第5章 新宿支店 パート3  3階営業マン

 

新宿支店の3階は営業マンだけの聖地だ。

前にも説明したが、個性豊かな男たちが揃っている。

その行動を見ているだけで、動物園より面白い。

それが3つの「群れ」に分かれて、活動している。

民間Aチーム、民間Bチーム、官庁チームの三班だ。

 

「年間予算達成」という目標、いや目標ではなく、

生きていく為に、野生動物が獲物を取る様に、

どうしても稼がなければならない宿命だ。

 

民間Aチームのリーダー片柳は、国鉄関係の仕事が多い。

特に臨時列車を仕立てて行く団体旅行、通称「臨団」、

の達人として業界では有名だった。

当時、丸の内に古い本社屋を構える国鉄の組織は、

営業部門として、北局、南局、西局に分かれていた。

当然、新宿支店は西局に属するので、

テリトリーは、中央線の新宿から西の部分だ。

 

昔から「臨団」は修学旅行の為の物とのイメージだったが、

初詣で成田山へ行く、初詣臨団は、「~駅友の会」や

地元の老人会、高齢者に人気があった。

新しく導入された「お座敷列車」は、本物の畳を敷き詰めた

特別車両で、年寄り達には、手作りの料理を持込、畳の上で

カラオケをしながら、動く宴会が出来るので人気が有った。

 

【成田山初詣臨団】

 

今年も新宿支店では、恒例の初仕事、「成田山初詣」臨団が始まった。

三年目となった林には、後輩もでき、仕事も一人前となった。

この仕事は参加者が多数の為、支店ではチームの枠を超え、

若手中心に、一両につき、一名の担当者を付け、添乗する。

 

西局との共催なので、中央線の始発駅あたりから、

早朝に出発し、停車駅ごとに、駅員と共に地元の団体が

乗り込んでくる。各車両ともお客さんであふれている。

 

この仕事の、一番のポイントは、時間との勝負だ。

到着までに車内で「護摩札」の注文を取り、集金して、

お金と申込者を、込み合った各車両の人をかき分け、

少しでも早く、先頭車両のリーダー片柳に渡す、

 

しかし、これが大変、何十人もの年寄り相手にすると、

小銭の受け渡し、名前の文字の書き違いは必ず起きる。

また一通り作業が終了し、報告に行った後

「さっき忘れてけど、やっぱり娘の分もお願い。」

とか、追加発注が出た場合は、また報告に行かねばならない。

 

片柳は、全体を集計し、目的の成田駅に着いたら

若い添乗員に、寺の社務所まで走って行かせ、

少しでも早く護摩を焚いてもらい、終了後、

頂いた大量の護摩札を持って帰って来るのを待つ。

 

その他の添乗員は、現地に着いたら、社旗を掲げ、

号車毎に、途中、昼食場所やお土産店の案内をしながら

のんびりと参道を本堂まで参加者を案内し、解散する。

 

昼食後、お客さんも無事に集まり、帰りの臨団が発車すると、

添乗員たちは、それぞれ担当の車両で、往路に申し込みを受けた

護摩札を配る作業が始まる。

「寺の坊さんが名前を間違える事なんか、あるんですかね?」

初めて参加の新人添乗員が、林にそう言った直後、

「添乗員さん、このお札の名前が違うよ。」

「よく似てるけど、私じゃないよ。」と一人の老婆が言ってきた。

「あれ、そうですか。あっちの号車の分と取り違えかな?」と返事をして、

林は、その護摩札を新人に持たせて、先頭号車へ行くように指示する。

そこには、同じような事例が4件あった。

 

申し込書と護摩札の名前を見比べると、事前申し込み分を除き、

揺れる車内で書いた当日分は、字が崩れていて読みにくかった。

本日も受付時には、チェックはしていたのだが、

バタバタした状況で、あの数だから、見逃したみたいだ。

その時、最後部からやっと先頭車両へたどり着いた、

 

