第6章 南太平洋の島ポナペ

 

そんな或る日、支店長に直々に呼ばれた。

直々のお呼びとなれば、転勤か客の苦情しかない。

先日呼ばれた先輩は、翌日から青森へ転勤した。

覚悟を決めて二階の支店著のデスクへ向かったところ

何か雰囲気が違った。

「君は、ポナペ島を知ってるか?

グアム、サイパンの先だ。

今度そこへ行く団体が有る。

そのツアーを担当してくれ。

君もここ数年、振休も取れずに頑張っているから、

南の島でバカンスだ。のんびりしてこい。」

と命じられた。思いがけない発言に

「ありがとうございます。ご配慮感謝いたします。

ハワイやグアムは散々行かせてもらいましたが、

ポナペとはどんな島ですか?」

と林が質問すると、

「そんなことは、私が知るはずがない。

一応、飛行機は飛んでるようだ。

自分で調べて、コースを作り、企画しろ。

これが団体の幹事さんの名刺だ。

近日中に訪問して打合せしてください。

一応バカンスみたいなもんだが、

仕事なので、会社への利益は忘れずに。」

と大ザッパな命令だった。

 

経験豊富な先輩に聞いても

「南の島はハワイが一番!

今度、農協の団体を連れて行き、ワイキキの浜で

盆踊りをやるだ。面白いだろう?

ポナペってどこだ?

そんな島の名前は聞いたこともない。

ホテルは有るのか?日本人は居るのか?

まさか、映画に出てくる南海の孤島で、密林の中で

原住民に襲われないよう注意することだ!」

 

海外手配担当者に聞くと

「コンチネンタル航空の『アイランドホッパー』と、

呼ばれる路線が、サイパンの先の島々を、バッタの様に

ポンポン飛び回る島の一つだよ。

ホテルも大きいのが一つ二つ有るらしい。

内の会社では行った人は居ないんじゃないか?」

との情報だった。みんなもよく知らないらしい。

パソコンも少なく、インターネットも無い時代だった。

電話帳の様な分厚い海外航空機の時刻表をめくり、

翌日は航空会社の東京支店へ行って、

資料を集めようとしたが、たいしたものはなかった。

 

数日後、支店長から受け取った名刺の団体の幹事さんと

アポが取れたので都内にある事務局へ訪問した。

そこには白髪交じりの刈上げ頭で、黒縁眼鏡をかけた、

少々小太りの、人の好さそうな、初老の人がいた。

「あんたが林さんだね、よく来てくれたね。

今度の担当で一緒に行ってくれるんだって、宜しくね。

ポナペは良い島だよ。私はポナペで小学生時代を過ごした。

ポナペの近年の歴史は、第1次大戦前後の三十年はドイツ、

太平洋戦争までの三十年は日本、戦後はアメリカが支配、

そして今は、ミクロネシア連邦だ。

島全体の形はパイナップルに似ている。

島は6つの村に分かれていて、住民は純朴、

占領下の日本は、この島では何も悪いことはしなかった。

故に、それぞれの首長(昔は酋長)も住民も親日的だ。

スコールが毎日の様に有るので、

世界で3番目に雨量が多く、水は豊富だが、

ダムが無く、水道設備は余り整ってないので、

川の水と、雨水が頼りだ。

全体的にとんがった山の様な島なので、

中心部の山から40本の川が有り、

海に注ぐその先は急に海に沈む。

だからスキューバダイビングには人気の島さ。」

と一気に島の説明を受けた林は感心して頷いた。

「ところで、新井さん、一緒に行く参加者は

どうな関係者ですか?」

それに応えて

「昔、日本政府の南洋庁の属する島に住んでいた人達と関係者、

ヤップ、パラオ、トラック等の島に住んでいた人達が中心だ。

皆、懐かしい思い出が有り、私も含めて、個人的には数年に一度は、

それぞれの島へ行ってるみたいだよ。

今回は、そんな人たちを集めて、ポナペ島で大会を開催する計画さ。

参加者は予想で全国各地から三百人ぐらいかな?」

それを聞いて林は

「三百人ですか?凄い人数ですね!

