第8章  インド・ネパール

 

或る日、林は重要顧客の一人である、

歯科医院の「チョビ髭院長」と商談中だった。

この院長は、歯科業界では有名な人で、

毎年必ず、仲間を連れて、世界各地で開催される、

歯科医師の国際会議に出席している。

その為、海外の歯科医師達にも知り合いが多い。

そして、その旅行を担当しているのが林だ。

英検二級程度の英語で、会話より身振り手振りで

添乗業務をする林を、何故か気に入り、

毎回ツアーを担当させてくれる有難い人だ。

 

「林君、今度の世界大会は『マニラ』だ。

マニラだけでは、近くて面白くないので、

その先を回りたい。

何か良いプランはないかね?」

と聞かれた。

「そうですねぇ~。フィリピンには、

良いリゾート地が幾つもあるので、

そこで、のんびり過ごすのは、如何でしょうか?」

と答えた。すると院長は、

「君の発想は貧弱だね。話にならない。

もっとスケールの大きい事を考え給え。」

と言われ考えていると、

「例えば、ネパールやインドだ!」

と宣われた。

「ネパールと言うと、カトマンズやエベレスト、

インドと言えば、アグラ宮殿やガンジス川ですか?

少しマニラからは遠い様に感じますが・・・」

林の質問に、

「そうだ!その辺を回る、良いコースを考えて、

直ぐに待ってきてくれ。」

と言い残して、診察室へ行ってしまった。

残された林は、暫く茫然としていたが、

現実に戻ると、院長の話は、冗談ではなく、

本音で指示された様に思う。

近くで、二人の会話を聞いていた

歯科技工士さんは、

「林さん、また大変な事になったね。

言い出したら、誰の話も聞かないし、

反対したら大事だよ。

そういえば、先週院長の机の上に、

『インドとネパール』のガイドブックが、

置いてあったな。あれは本気だね。」

と他人事のアドバイスをくれた。

「やはりそうですか?

それなら、やるしかないですね!」

覚悟を決めて、会社へ戻った。

 

三階の事務所には、残業中の営業マンが数人残っていた。

その中で、上司の佐藤も、一応気にして待っていた。

「お疲れ!おまえの歯医者さん達は、

今度何処へ行く事になった?

サッサとコースと見積もりを作って、

今日もお前のおごりで、飲みに行こうぜ。」

といつもの調子で声を掛けられた。

「それが、ネパール・インドなのです。」

林の答えに少しだけ驚いて、佐藤が、

「マニラじゃないのか?

お前の得意なリゾートで、のんびりコース、

何処かの南の島で、服を着たまま泳ぐやつ、

今度はガンジス川で泳ぐのか?」

後輩の了木が続けて、言った。

「インドじゃ、カレーですかね?

あまり食欲がそそられませんね。」

林は心の中で、(皆好き勝手な事言って、人の事だと思って、

佐藤さんだって連絡船に乗り遅れて海に落ちたくせに、

了木の「アホ」は、中国で豪華料理を食わせてやったのに)

と思ったが、そんな冷やかしに反応せず、

企画書を作り始めた。

最終的に、日本を出発して、

マニラで国際大会に出席し、

その後、香港経由でカトマンズへ入り、

エベレストの遊覧飛行をして、インドに入る。

カジュラホ、バナレス、アグラ宮殿を回り、

ニューデリーで現地の歯科医院を視察して、

シンガポール経由で帰国するという、

壮大な企画となってしまった。

まさかそのまま実現するとは思わなかったが、

このコースを医院長に見せると、

「いいじゃないか!これで行こう!

君なら、やれば出来ると思っていたよ。」と、

あっさり決まってしまった。

一抹の不安を抱きながら、準備が進み、

いよいよ出発の日となった。

成田空港では、ポナペや中国の時とは違い、

大きな積み込み荷物が無かったので、

スムーズに手続きは完了した。

今回は長期の旅行となるので、

参加者のスーツケースも大きかったが、

それぞれの期待も大きかった。

 

何時もの事だが、この団体は、

空港のVIPルームで結団式をする。

参加者は、毎年全国各地から集まった

地元の名士で、大きな歯科医院の院長ばかり、

流石に海外旅行は慣れていると見えて、

皆、余裕が有った。夫人同行の人もいた。

冒頭は団長(チョビ髭院長)の挨拶で始まった。

「いや~皆さん、今回はマニラ大会だが、

そこだけでは詰まらない!