サブリーダー榎本は

「まいったな、うちの号車は2件だ、今年は全部で6件だね。」

「それでは、そろそろお大師様に,ご登場頂きますか。」

「ハイ皆さん、目をつぶって、御祈願下さい。」

と言って、添乗ジャケットの内側から、筆ペンを取り出し、

予め社務所でもらっておいた、予備の用紙に、名前を書き直した。

「ハイ、皆さんの祈りが叶えられました。さっさと配ってください。」

と言って、自分の分を持って、再び後部車両へ消えていった。

林たちも、自分の号車分を持ち帰り

「~さん、お待たせしました、あっちに有りましたよ。」

と言って渡すと。

「ありがとう。さすがに、榎本組合長の息子、字が上手だね。」

「さっきのは、字が細くて、勢いがない。縁起物だから、

この位、太くてしっかりした方がいいね。」

と喜んで席に戻り、知り合いと、おしゃべりをはじめた。

と言うことは、あの婆さん、全てお見通しと言う事だったのか?

 

全ての業務が終了し、支店に戻ると、榎本は片柳と談笑中、

2人で一緒に、客に貰った米屋の羊羹をかじりながら、

うまそうに、お茶を啜っていた。

「それ、あの護摩札のお婆さんからですか?」と林が聞くと、

「そうそう、あの人、毎年書き直しさせるんだよ。」

「恒例になっちゃってさ、まあ一つの儀式みたいなもんだね。」

「でも、うちのツアーには、友達連れで、全て参加してくれる。」

「ありがたいもんだ。いつまでも元気でいてほしいねぇ~」

総責任者の片柳も嬉しそうに頷いていた。

「我々は、素敵な神様みたいな、お客さんに支えられている。」

そう思うと、林は少し胸が熱くなった。

 

【お座敷列車】

 

数か月後、いよいよ新宿支店扱いの「お座敷列車」の募集が始まった。

今回は、将棋の名人と行く、山形赤湯温泉1泊2日の旅だ。

通常より旅費は少々高いが、評判が良く、直ぐに募集定員は埋まった。

 

当日、新宿駅のホームに現れたその雄姿は、特別は存在感を示している。

入線と共に担当車両に乗り込んだ添乗員たちは、敷き詰められた畳の上に、

何組かの将棋盤と座布団を出発と同時に用意していく。

リーダーの片柳が総責任者とあって、新宿支店の民間Aチームは総動員だ。

当然、共済なので、西局の職員達も、数名参加する。

 

お客さん達も割り当てられた号車に乗り込み、畳の上で緊張して出発を待つ。

まず車内放送を通して、今回の主賓、「将棋の名人」の挨拶が始まる。

それを聞いた車内では、

「この声は、あの名人だ。間違いない。」

「なんか緊張するね。」と、騒つき始めた。

テレビでしか見たことがない、憧れの名人と実際に会えて、

しかも、参加者各人は、一手づつ指南を受けることが出来る。

こんなチャンスは、またとない。

興奮するのも、仕方がない。

名人の挨拶が終わり、これから各号車を回り始める。

 

今回、名人担当、お付きの添乗員は、佐藤主任、

その先達で、露払い役をするのが林だ。

 

お座敷列の通路は、全面を畳状態にしてしまうと、全く見えないが、

片方の窓側だけ、縦に並んだ部分が、跳ね上げ式になっており、

窓側に上げた状態で固定すれば、簡単に通ることができる。

 

しかし、それが無理な場合、例えばお座敷で食事や宴会をしている時は、

各号車を通り抜けるたびに、靴を脱いだり、履いたりしなければならない。

トイレに行くたびに、そうするのは、面倒なので、

専用のサンダルが、各号車に一足づつ用意されている。

居酒屋の座敷利用法と同じである。

 

通常、列車が運行中は、全面座敷状態で、何かに使用されている。

だから、各号車を抜ける場合は、座敷を渡り歩くしか方法はない。

今回も、名人をお連れするときは、この渡り歩きになるので、

佐藤は名人専用のサンダルを用意し、懐に抱え、

まるで「信長の草鞋をかかえた藤吉郎」のように、同行移動をしている。

 