飛行機は分乗としても、ホテルは大丈夫ですか?」

それに応えて、新井は

「大きな近代的ホテルが有るし、小さなホテルもいくつか有る、

僕なんかは、知り合いの処でも泊まれるさ。

日本統治時代は、学校で日本語を教えていたので、

年寄りは日本語も話せるし、食事は和食屋も有るよ・・・・・」

 

とどんどん話が進み、その後、飛行機の予約も取れ、ホテルも確保できた。

ところが、大会の開催会場に多少の課題を抱えていた。

会場はホテルに近い、村の集会所に決まったが、

この集会所はトイレが無い。

急遽、会場裏に穴を掘って、その上に二枚板を渡して

代用することで決まったが、参加女性には難しそうだ。

そこで、日本から簡易組み立てトイレを持ち込む事になり、

航空会社と交渉をした。週に2便しか飛ばない、

おまけに大型ではない機体に、人とトイレを持ち込む交渉は難航した。

また、島内には大型バスは2~3台しかない。

それもスクールバスしかない。

大会開催には、島民が全面協力してくれる事になったが、

バスが足りない。そこで近くのヤップ島からも、

スクールバスを借りることになった。

準備期間は、あっという間に過ぎた。

出発当日、成田空港では持ち込みトイレのサイズが、

申告より大きいと問題になり、林が必死に交渉したが、

結局、持ち込めない事となった。

原因は予約時の海外手配と航空会社の間のやり取りで、

大きさの単位の認識に誤解が生じたらしい、

支店の海外手配担当者は210センチと伝えたらしいが、

航空会社の担当者は210インチ(5メートル強)と認識し、

「そんな大きいものは持ち込み荷物として、

飛行機には積めない。」と断られたらしい。

「外国人でこのぐらいの身長の人もいるでしょう?

この大きさは許容範囲でしょう?」

と海外手配が伝えると

「そんな大きい人は存在しない!

SF映画の『巨人の大国』ならの話でしょう。」

との漫才の様なやり取りが有ったようだが、

無事に決着したから大丈夫と聞いていたが、

当日の航空会社の空港カウンター担当者には最終的に

21インチ(50センチ強)と伝わっていたようだ。

「これじゃ、『小人の大国』か『犬小屋』サイズだ。

人間が使える大きさじゃないですよ。」

と出発時間が迫る中、説明しながら交渉したが、

最終的に今度は重量の問題で、

この飛行機には持ち込めない!と結論が出た。

 

交渉に破れて、落胆しながら戻った林に、

「仕方がないよ、世の中は思い通りにいかないものさ。

私たちの人生も、戦争で大きく変わってしまった。」

幹事も慰めの言葉に、救われた林であったが、

事態はこれだけではない展開が有るとは、

予想も出来なかった。

 

成田を出発して、一行はグアムで乗り継ぎ、

空路ポナペへ無事に到着した。

空港の建物は小さく、入国手続きはした記憶もないほど、

あっと言う間に税関検査へとスムーズに進んだ。

驚くことに、目の前の検査場は、

「あずまや」程度の簡単な建物で、

堂々と横をすり抜けられることが可能で、

平和な南の島は全てにおいて開放的だった。

 

一連の手続きが完了したら

バスに分乗してホテルへ向かう

途中、町の中心地を通り過ぎたが、

人口が少ない為、人影も少ない。

今回の宿泊先は幾つかに分かれるので、

まずは百人以上が泊まる一番大きなホテルへ、

海岸沿いの小高い岬付近に建つ近代的建物は、

グアムやサイパンにも遜色ない立派な物だった。

「写真では見ていました、大きなホテルですね。

海のきれいに見えるし、設備も充実してる。

これなら問題なく滞在できますね。」

現実にホテルを確認して、林は安心した。

幹事の新井は、

「こういうのも良いけど、ここは満室になっているので、

僕は昔ながらの『知人のホテル』を予約してある。

そこが一番落ち着くよ。林さんも一緒だよ。

これからそこへ行こう。」

参加者に振り分けたホテルを全部回り、

最後に着いた『知人のホテル』は、密林の中に散在する

ヤシの葉で屋根を覆い、丸木で柱と壁を組んだ簡素な、、

コテージタイプの施設だった。

新井の知り合いのオーナーが笑顔で出迎えてくれた。

自分の泊まるコテージに荷物を入れて、

改めて、室内を見渡すと、実に簡素な設備だった。

大きなベッドが一つ有るだけで、余分な物は何もない。

しかしそんな事は気にせず、林は何時もの調子で、

寝られさえできれば良いと思い、

他の事は考えずに、直ぐに打ち合わせに出かけた。

 