私は仏教徒なので、釈迦の生まれたインドへ行く。

皆さんも散々世界中を観光旅行しているが、

今回は、ブッダの歩いた道を辿る敬虔な旅だ。

心して、付いて来てください。」

と高飛車な発言をした。

毎回こういう挨拶をするので、参加者も慣れたもので、

「先生、大丈夫ですよ、皆付いて行きますから。」

「エベレスト、綺麗に見えるかな?楽しみだな。」

「インドは初めてだから、アグラ宮殿が早く見たい。」

など、口々に語り始めた。その中の一人が、

「出発前の腹ごしらえ、ビールでもやりますか?」

と言ったので、結団式は早々にお開きになった。

一方、言いたいことを言って、満足した団長は、

「どうじゃ林君、今回のメンバーは大人しそうだ。

前回は我儘な奴が多くて苦労したな。」

葉巻を咥えて、余裕の表情だった。

 

出発した一行は、まずはマニラへ到着。

翌日、国際大会に予定通り参加した。

チョビ髭団長は、禅宗の衣装と帽子姿で現れ、

人々の注目を浴びた。

日本人として連続参加の記録を持つだけあって、

海外の知り合いも多く、それぞれに挨拶して回った。

無事に大会参加を済ませた一行は、

翌日ネパールへ向かった。

カトマンズ空港に到着、入国手続きを済ませ、出口へ向かうと、

沢山の男達が、荷物に襲い掛かって来た。

必死に荷物を奪い、自分のタクシーへ乗せようとする。

林が必死に男たちを振り払っていると、

やっと現地ガイドが現れた。

何とか無事に、バスに荷物を積み込み出発した。

市内観光は、寺院を中心に回る。

ガイドブックに出ている通称『目玉寺』は、

予想外に沢山存在し、

地面からこちらを見ている巨大な眼は、

全てを見透かされているようで、怖ささえ感じる。

仏塔の周りには、何度も倒れ込んでは立ち上がる人がいる。

ガイドの説明では、ラマ教では体を前に投げ出し、

一歩ずつ目標に近づく方法で、巡礼をする人らしい。

それを見て林が、

「先生、あれは相当痛そうですね?

あの調子でやっていたら、いつまで経っても、進まない。」

それを受けて、チョビ髭団長は、

「それが信仰と言うものだ。

神や仏に近づく為には、自己犠牲が必要だ。

君もやってみたらどうだ?」

と、林に言った。

 

