〈プロローグ〉②

 

旅行会社に就職した林は、新宿支店に配属された。

しかしその場所は、バブル真っただ中の歌舞伎町の入り口だった。

新入社員は雑用が多く、事務所のカギを任され、自ずと帰りは遅く

終電に間に合わないことが多かった。

それに加えて、先輩達からの強引な飲み会の誘い、

自宅に帰れる事は少なかった。

一年我慢したが、営業成績の悪い支店に新入社員の配属は無かった。

その後、辛抱の甲斐が有って、毎年後輩が数名入ってきた。

しかし待望の後輩達は現代っ子で、

「先輩、今日は用事が有るので、お先に失礼します。

カギを宜しくお願いします。」

と言って、林の返事を待たずに、サッサと帰ってしまう。

こんなはずじゃなかったと思いながらも、

出発間近の団体の準備に追われ、事務所の窓の向こうに溢れるネオン海と、

大音量でがなりまくる「・・・朝までお待ちしてます!」等の風俗店の宣伝、

騒音に満ちた歌舞伎町の夜景を背に、

一人で残業する自分の不器用さに嫌気がさしながら、

ふと入社以来の経験を思い出す。

歌舞伎町の客は、多種多様、おかまのママ、クラブの社員旅行、

ヤクザまがいの料理人、色んな人種がいる。

たまには旅行をして、気分転換、ストレス発散したい、

そう思うのも、人情だ。そんなお客さんの少しでも役に立ち、

良い思い出を沢山作り、楽しんでもらいたい、

その思いで、我武者羅に働いてきた日々だった。

お蔭で、国内はもとより、海外はヨーロッパまで、

多くの添乗経験も積めた。

入社する前まで、飛行機も乗った事が無い貧乏学生が、

一気に世界中を、飛び回ることができた。

入社試験の面接で、雰囲気も読まずに

「会社の金で、世界中を旅するのが夢です。」

と言ったことを思い出す。たまに用事で本社へ行くと、

偶然に会ったその時の人事部の面接官に

「穴の開いた靴下の林君か、君の夢は実現中だろう?

君の使命は、お客様には夢と楽しい思い出を、

会社には十分な利益と実績残す事だ。

体に気を付けて頑張って下さい。」

と言われた。

 

その通りと思いながら、月日は過ぎた。

この数年はあっという間だった。

スーツ姿のセールスにも慣れたし、

名刺の渡し方、相手との挨拶も板についてきた。

旗を持って走りまわった添乗員のジャケットも

着古して、体にすっかり馴染んでいる。

旅行終了時に「ありがとう!」と感謝され、

毎回ツアーにも参加してくれる顧客も出来た。

「林さんが添乗してくれるなら、この仕事を

お願いするけど、・・・」

との添乗使命も嬉しく、幸せだ。

 

また、滅茶苦茶な仕事を押し付ける先輩達、

一緒に添乗し、無事に業務を完了した後の、

「お疲れさん」の飲み会は最高だ。

いつもの安い居酒屋で、店に迷惑を掛けながら、

頭にネクタイを巻き、酔っぱらう先輩

何処か憎めない人達と過ごす時間は楽しい、

 

しかし、一人になると、自分の将来への不安や

生き方の方向性などが頭に過る。

先日も、珍しく添乗後に土産を持って自宅に帰った時、

父親から

「お前はこのまま今の仕事を続けるのか?

滅多に家に帰ってこないし、生活費も入れず、

給料は全て飲み代に使っちまって、

こんなのは、普通のサラリーマンとは違う。

遊び人みたいな生き方を一生続けるのか?」

と説教され、母親からは

「お願いだから、せめて人並みの勤め人になって

毎日帰って来ておくれ!土産は嬉しいけど

お裾分けした近所の人から、

お宅の息子さんは、今度は何処に転勤になったの?

って聞かれるんだよ。」と愚痴を零された。

自分でも少々落ち込んで、転職でもしようかと

考えた時期もあったが、山積みの仕事に追われ、

それどころではなかった。

「二十四時間戦えますか?」の時代だった。