今回のメインイベント、夜の大会会場は、

村はずれの小高い丘の上の集会所だった。

気になったのは、電源施設が無いことだった。

しかし夜は松明を焚くので大丈夫とのことで、

下見は、村長の案内で無事終了。

その後、料理の説明が有った。

「皆さんを歓迎する為、数日前から野ブタ狩りをして、

バナナの葉に包んで、丸ごと蒸し焼きにしました。

丁度今夜には食べごろになります。」

片言の日本語でも、その説明は説得力が有った。

新井さんが村長に

「パンやバナナ、タロイモは沢山あるかい?

それから、シャカオも準備してある?」

そして林に

「私たちが子供の頃は、

村の各家に、パンの木とバナナが植えてあり、

女の人は、畑やらで、終日働くけど、

男の人は、海で漁に出る以外は、

高床式住居でのんびり遊んでいたな。

元々、太平洋の島々は、母権社会なので、

母親がしっかりしていれば、問題は無い。

昔々は、種族間で争いが有り、

人食いの風習もあった様なことを聞くが

もはや伝説みたいな話だ。

隣の島、トラック島では、今でも禁酒だ。

酔っぱらうと、やはり先祖代々の闘争心出て

事件が多かったらしい。」

それを聞いた林は

「この島でも禁酒ですか?」

この問いに新井は

「ここは大丈夫、安心して飲んで。

それに、ここでは米国産のビールが安い。

ミネラルウォーターより安いので、

皆、水代わりに飲んでいるよ。」

 

いよいよ夕方になり、大会本番、

参加者のいるホテルをバスが回り、続々と到着する。

会場下の駐車場で集合した人たちは、

懐かしい知り合いと談笑して、開場を待っていた。

会場へと続く上り路の両側には松明の列が並び、

神話の様な妖艶な世界を思わせる。

村長の合図で、村の娘たちが、出迎えに下りてくる。

皆、手には松明を持ち、下半身には腰蓑を付けているが、

上半身は裸で、椰子油を塗っているのか、

照り輝いている。正に別世界への入り口だ。

その娘たちの列に挟まれた一本の道を上ると、

やはり松明に囲まれ、まるでパルテノン神殿の様に、

ライトアップされた会場が浮き上がる。

木造だが中は広い、昼間見た時より壮大だ。

決められた席順に従い、全員が着席する。

椅子はないので、正座かあぐらで開会を待つ。

雰囲気に圧倒され、全員静寂の中で、

上座に座った大会会長の挨拶と、村長の祝辞で、

会が始まり、楽しい宴がスタートした。

 