順調に名人が各号車を指南して回り、次の号車に移ろうとした時、

出入り口に大きな荷物が置いてあった。

露払いの林が、それをどけていると、佐藤主任がトイレにいく為、

急いでその場所を通ろうとして、転んでしまった。

その荷物の下が濡れており、履いていたスリッパが滑った様だ。

転んだ体制に問題が有り、片手を伸ばして、変なかっこで横たわっていた。

伸ばした手の先には、よく見ると、名人の手書きの色紙が有った。

(色紙には、名人直筆で『不動心』と書いてあった。)

暫く起き上がれずにいたが、何とか立ち上がり、

「痛ってぇな、馬鹿、チャンと掃除しろ!」

「トイレに行くから、これ持ってろ。」

と言って色紙を預け、用を足しに行ったが、その後

「右手をやっちまったらしい。」「ちょっと手伝ってくれ。」

と言う声が聞こえた。

側に行くと、左手で手すりを掴み、必死で電車の揺れを抑えていた。

「悪いけど右指が動かない、スボンのチャックを開けてくれ。」

「ええっ!僕がですか?」

「そうだ、お前しかいないだろ。」

仕方がないので、言われたようにしたが、

「ダメだ、ベルトを外し、パンツごと下げてくれ。」

もう指示された様にするしか無かった。

やっとの思いで用を足すと、丸出しの尻をブルブルと振り、

終わった後も、元の様に戻す作業もさせられた。

気が付くと、多少はみ出て濡れた、便器の正面には

「一歩前、手を添えて、こぼすな外に、松茸の露」

の標語が貼ってあった。

その後、サブリーダーは榎本に代わり、終着駅で佐藤は病院へ向かった。

温泉での夜の宴会は盛り上がり、カラオケ大会も盛況、参加者は大満足。

翌日は、地元名物のブドウの土産で、車内はいい香りに包まれ

そしてツアーは、何とか予定通りの行程を無事に終了した。

 

【欧風列車】

お座敷列車の企画は大好評で、人気の高いその車両は、ひっぱりだこだった。

これに味を占めて、国鉄では第2弾とも言える「欧風列車」を作った。

新型車両も、誰もが一度は乗ってみたいと思うほど期待された。

 

これに真っ先に飛びついたのは、民間Bチームの岡田主事だった。

呉服問屋を顧客とする岡田の客筋は、「お座敷列車」を利用して

売上向上の為、招待旅行を企画し、販売会を催し、大いに成果を上げた。

最盛期には、熱海温泉のほとんどの旅館を貸切、大規模な花火大会を催し、

伝説的な数字を記録した。そして「花火の岡田」の称号を得た。

その「柳の下」を狙い、今度は「欧風列車」の貸し切企画を考えたのだ。

 

利用にあたり、国鉄に詳しい民間Aチームの片柳に相談した。

募集金額を諸々計算し、一人頭にすると、思ったほど安くならない。

たくさんの席を埋められたら儲かるが、埋まらないと逆に高くなる。

また、こちらの目的地側から別の団体が交代で利用してくれれば、

その日に往路で利用した車両を、復路でもその日に利用でき、

国鉄側も有効利用が出来るので、多少の料金交渉は可能か?

しかしそんなに上手く、調度いい相手先が見つかるものか?

 

片柳がいろいろなルートを探り、必死に声掛けをしていると、

今回の目的地の長野支店から、奇跡的にオファーがあった。

しかも、そっくり新宿支店の逆バージョンで利用してくれるそうだ。

「岡田君、やっとここまで、たどり着いたのだから、

目標の3百人の集客、お願いしますよ。」

片柳の言葉に、岡田は

「任せてください。満員にして見せますよ。見ててください。」

と、胸を張って答えた。

しかしこの頃同時に、岡田は密かに、支店の海外手配を脅して、

飛行機をチャーターしてのハワイツアーも企画していた。

「夢の企画」浴衣を着てワイキキの浜で盆踊りだ。

300人募集の大型企画だ。

 

この事実が発覚して、支店内での噂では、

「いくら「花火の岡田」でも、この2大企画を、両方とも成功させるのは

無理だろう。このとばっちりは必ず全員に来る。」ともちきりだった。

新宿の支店長は、責任者として、岡田を呼びつけて、

「岡田君、両方は無理だ。ハワイは来年にしなさい。」

「両方こけたら、身もふたもない。」

と、諭したが、岡田は

「絶対大丈夫です。両方とも、上手くいきますよ。」

と、自信満々で、聞く耳を持たなかった。

 