市内観光後、ホテルにチェックイン、

この団体はいつも、現地の一流ホテルが指定だ。

夕食が終わり、伝統舞踊を観劇中に団長が、

「林君、明日のマウンテンフライトは楽しみだね。

天気も良いので、エベレストも綺麗に見えるだろう。」

と言っていた翌日、

空港に着いたら、天候のせいで、

フライトが遅延するとの掲示が出ていた。

航空会社の担当者に聞くと、

「今日は天気が良いが、上空の風が強いので、

マウンテンフライトは無理だろう。

明日の予約に変更した方が良い。」

と言ってくれたが、

明日の夕方にはインドへ向かう予定だった。

「明日の午前中のフライトに変更できるか?」

と林が聞くと、

「問題ない、明日の午前中の2便に分ければ可能だ。」

と言われ、

意味ありの微笑みと共に、袖の下を要求された。

林は仕方がないので、百ドル札を渡すと、

もう1枚要求されたが、その男は

「私に任せれば、心配要らない。」と豪語した。

その言葉を信じて、マウンテンフライトは明日に変え、

時間が余ったので、ヒマラヤ連邦を見渡せる場所へ

バスでピクニックに出かけた。

ビューポイントで、紅茶を飲みながら眺める景色は、

壮大なスケールで、一同無言で感動していた。

翌日、インドへの移動の準備もして、荷物を積んで、

一行は再び空港へと到着した。

空港の掲示板は今日も「遅延」の表示だ。

それを見た林が、昨日の男に大丈夫なのかと確認すると、

「昨日がダメだったので、今日は予約が混んでいる。

貴方のグループは、午前中の便に入れて有るので、

心配するな。」

とのことなので、信じて待つしかなかった。

しかし、飛行機は一行に飛ぶ様子がない。

心配で再度確認に行くと、

「大丈夫だ、もうすぐ出発する。

少々遅れているが、安心して待っていろ。」

の一点張りの返答だった。

昼過ぎになってやっと1便が出発した。

その折り返しが2便で、残りがそれに乗る。

1便を見送り、2便の出発を待つ間に、林は男に

「昨日も言ったように、我々はこの後国際線に乗って、

インドへ行かなければならない。

2便が戻って来てからでも、

国際線への乗り継ぎに間に合うのか?」

と聞くと、男は昨日の様に意味ありの微笑みで

「国際線の担当者も私の友達だ。

貴方たちが間に合うように伝えておく。」

と言われて、また袖の下を要求された。

しかも昨日の倍も支払された。

何とか1便が帰着して、2便の搭乗が始まった。

1便で帰って来た団員は皆、満足そうな顔をして、

「お先にどうも、交代で次に楽しんで来て下さい。

機長室からの眺めは最高ですよ。」と言って、

機長のサイン入りの搭乗記念の色紙を大事そうに抱えていた。

「皆さん、私たちが戻ったら、直ぐに国際線で、

インドへ向かいますので、ここで待っていてください。」

と林は説明して2便に乗り込んだが、

既に国際線の出発時間の2時間前だった。

2便に乗った団員も皆満足そうに楽しんでいたが、

林は国際線の出発時間が気になり、一人でハラハラして

それどころでは無かった。

その後、2便が戻り、全員が合流して国際線へと向かった。

幸い出国手続きはスムーズに完了したが、

積み込む荷物チェックで、ウイスキー等の酒類が

検査で引っかかっていた。

林が説明しても、聞く耳を持たない様子。

既に国際線の出発時間は過ぎていて困っていたところ。

そこに何と昨日からの男が現れ、頻りにウィンクするので、

「これは必要ないのでここに置いて行く。

そちらで処分して下さい。」と言うと

とたんにスムーズに検査が終了した。

男の方を見ると、指を立てグッドラックポーズで、

こちらを満面の笑顔で見送っていた。

そんな事には、かまっていられない。全員で搭乗口へ走った。

何とか無事に国際線の飛行機に搭乗出来た。

ホッとして席に着き、時計を見ると、

時刻は既に出発予定時間を1時間も過ぎている。

しかし乗客は平然として落ち着ている。

機内はインド特有のタバコや香料の香りで満ちていた。

こちらでは「飛行機は遅れて当然」と思うのが常識らしい。

それを痛いほど体験した林であった。

 

飛行機の中では爆睡して、

あっという間に国境を越え、ベナレスに着いた。

既に夜なので、ホテルへ直行して、

全員客室でゆっくり休んだ。翌日は市内観光、

ベナレスはインド最大のヒンドゥー教の聖地で、

寺院も多く、ガンジス川で沐浴する風景で有名だ。

驚くことに、川べりで死者を火葬して、

その骨の粉を川に流している。

近くで洗濯している人も、沐浴している人も、

少しも構うことなく、平然としている。

この風景は、ずっと昔から続いているのだろう。

歴史や宗教を超えた、何か哲学的なものを感じる。

人間は如何に生き、死んでいくのか?