半時後には、中庭で食事の提供が開始された。

一番人気の「豚の丸焼き」には順番を待つ列が出来ていた。

パンの実やタロイモの蒸した料理も人気があった。

当然、バナナをはじめ果物類はテーブルに積み上げて

食べきれないほど、豊富だった。

まるで夢のような、ガーデンパーティ会場で、

懇親会も盛り上がっていた。

そんな中、会場の裏手の方から悲鳴が上がった。

急いでその現場へ駆けつけると、そこは暗くてよく見えない。

手探りの状態で捜索すると、穴に人が落ちていた。

急遽作ったトイレだった。救助した人は幸いケガもなく、

無事だったので安心したが、その後が心配だ。

松明を持った一人に、そこの担当を任せる事にしたが、

あと何人落ちるか分からない。

「やはり、組み立てトイレを持ってくるべきだった。」

と、後悔する林であった。

会場内も、ガーデンでも賑やかな時間が過ぎ

宴もたけなわだが、閉会の時が近づいた。

会場内では『シャカオ』の儀式が始まる。

着席した一同に、村長から順番に、

大きな器に入った酒(?)を回し飲みする儀式だ。

少々粘り気の有る液体だが、少し経つと口の中の変化を感じた。

一巡すると、先程まで盛り上がって騒いでいた人達が、

皆無口になった。

林の口の中にも違和感があった。

舌が痺れて、上手く言葉を発することが出来ない。

これが『シャカオ』の威力だった。

盛り上がった宴席も、途端に静かになり、閉会となった。

後は全員、三々五々に帰るしかなかった。

後日、その正体を聞くと、

『シャカオ』の木の根っこを擂り潰して、

発酵させた物らしい。

ところ変われば、風習も変わる。

しかし、盛り下がる宴会の締めはここだけだろう。

 

ホテルに戻った林は、一日の疲れと汚れを落とすため、

シャワーを浴びようとした。

コックをひねり、頭から水を浴びたが、

ほんの数秒で水は止まった。

その後、何処をどうやっても、水は出なかった。

仕方がないので、諦めて寝ることにした。

タオルで体をふいて、ベッドに入ると、

時々何処かで、微かに「ぎゃあぎゃあ」と鳴く声がする。

多少気になったが、一日の疲れがドット出て、

深い眠りに落ちた。

翌朝目を覚ますと、ベッドのシーツの上に、

黒い点々が有るのに気付いた。

まるで、黒ゴマを蒔いたようだ。

それが何かと考えていると、天井に動く何者かを発見した。

よく見ると、数匹のヤモリだった。

壁にも、窓枠にも数匹いた。

改めて部屋中を見回すと、もっといた。

昨夜の鳴き声の主は、こいつだった!

そして、ベッドシーツの上の点々は、

こいつ達の「糞」だった。

一瞬、ぞっとしたが、納得せざるを得ない。

昨日はよく見ていなかったが、木造の建物は

隙間が多い、まして密林の中にあるのだから、

この類の動物の侵入は防げない。

ヤモリのエサは、ハエや蚊だ。

動く「蚊取り線香」だと思うしかない。

と自分に言い聞かせて、部屋を出た。

 

翌日の島内観光は

『ケプロイの滝』を観光し、水しぶきを浴びて、

また『大ウナギ』の生息する川淵では、

日本の池田湖の鰻より、大きくて太い鰻が、

ウジョウジョと沢山いた。

誰かが

「これを一匹捌いたら、百人分のかば焼きができる。」

と言ったが、

ガイドから

「ウナギは、神様の使いです。食べたらいけません。」

と諭され、残念がっていた。

こんな調子で、予定通りに進んだ。

参加者はのんびりした、島のリズムにも慣れ、

突然来るスコールをシャワー代わりに楽しんで

水より安い米国産のビールを飲みながら、

すっかり南の島の気分を味わった。

「これだけ雨が降るのに、水不足とは困ったものですね。」

この雨水を各家で貯めるだけではなく、

大きな「水がめ」を作って水道整備をすべきですね。

「ムダ」の反対の「ダム」が必要ですね。」

なぞと冗談を言って過ごし、無事に終了した。

 

翌日、いよいよ、この島を離れる日が来た。

今回も色々あったが、大会も何とか無事に終了し、

観光も楽しんで、次の島へ移動するのみとなった。

全員荷物をまとめて、空港へ向かい、

待合室で待機していたが、予定の時間になっても、

乗るはずの飛行機の影も見えない。

搭乗手続きをする為に、受付カウンターで

イライラしながら、係員が来るのを待っていた林だが、

中々来ない。受付を馴染める様子も見えない、

出発時間になって、やっと顔をみせた。

すかさず林が

「早く手続きを始めて下さい。」

と言うと

「飛行機は遅れている。もう少しお待ちください。」

との返事

「どのくらい遅れているのですか?」

との質問には、

「判りません。とにかくお待ちください。」

このやりとりは、30分毎に数回繰り返された。

一方、空港で待っているお客様からも林には、

「添乗員さん、いつまで待たせるの?

