ナスカの地上図でも見るつもりだ。」

と何時もの様に、簡単に宣った。

「先生、今度はかなりの大旅行になりますが、

それに、旅行代金も百万近くになりそうですが、

参加者は集まるでしょうか?」

林が心配そうに尋ねると、チョビ髭院長は

「君、名誉市民証が貰えるのだ。

集まらない訳が無い。」

と自信たっぷりにほほ笑んだ。

「それより、早く電話をして、先方と話をつけなさい。」

と言われ、国際電話を掛けたが、

英検2級程度の語学力の未熟さと、

相手の南部訛の英語で話にならず。

翌晩、社内で英語が堪能な者を拝み倒して、

再度電話をしてもらい、やっと話が通じた。

社内で英語を流暢に話せる者は少なく、

翌日の海外添乗を控えて、忙しい中の依頼に

渋々対応してくれたが、夜まで待たせた返礼として

一杯おごる事になった。

この人は林が良く行く西口の焼鳥屋ではなく、

ゴールデン街が好きなので、贔屓のバーで、

バーボンをやる、ハードボイルド派だった。

新しいボトルを入れさせられ、

結局朝まで付き合わされる事になった。

彼は夕方出発の添乗なので、

1回自宅で一眠りする時間が有ったが、

林はそのまま出社した。

 

それを聞いた支店長が、

「林君、インド以来、歯医者さんの団体は絶好調だね。

一人百万の旅行、結構!結構!

大いに儲けて来てくれ。」

インドでの林の苦労も忘れて、上機嫌だった。

あれから数日徹夜で、やっとコースと見積もりが完成して、

手配も見通しがついたので、

再度、チョビ髭院長の処へ行くと、

「まあこんなもんじゃろ。

だが今度参加すると言っている岩手の院長が、

ペルーの滞在が長すぎる、折角カリブ海が近いので、

バハマに寄ってから行きたいと、言うのだ。

おまけに、他社の見積もりまで出して来た。

私も同感だと答えてやったので、

コースを少し変更して呉れたまえ。

それとも今回は他社に譲って、君は下りるかね?」

と言われ、唖然としたが、逆らえないので、

「何をおっしゃるのですか?

当然やらせて頂きます。

先生たちのご希望通りに変更します。」

と答えて、戻ってコースを作り直し始めた。

海外手配の担当者から、

「林、今度も大変なコースだな。

インドの時を思い出すなぁ~。」

あの時は国内線の予約が取れなくて苦労したよ。」

林はその時のことを思い出し、

「あの飛行機予約は、本当はリクエストのままだったのですか?

チケットにはOKと表示してありましたが・・・」

「そうさ、OKと書いとけば、交渉に有利だろ。

それを実際にOKにするのが、添乗員の仕事だ。

最終的に飛行機がダメでも、バスで行けたから、

良いじゃないか、結果オーライだ。」

その言葉を聞き、背筋がぞっとした。

この人はインド人より怖い。

この支店は営業マンだけではなく、

手配担当者も、恐ろしい人ばかりだ。

林は、所内を見渡し、久々に肝に命じた。

「この業界、人を信じてはいけない。」

それから、自分の担当の他の団体の準備も有ったが、

チョビ髭院長の再三の催促も有り、

また徹夜の日々が続いた。

正に「24時間戦えますか?」の時代だった。

 

その後、多少の紆余曲折があったが、

他社の見積もりを跳ね除け、受注出来、

募集人数も何とか集まり、ツアーは出発した。

まずは、米国南部のニューオリンズに到着、

林も、西海岸のロスやサンフラン、

東海岸のニューヨークやワシントンには何度か行ったが、

南部は初めてだった。

湾岸部は、大規模の港湾施設や「トムソーヤ」の蒸気船、

市内には「やけたトタン屋根の上の猫」で有名な、

市電が走るカラフルな街並み、

食事はケイジャン料理で、添え物にクレソン、

少々乱暴だが、ハンマーで殻を叩き壊した生ガキに、

レモンを絞るか、ケチャップをかけて食べる方法、

殻の破片が少し残っているが、豪快でアメリカらしい。

夜は黒人ジャズ発祥の場所、「フレンチクオーター」の

「ワンダラーバー」で生演奏を聴くなど、

観光らしい観光が出来、参加者一同、大満足だった。

翌日開催された全米大会には、特別招待ゲストとして参加、

昼間は市庁舎で「名誉市民の証書」と、レプリカの「町のカギ」

を市長から授与された。

夜は団長の永年の友人宅でホームパーティーという

ハードスケジュールだが、充実した日々を過ごした。

ニューオリンズの日程を終え、次はバハマへと向かった。

 