夜の食事会でも、そんな話題が出ると、チョビ髭団長が、

「諸君、エベレストも満喫して、いよいよインドに入った。

明日はアグラに向かう。釈迦の歩いた道を踏みしめて進もう。」

との挨拶が、本当に現実になるとは、誰も想像していなかった。

それは翌日の空港から始まった。

添乗員の林が、空港でアグラ行の国内線の搭乗手続きをすると、

航空会社の係員が、

「貴方のグループの予約は入ってない。」と言い始めた。

林は驚いて、予約がOKと表示されている航空券見せるが、

「それは正確ではない。

このコンピュータではリクエストの状態だ。」と言い張り、

一向に搭乗の手続きをしようとしない。

困った林は、先程空港まで貸切りバスで送ってくれた

今回のインド旅行全体の地上手配を任せている

ランドオペレータ会社のガイドに相談すると、

「昨日リコンファームした時は大丈夫でしたが、

それでは、私が交渉してみましょう。」

というので、航空会社のカウンターへ向かった。

戻って来たガイドの話では

「只今コンピュータがダウンしているので、

予約状況の確認はできない。

但しこの便は既に満席で、キャンセル待ち状態だ。」

と言っているらしい。

林は再度、予約OKと表示されている航空券を見せて、

早く搭乗券と取り換えるよう交渉したが、

「予約済の乗客分は、既に手続きを済ませ渡している。

貴方がこの便に乗りたければ、キャンセル待ちしかない。」

の一点張りで埒が明かない。

林が何か様子が違う、

ふとコンピュータの後に続く配線を見ると、

電源にコードが接続されていない。

わざと引き抜かれている状態なのだ。

林がそれを指摘するが、相手にしない。

その代わりに小声で

「どうしても乗りたかったら、一人百ドルよこせ。

今五人位なら、キャンセル待ちを繰り上げてやる。」

仕方がないので五百ドルを支払う代わりに

「残り七人分も何とかしろ。」と言って待つことにした。

出発一時間前になっても動きがない。

団員も不安そうにこちらの様子を見守っている。

林は気が気でないので、状況確認に行くと

「今、もう五人キャンセル待ちが繰り上げられる、

追加で五百ドルよこせ。」と言われた。

相変わらずコンピュータの電源は外れたままだ。

林はもう破れかぶれで、金を差し出した。

「支払う代わりに、残りの二人分を何とかしておくれ。」

と言い、カウンターの上で、手を合わせて、

神に祈るようにして待った。

そして出発10分前、

航空会社の男が、奥の部屋から出て来た。

「残りの2席はどうにもならない。

貴方のグループは2つに分かれて搭乗するしかない。

残り2人分は次の飛行機になる。」

その発言で林の頭の中は空っぽになった。

そこへチョビ髭団長が現れ、

「林君、仕方がないじゃないか。

仏の道を究める為には、試練が必要だ。

これも修行と受入れ、ブッタの歩んだ道を陸路で進もう。」

「団長、陸路をバスで、アグラまで行けということですか?」

「そうだ。あの航空会社は信用ならん。

このままでは、いつまで経っても先に進まん。

いいからバスを用意してくれたまえ。」

林は、空港まで送ってくれ、見送りまで待機していた、

手配会社のガイドを捕まえて、

「バスでアグラまで行けるように、

会社と交渉して、手配して下さい。」

と依頼した。

急な話でバタバタしたが、結局大型バスは手配できず、

先程の送迎用の中型しか用意できなかった。

しかも、このバスは長距離用ではない、送迎用なので、

車体は古く、ところどころに錆があり、走行中に軋む音がする。

トランクを中に入れる余裕がないので、屋根に積み出発した。

アグラまでの道のりは遠く、途中は砂漠ばかりだ。

また圏境に検問所のようなところが有り、

通行税の様に、チップを払わせられた。

幾つもの検問所抜け、昼過ぎに中間点に達した時、

ギシギシ、ズドーンと大きな音がして、

積荷と共に、天井が外れ落ち、青空が見えた。

幸いにも全員無事だったが、

落ちた荷物を車内に入れ、抱えるようにして、

走り続けるしかなかった。

屋根がないので、砂埃が直接車内に入る。

全員ハンカチやタオルで顔を覆い、

我慢していたが、理不尽な状況に、我慢できず、

数人の団員が怒り出した。

参加者は有名歯科医院の院長達で、通常は紳士だが、

我慢の限界に達した様で、添乗員の林を怒鳴りつけた。

「飛行機で1時間位の予定が、こんな状態で、

半日我慢して来たが、もう許せない。」

「全て君の責任だ! 

帰国したら、君を首にしてやる!」

など、怒り声が高まった。

しかし、人間怒り続けるのは体力がいる。

段々疲れて、その声は静まり、喉が渇いて、

顔の筋力が緩み、表情は薄ら笑い変わった。

その時、林は自分のトランクから「六甲の水」を

取り出し、全員に配布した。

先程、あれ程までに怒っていた人達が、神の前に跪く様にして、

林に感謝し、水を飲んだ。」

それからも砂漠の中を進軍して、

アグラに到着したのは、真夜中だった。

やっとホテルにチェックインすると、

一難去ってまた一難、

今度はフロントの係員が

「貴方の予約は昨日です。既に日が変わっていますので、

予約は無効です。」

と信じられない言葉を発した。

「事情が有って遅れたのは事実だが、

部屋は空いているだろう?