飛行機は何時来るの?」

と散々攻め立てられた。

数時間経っても、空港の係員の動きは無く、

全員待ちくたびれたて、無言の状態になった、

その時突然に、係員が現れ

「本日のフライトはキャンセルになりました。」

と、平然と言い放った。

全員、暫く言葉を失ったが、

「私たちはどうなるのか?

次の飛行機はいつ来るのか?」

と林が係員に問うと

「安心してください。宿は確保しております。

今晩の宿泊費は、我々の飛行機会社が保証します。

皆さんが昨晩泊まった同じホテルにお泊り下さい。」

との説明に

「確かに、飛行機が来なければ、

この島に来る人もいない。

この島の人数は昨夜と一緒だ。

ホテルも空いていて当然だ。」

変に納得するも

「今晩は良いとしても、

明日は飛行機、飛ぶのだろうか?」

との質問には

「明日は臨時便が出る予定です。

安心して、又明日お越しください。」

平然と説明するが、信用出来そうもなかった。

林は、ここで待っていても仕方がないので、

全員を連れて昨晩のホテルに戻った。

 

その後、幹事の新井と今後の対策を練った。

「新井さん、とんでもない事態になりました。

明日、飛行機は本当に来るのですかね?」

「林さん、航空会社を信じちゃいけません。

ああ言っては、いますが臨時便なんか来やしませんよ。

明後日の定期便まで待つしかないですよ。」

経験豊富な新井の意見に同意して

「そうすると明日一日は、どうやって過ごしますかね?

島内観光もすべてやったし、のんびり過ごしますか?」

その答えに新井からの提案が有った。

「林さん、ポナペにはまだ良いとこが有りますよ。

『ナンマドールの遺跡』でも行きますか?」

「新井さん、ガイドブックには書いてありましたが、

マングローブの林に覆われた、探検隊が行くような場所へ

行けるのですか?」

「島の裏側に在り、途中道が悪いので、普通は行かないが、

村長からボートを借りられれば、海から行けますよ。」

新井は直ぐに村長の処へ行き、ボートの手配を済ませた。

「とりあえず3艘は大丈夫そうなので、

1艘に8人総勢24人まで行けますな。」

との報告を受け、

林は明日オプションツアーを催行することにした。

 

翌朝念のため、空港に行き飛行機の発着を確認したが、

空港は静まりかえって人の気配もなく、

やはり新井の言った通りであることを確信して、

ツアーを催行した。

ボートで出発した一行は、探検隊気分だった。

小さな河口から出て、青い海を臨みながら、

海岸沿いに島を半周した辺りで、新井が

「皆さん、あそこのマングローブ林の先を見てください。

あの中に、『ナンマドールの遺跡』が隠れています。」

だんだん近づいて来るにつけ、一同の興奮は高まる。

やっと上陸できる場所を見つけ、足を踏み入れると、

固い石板だった。ガイド役の村人が、

「ここら一帯は、運んできた石板を積み上げ、

人工的に作られたものです。

何の目的で作られたかは不明ですが、

何かの儀式や、祭事を行った場所と思われます。

石板は海の中まで続いていて、過去の学術的探索でも、

かなりの規模であることが判明しております。

現在のような、科学技術も機材も無い時代に、

大きな重い石板を、何処から運んできたか?

その方法も解明されていません。」

流暢な日本語の説明にも感心したが、

その内容には、驚きを隠せない様だった。

いろいろな思いを馳せる一向に、林が

「これから暫く自由行動です。お弁当を配りますので、

気に入った所で休憩して、お召し上がりください。

但し、ご覧の様に岩板のある場所は安心ですが、

その先の灌木の地域は、足場が悪いので、

危険ですから、十分ご注意下さい。

それと、ゴミは捨てないで、お持ち帰り下さい」

と説明した。

一行は解散して、三々五々に分かれ、

それぞれ好きな場所へ向かった。

林は新井と遺跡の中心である石舞台の様な場所へ行き、

「さっきのガイドさんは日本語が上手ですね?」

「あいつは、私の小学校の同級生で級長だった。

名前も、日本名で『キヨシ』だ、

島にいた数千人の日本人より、

上手かったかも知れない。」

と嬉しそうに語った。

 