皆が心配して見守る中、時間だけが過ぎていく。

「お座敷列車の件」では、西局の担当者、長野支店の担当者からも、

毎日の様に、状況の確認の問い合わせが有り、

片柳も不安を隠しきれない様子だった。

「チャーター機の件」でも、航空会社から、問合せがあった。

特に航空機会社からは、参加者の名前の一覧(ネームリスト)

の提出を迫られた。

 

それでも、当の岡田は、普段と変わらない。

いつも無口な経理の矢野主事が、出かけようとする岡田に、

「岡田さん、今何人集まってるの?

申込金は貰ってる分、はまだ少ないようだけど。

今回はいつもと違い、未収になると、大変な事になるよ。」

と言われても平気で

「大丈夫です。今回は八王子の大きな呉服店が主体ですから。」

と言い返し、自信を漲らせていた。

 

一週間後、いよいよ、航空会社へのネームリストの提出締め切りの日を迎えた。

しかし、岡田から提出されたのは30人分だけだった。

海外手配担当者は、

「残りの分は何処ですか?岡田さん冗談はやめましょうよ。」

「今日出さないと飛行機はキャンセルされちゃいますよ!」

「飛行機だけじゃない、ワイキキのホテルもバスも、大幅変更だ。

ハワイの支店長は鬼のような人だから、大変な事になりますよ。」

 

その一週間後、今度は|欧風列車」の締め切り、団券発行日だ。

支店長と片柳、それと国内手配担当者は、支店で岡田の帰りを待っていた。

しかし、なかなか戻って来ない。

やっと戻ってきたら、元気なく、下を向き報告した。

「ダメでした。」一同は耳を疑った。

「何がダメなのか?」支店長が問うと

「全然だめでした。ゼロです。」との岡田の答え

「何~い!ゼロってことはないだろう。あんだけ調子良い事を言っていたのに、

先方に、何と言って説明をするんだ。キャンセル料はどうするんだ!」

怒り狂う支店長

「すいません。でも仕方がありません。

その日に呉服業界の大規模展示会が有るのを、担当の人が忘れていて、

それが判ったのが、つい先日で、言いそびれ、色々手を打ったけど

ダメだったようです。」と岡田が淡々と説明すると、

怒りが収まらない支店長を、なだめて片柳が

「そうすると、結論的にうち扱いは無し、空っぽ列車を走らすという事かな?」

「長野支店に迷惑はかけられない。後はうちのキャンセル料をどうするかだな。」

「とりあえず、西局の担当者と相談だ。」と言って外出した。

 

その後数日間、支店長の怒りは収まらず、所員全員に八つ当たりをしていた。

その事情をよく理解している所員たちは、同情して耐えていた。

本社からも呼び出しもあり、元気なく外出する支店長の後ろ姿には、悲哀が籠っていた。

 

「花火の岡田」の野望は2つともくずれ、

キャンセル料と言う、業界の負の遺産だけを残し

まさに、花火の様に消え去ったのである。

 

【ロラーセールス】

その後、新宿支店内のムードは最悪だった。

支店長は、本社から質問攻めを受け、せめて年間予算を達成する事を約束させられた。

その為、営業員には、セールス強化を命じ、顧客を開拓する作戦が実行された。

それは、新宿地区全体の地図を、各人に割り当て、その地区内の全ての企業・商店を、

しらみつぶしに、全てを訪問営業する「大ローラーセールス作戦」だった。

毎日朝から30件以上訪問し、いい話が無ければ、有るまで帰って来るなという

無茶苦茶な命令だった。

 

また内勤者にも、カウンターの顧客を中心に、知り合いを紹介してもらう、

「紹介キャンペーン」と称して、セールス電話を一日中かけさせた。

しかも、内勤者までにも、ノルマを課せたのだった。

一階のカウンター担当者たちも、中村女史の号令で、店舗前の路上に立ち、

パンフレット配布しながら、呼び込みをしている。

中村女史は、4階の「サラ金事務所」まで訪問し、パンフレット配りセールス。

その時、地下のレストランから煙が上がって、表は騒然となった。

中村女史は、急いで駆け下り、一階の所員に向かって

「皆、こんなに人が集まってるんだから、どんどんパンフをくばって!」

火事見物の人だかりに、パンフレットを配布したが、

駆け付けた消防車の隊員に、その行為を止められた。

 