一流ホテルが、そんな対応をするはずがない。

予約通りに部屋を用意してください。」

と言うと 

「通常の部屋は、昨日来たお客様で満室となり、

既に空きが有りません。

スイートルームなら、全員分ご用意可能です。

当然、料金も高くなりますが。」

と言う呆れ返った返事が有った。

林自身も疲労の極致で、交渉する力も残って無かった。

「全員、長時間のバス移動で大変疲れている。

それしか無いのなら、それで良い、

早く用意して欲しい。」

と返答した。

流石にスイートルームは広く、豪華であったが、

シャワーを浴びて、倒れ込むように爆睡すると、

既に朝だった。

翌日はアグラ城を見学して、ニューデリーへ

移動したので、

豪華ホテルの滞在時間は、ほんの数時間だった。

出発前にチェックアウトして清算すると、

宿泊料金は、予定の数倍になっていた。

インド人は油断も隙も無い。

このままでは、この先、幾等金を取られるか分からない。

『インド人は絶対信用できない。』

こんなことを考えながら、アグラ城の見学をした。

世界遺産の宮殿は壮大で、宝石を散りばめた造りは、

感動ものだった。しかし宮殿に入る時は、

靴を脱ぎ、指定のスリッパに履き替える。

後で判明した事だが、

このスリッパが、強烈な水虫の温床だったらしく、

林も帰国した後、水虫で悩まされた。

 

アグラの観光は無事に済み、昨日怒っていた参加者も、

その日は満足した顔であったが、

寝不足で欠伸をしていた人が多かった。

予定通りニューデリー入り、市内観光を済ませ、

今度は問題も無く、ホテルにチェックインできた。

当たり前の幸せを、噛みしめ、安堵する林であった。

夕食は伝統舞踊を観劇しながらのコースだった。

その時に、チョビ髭団長が

「君、こんな退屈な踊りより、

もっと良いものは無いのか?

例えば、空中ヨガだ。

「インド王立アカデミー」が国立劇場でやっていると

パンフレットに書いてあるぞ。直ぐ手配したまえ。」

との仰せで、食後に空中ヨガを見に行くことになった。

とにかく、この団体は予定通りに行かない。

必ず、どこかで想像を絶するハプニングが起こる。

また、気分次第で、追加のオプションが発生する。

毎年の事で慣れていた積りが、現実は甘くない。

添乗員泣かせだが、これも修行と観念するしかない。

 

国立劇場では、身分制度によって、席が区別されている、

日本人は、白人の後の列へ案内させる。

ショーが始まり、最初は「マハーバーラタ」「ラーマヤナ」

といった伝統の踊りで、皆退屈して早く「空中ヨガ」が、

始まるのを楽しみに待っていた。

一時間経っても、それは始まらず、

全員居眠りをしながら待った。

やっと最後の演目でスタートした。

一人の男が舞台中央の座布団の上に座り、

何か呪文を唱え、瞑想に入る。

それからが長い。

30分ぐらいして、団員の一人が

「今、飛び上がったぞ!」と言ったので、

皆、目を覚まして、見つめた。

しかし、どう見ても変化が無い、座ったままに見える。

「寝ぼけて、見間違えたのだろう。これからだ。」

と団長が言い、暫く注目したが、

どう見ても、変化がない。

そして暫くすると、全ての演目が終了してしまった。

皆、飛んだ、飛ばないで、多少議論はあったが、

連日の疲れもあり、ホテルに戻り、早く寝る事にした。

 

余談だが、インドに入ると食事はカレーばかりだ。

高級ホテルでも、三食カレーバイキングが主体になる。

同じカレーでも内容により、十種類位は有るのだが、

カレーが得意ではないチョビ髭団長は、

テーブルにスプーンを投げつけ、

「もっとマシな料理は無いのか!」と怒る始末、

また、生水は絶対厳禁、

ホテルのサラダも、野菜を水で洗っているので、

余り食べないように、団員に注意を促していたのだが、

それでも体調を崩す団員が多かった。

しかし全員医療関係者なので、持参していた抗生薬で、

たいした問題にはならなかった。

 