数時間が過ぎ、遺跡を一通り見学し、

満足した様子を確認して、林が

「そろそろ、スコールが来るかもしれないので、帰りましょう。

来た時と同じボートに乗って下さい。」

順調に出発して少し経ち、マングローブの林を抜け、

水辺の灌木の様な場所で、

林の乗ったボートのエンジンが停止した。

どうやら、海藻がスクリューに絡まった様だ。

操縦していた者が、海藻を取り除き、

再度エンジンを描けたが、動かない。

何度か試みるがどうしても始動しない。

ふと前を見ると前のボートは遥か先だ。

林のボートはしんがりだったので、

先に出発した人達は、この事態を知る由もない。

大声で呼んでみたが、届くはずもない。

動力を失った船は、ゆっくりと流され始めた。

「これはまずい!このままでは帰れなくなる!」

事態の深刻さを認識した林は

上着と靴を脱ぎ、海に入ってボートを押した。

操縦者も、男性客も協力した。

初めの内は浅瀬だったので、ある程度は進んだが、

深くなるにつれて、足は届かず、

仕舞いにはバタ足で押している状態になった。

人力ではエンジンに叶わない。

そのうち疲れ果て

船は海流に流され、漂うままとなった。

海に浮かんだまま、林の頭の中では

「このままでは、漂流して、最後は南太平洋の藻屑と

なってしまう。こんな平和でのんびりとした南の島で、

想像だにしなかった事故に遭遇するとは!」

参加者の最高齢者は

「人間はいつか死ぬ定め、

どうせ死ぬのだったら

わしはこの島で良い

自分が育った島だから

楽しい思い出の中で死にたい。」

などと言っていた。

 

全員が覚悟して、諦めかけていた時、

遠くからエンジン音が聞こえ始めた。

どうやら前を行ったボートが、戻って来てくれた様だ。

「助かった!良かった!」と全員が安堵の表情になった、

近づいてきたボートには新井が乗っていた。

「林さんどうしたの?

海水浴なら海パンで泳いだ方がいいよ。

あんまり遅いから、心配して来てみたら、

何かあったの?」

との問いに、声も出ず、思わず涙が出た。

最終的に、ロープで連結して、無事に帰還できた。

林は、後日反省として、

探検隊には万が一の事を考慮して

「トランシーバー」が必需品だと、肝に命じた。

 

いろいろあったが、ポナペを離れる日になり、

新井の言った通り、本来予定の次の定期便に

乗れることが出来た。

今回空港で搭乗手続きをした時も、

先日平気で嘘を言った係員だった。

ここには、この人しかいないらしい。

「ポナペは良い島でしょう?

2日間長く滞在出来て、ラッキーでしたね。」

との言葉に、林は唖然として、声も出なかった。

帰国後、新井の処に、支店長とお礼の挨拶に行くと、

「林さんありがとうね。大会も盛会に終わり、

皆とても楽しかったと喜んで呉れたよ。

特に「ナンマドール」が良い思い出になったらしい。

あんたが、ボートを押して泳いだ話が、噂になっているよ。」

とニコニコ笑いながら、数枚の記念写真と土産をくれた。

そのうちの一枚の写真に

大会会場の入り口で上半身裸の少女達に囲まれ

嬉しそうに、にやにやしている林が写っていた。

すかさずそれを見て、支店長が

「林君、随分良い思いをしたみたいだね。

海で泳いで、美女に囲まれ、最高のバカンスを

過ごして来たみたいだね。」と一言。

言い訳を言おうとした林を抑えて、

「それでは、今後とも我社よろしく、

旅行のご用命をお待ちしております。」

と言って帰社してしまった。

土産に貰った物はヤシの実の一種で、

濃い褐色で「マングローブココナッツ」と呼ばれ、

一見「アルマジロ」に、大きさも外見も似ている、

大きな鱗の様な、鎧の様なゴツゴツした物だった、

それは、林の会社のデスクの上に今でも飾ってある。