バハマの滞在は「パラダイスアイランドリゾート」だった。

大きく湾曲したピンク色の太鼓橋を渡ると、

島全体が一つの巨大なリゾート施設となっていた。

敷地内にはプライベートビーチが数ヵ所、

テニスコートが数十面、ヨットハーバーも幾つか有り、

大きな宿泊施設が数棟建っている。

のちに「007」の撮影にも使われたホテルだ。

中心部の宿泊者を迎えるフロントは広く、

多数のアクティビティの受付デスクも並んでいる。

チェックイン手続きをしたが、とにかく時間が掛かる、

リゾートなので、全てがゆったりペースだ。

それが、せっかちな日本人には耐えられない。

またこの施設に日本人が来るのは珍しいらしいので、

対応に慣れていないようだ。

手続き開始してから既に1時間が過ぎ、

これから滞在中のアクティビティの紹介をする

というフロント係の説明に、疲れているので、

早く部屋に入りたい、説明は後で聞くと言うと、

怪訝な顔をされたが、多めのチップを渡して切り抜けた。

待ちくたびれた参加者に、カギを渡して部屋へ行き、

休んでもらうことに事にした。

その際、ふと荷物置き場を見ると、

ポーターが一人もいない。

しまった!

各人に自分の荷物を持って行ってもらうべきだった。

このままでは各人のスーツケースは、

部屋まで届くのに、数時間かかりそうだ。

今までの経験から、参加者から直ぐにクレームが来る。

これは林が、それぞれの部屋に運んだ方が早い。

しかし、そうするとポーターの仕事を奪うことになり、

揉めそうなので、

マネージャにポーターを数人招集してもらい、

多めのチップを渡し、自分も手伝うので

早く運んで欲しいと告げた。

しかし、荷物の運び先の部屋番号と

名札を照合するのに手間取っているらしい。

そこで林がスーツケースに直接、白墨で部屋番号を書き、

手分けして運ぶことにした。

それでもかなり時間が掛かったので、

林は急いで自分の担当分のスーツケースを運び

エレベータへボックスへと向かった。

エレベータの動きまでが、ゆっくりだ!

思わず、イライラしてボタンを数回叩いたその時、

キャップが外れ、指から電気が走った。

感電したのだ。

その瞬間館内が停電となり、林は茫然とした。

ここで死んだら洒落にならない。

「バハマの豪華リゾートホテルで、添乗員が感電死」

思わず新聞の見出しを想像した。

それより、停電を起こした責任を追及されては、

大問題になる。

そうだ、先手必勝だ。

先に文句を言った方が有利だと判断し、

フロントに戻り、

「このホテルは一体どうなっているのだ。

エレベータが使えないのでは、荷物も運べない

早く、停電を解消してほしい。」

と、たどたどしい英語だが、

堂々たる態度で主張した。

すると、フロントの係が

「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。

自家発電装置がありますので、ご安心ください。

直ぐに復旧しますので、もう少々お待ちください。

その間、そこのラウンジで、トロピカルカクテルでも

お飲みください。」

と言って飲み物券をくれたので、

渋々承知したふりをして、待つことにした。

 

暫くすると、電気が復旧して、

エレベータも動き始めた。

林が荷物を持って各部屋に届けると、

「遅いよ、着替えたくても、荷物が届かないと、

何もできないよ。」

と文句を言われたが、林は先程の件は伏せて、

「そうですね、リゾートは何をするのも、

のんびりですから、ポーターに任せていたら、

何時になるか分かりませんので、

私が持ってきました。」

と説明すると、大いに感謝された。

 

夕食はシーフード中心の料理で全員大満足だった。

チョビ髭院長は調理長を呼び、その腕を褒め称えた。

そして明日の夕食も期待していると伝えた。

また林には、多額のチップを渡すように命じた。

 

料理長は、明日はハリケーンが近づき、

新鮮な魚が手に入らないかも知れないが、

全力尽くすと約束した。

 