翌日の市内観光では、定番のショッピングで、

宝石店巡りとなった。

今回のツアーでは、民族雑貨程度の土産しか無く、

これまで高価な買い物をすべき店は無かった。

毎年欧米で、高級ブランド商品を購入している、

参加者たちには、絶好のショッピングとなった。

案内した(林の旅行会社が提携している)高級宝石店では、

高価な宝石が飛ぶように売れた。

お蔭でそのコミッションで、多くの赤字になっていた

今回のツアーも黒字に転換した。

今まで散々文句を言っていた団員達も、やっと満足した様だ。

いよいよインド最終日の朝、

大阪から参加した団員の一人が、林の処へ来て、

「林さん、昨晩このホテルで、ダイヤモンドを買ったが、

お釣りを誤魔化された。早く返して欲しい。」

と言った。どうも理解できず、

「先生、このホテルのショッピング街にある店ですか?

だったら、その店へ行き交渉したらどうでしょう?」

と答えると、

「そうではなく、昨晩このホテルのロビーで、

コヒーを飲んで休んでいると、一人の男が話しかけてきて、

持っていたビジネスケースからダイヤを出し、

特別安くするから買わないか?と言われ、

品質も確かそうなので、買ってしまった。

支払は現金が良いということで、一緒に部屋へ戻り、

金を渡したが、どうも多く取られたようだ。

三百ドルばかりだが、取り戻して欲しい。」

との事、大体の経緯は理解でしたが、

出発準備でバタバタしていた為、

「先生、その男を見つけるのは無理ですよ。

よくそんな男を信用して買いましたね。

私が案内した店ではなく、このホテルの店でもない。

先生自身が自由時間に勝手に買った分は、

私の責任ではありません。」

と、つい軽い返答をしてしまった。

この言葉が癪に障ったらしく、急に腹を立て

「君の手配したホテルで起きた事件だ。

君の責任で、何とかしろ!」

と激怒する始末、仕方がないので、

「手配会社と相談して、出来る限りやってみます。

もうすぐ出発しますので、バスに乗って下さい。」

と促して、帰国する事になった。

 

帰国後、手配会社と何度かやり取りはしたが、

常識に考えても、金を取り戻す事は不可能だった。

その結果を大阪の当人を伝えると、

「あくまで、君の責任だ。私は諦めない。

徹底的に追及するぞ!」との返事、

それから毎朝、その件で林に電話が入るようになった。

毎朝の事なので、電話を受ける内勤の女の子も

「林さん、いつもの電話です。」

と、先方の名前も言わずに、回してくる始末だ。

林もいい加減に嫌気がさし、苦痛になった。

また、支店長宛にも何度か電話が有ったらしく、

林からの報告で、十分事情は理解してくれているが、

「先日、本社にもクレームを入れた様だぞ。

それに「インド政府観光局」へも電話を入れたみたいだ。

林君、君の客だ。あの大阪の先生を何とかしろ。」

と支店長からも言われた。

その後、数カ月に渡り、毎朝電話は続いた。

セールス前の忙しい時間にある定期電話は、

苦痛以外の何物でもない。

セールスの先輩の佐藤は、

「お前、相当気に入られているみたいだな。

恋人でもない人から、毎朝ラブコールか・

大したものだ。

それにしても、その大阪の先生も暇人だな。

よっぽどやることが無いのか、

奥さんに虐められて、その憂さ晴らしに

お前に電話してくるのか、しつこいね。

まあ、その内おさまるだろう。」

と、他人事の様に話す。

そして、或る時から、クレーム電話は無くなった。

やっと平穏な朝を迎える環境に戻れた。

数日後、「インド政府観光局」から電話があり、

「林さん、今回の大阪の先生の件は、ご苦労様でした。

この件は、当方で処理いたしましたので、ご安心下さい。

毎朝電話があるので、こちらも対応に苦慮していましたが、

先方の主張する金額を支払いました。

これで一件落着、もう電話は無いでしょう。

これに懲りず、今後もインド旅行を企画して下さい」

と言う内容だった。

電話が途絶えた事情に納得して、支店長へ報告すると、

「良かった、インドは良い国じゃないか。

これからも、どんどん企画して販売し給え。

今回の団体利益も、いつもの倍だ。

こういうツアーを売りなさい。

『お客様には満足を、会社には利益を』だ。」

その言葉を聞きながら、痒くて我慢できない程、

足の水虫が疼いた。林は心の中で、

「インドはもう懲り懲りだ。二度と行きたくない。」

と叫んでいた。