翌日は、各人好きなアクティビティを選んで、

自由に楽しむことにした。

中でもトローリングを希望する数人は、

ヘミングウェイの「老人と海」の様に、

大きなメカジキを吊り上げると言って、

朝早くから出発した。

場所柄、キーウエストやキューバが近いので、

まさに絶好の舞台だ。

ところが、ハリケーンが近づき、

風が強くなり、海が荒れてきた。

昼近く戻って来る予定と聞いていたので、

船着き場まで、迎えに出ると、波に揺られたせいか、

皆,ほうほうの体で上陸した。

「皆さんお疲れ様でした。この波では大変でしたね。

ゆっくり休んでください。」

と釣果も尋ねず林が言うと、

鹿児島の先生が、ニッコリ笑って、指さしたのは、

船の横に括り付けていた大きな魚だった。

しかも半分しかない。

「これを刺身にして、夕食に出してください。

半分はサメに喰われたけど、まだ半分は残っている。

これだけあれば、人数分は十分でしょ。」

と言って部屋へ戻って行ってしまった。

残された林は、暫く考えたが、半分しかない魚を、

台車に乗せ、ホテルの厨房へ向かった。

調理長の部屋に行き、これを刺身にして、

夕食に出して欲しいと相談したが、

実はスイス人の調理長には

「刺身」の意味が分からなかった。

当時のバハマには、日本料理店は無く、

「寿司」と言うものを知らなかった。

そこで、料理長の事務室にある、「世界の料理大事典」の

「刺身」の項目を調べたが、それは存在しない。

仕方がないので、「寿司」のページを開くと、

そこに有る写真は、なんと「海苔巻き」だった。

料理長は、この魚をどうすれば「寿司や刺身」に。

なるのか想像できない様子で、

その方法を林に聞いたが、林も答えられず、

切羽詰まった林は、厨房に入り、

自分で魚を捌き始めた。

三枚に卸して、短冊を造り、

それをスライスして、大皿に並べた。

これが料理なのか?

と不思議そうにしていたが、

調理長も林のやった通りに作業を続けた。

林もやっと安心して、後を任せて、

夕食を待つことにした。

 

夕食時間になった。

今晩は調理長が特別に用意した料理と言うことで、

VIP用のパーティールームへ案内された。

全員が着席して、乾杯が始まり、

いよいよメイン料理の登場だ。

その前に、鹿児島の先生が、本日のトローリングの様子と、

波の高い中、苦労して釣ったことを説明した。

続いて、調理長が自慢げに胸を張って、

大きな蓋つきのワゴンを運んで来た。

蓋が外され、ドライアイスのスモークが漂う、

大げさな演出で現れたのは、

大きな銀のプレートに乗った、

正真正銘の「刺身の船盛」だった。

一同感激して拍手で称えた。

しかしよく見ると、刺身は大根のつま代わりに、

緑色の細い渦巻状の物の上に乗っている。

近くで見ると、茶そばをゆでた物だった。

その横に、ワサビが添えてあった。

「刺身にはワサビペーストが必要だと知り、添えました。」

との説明に一同はまた感激して、再度拍手を送った。

しかし、いざ「刺身」食べようとすると、

それに付ける醤油が無い。

レモン汁やケチャップソースが在るのだが、

生ガキを食べるのと違い、

これではどうも、日本人の口には合わない。

皆が困っている時に、林が動いた。

いつも身に着けているバックから何かを出した。

「さあ、キッコーマンの醤油です。

皆さん、これを使って下さい。」

これには一同さらに感激し、

調理長が用意した「ワサビペースト」を溶いて、

「刺身」を美味しそうに食べ始めた。

今回も色々あったが、アメリカでのスケジュールを終え、

いよいよ明日から、南米への旅へ向かう。

 

*続きは次の章へ

 

 

余談だが、

この話は、まだ日本人観光客が、ほとんど来ていない時の

カリブ海のホテルでの出来事だった。

翌日、ホテルの総支配人が、林の部屋に挨拶に訪れ、

「調理長から話を聞いた。君の年俸の十倍出すので、

是非このホテルで働かないか?」

という驚きのスカウトだった。

十倍ということは、一年間で、

十年分の給料を稼げるということだ。

ましてこの豪華大規模リゾートで。

今後、訪れる日本人観光客もどんどん増える事だろう。

大いに働き甲斐が有るし、このホテルは気に入っている。

一瞬、OKと言いそうになったが、断った。

「私は、添乗員という仕事が好きで、

お客様と一緒に、世界中を回るのが楽しい。

残念だが、一か所に長く留まるのは苦手だ。」

と返答した。

「そうか、残念だ。しかし気が変わったら、

いつでも連絡してください。」

と言って帰って行った。

 

更に余談だが、

林は後日帰国後、歌舞伎町の雑音の中にある事務所で、

いつもの様に残業している時、ふとこの話を思い出し、

一人でニヤニヤとしていたら。

それを見た岩手出身の営業マンの先輩は

「おめ~ぇ、何さ考えているんだ?

どうせエッチな事だべ?

サッサと仕事さを片付けて、

「ノーパンしゃぶしゃぶ」でも行ぐか~?」

と聞いて来るので、

「伊五沢さん、年俸十倍の仕事があれば転職しますか?

しかも職場は、カリブのリゾートで?」

と聞き返すと、

「そったら良い話、断る馬鹿はいねえ。

転職するに決まってるっぺ。あったりめぇだ。」

との返事を聞いて、

「そうですよね。そんないい話があればですけどね。」

と答えた。

一方、伊五沢は仕事を切り上げ、

林が一緒に行きそうもないので

「今日は、いつものフィリピンパブへいぐ。

溜まってる付けを払わないと、

おねえちゃんのサービスが落ちるでな。

この支店に転勤になって、山さ売っただ。

新宿は恐ろしい場所だあ~」と言い残して、

懲りずに、一人でネオン街へと向かって行った。

 

明日が提出期限の、競争相手5社に勝つ為の

企画書を、徹夜で作り続けた。