セールスマンは毎朝、名刺とパンフレットを沢山、鞄に詰め込み、

早朝から手分けして、自分に割り当てられた分の地図とリストを持ち、

毎日30件以上の訪問セールスを実行していた。

特に歌舞伎町地区は水商売の店が多いので、朝から訪問しても閉まっている。

営業している店は、風俗店くらいで、客でない事が分ると、追い返された。

しつこく粘ると、水を掛けられる始末。

 

数日頑張ってセールスをしても、直ぐにいい話が出てくるわけはない。

世の中そんなに、甘くない。一人で回っても気力が萎えるので、

林から声かけられ、榎本は2人で回ることにした。

「何の因果で、こうなるんですかね。これも全て岡田さんのせいですね。」

「私はまだですが、榎本さんは既に予算達成できてるんですよね。」

榎本は

「官庁チームなんか、早々の役所の仕事が決まって、ホット一息してたらこれだ。」

「支店長もそれが分ってるから、今回のローラーも、官庁チームの担当は西口側、

特に高層ビルと新都庁の有る側、今後につながる仕事もありそうな場所を当てだ。」

「民間チームは、割り当ての繁華街側で、頑張るしかない。

世の中、諦めも肝心、どうせ、なる様にしかならない。」

と、冷静に分析して語った。そして或る提案をした。

 

「ところで、もう6時を過ぎてる。こうなったら、新宿駅から大久保駅まで、

夜のローラー作戦はどうだ。」

「大ガードを抜けて、いつもの横丁とは反対側、小滝橋通りを大久保駅に向けて、

飲み屋を一軒づつセールスしよう。店自体には大した仕事は無いかもしれないが、

ひょっとしたら、いい客が見つかるかもしれない。」

そう決めた二人は、片端から店に入り、ビール1本とお通しだけで、店主と話し、

「この店のお客さんで、会社で団体旅行をやってそうな人、いませんかね~?」

と聞きまわるが、初めての客に、常連さんの秘密を漏らす店主もいない。

 

そんな毎日が続き、先程二人でオカマバーにセールスに行った林は

「榎本さん、やっと話を聞いてくれた、あのママしつこかったですね。」

「私は何年も前から女なのに、どうしてパスポートを申請したら男性なの?

女性に変更してくれたら、旅行に行ってあげるわ。」

「と言われても、どうしようもないですよ。なんかいい話、無いですかね。」

と愚痴をこぼして、また夜になった。

 

今晩も飽きずに、夜のローラー作戦を続けていると

五軒目で、だんだん酔いが回り、仕事疲れの会社員の愚痴話になってきた。

「この間の、欧風列車、手配の春田さんが新宿駅で見たそうだ。

春田さんは鉄道マニアだから、入線してきて発車するまでを、

ずっと見ていたそうだが、さすがに、空っぽで出ていく時は、

涙が流れたと云ってた。」

すると、その話を小耳に挟んだ、隣で酒を飲んでいた男が、

「それって、欧風列車の件ですか?」

「あれには、どうしたら乗れるんでしょう?教えてください。」

思いもよらない質問に二人は驚き、

榎本は名刺を差し出し、説明をした。すると

「こんど、うちの会社へ来てください。もっと詳しく聞きたいので。」

それから、三人は意気投合し、旅行の話で盛り上がり、飲み明かした。

 

翌日、榎本と林が、

「昨晩遭った人、面白い人でしたね。でもあの話は本当でしょうか?」

「まあ、判らないけど、他にいい話もないし、ダメもとで行ってみよう。」

と半信半疑で、でも「善は急げ」と昨晩会った男の会社へ行ってみると、

大きなビルに入っており、社名は横文字で、何の会社か判らないが、

「この会社、なんか大きそうですね。」

「昨日のオカマバーよりは、社員数は多そうだ。」

受付で、呼び出してもらうと、直ぐに昨晩の男が出てきた。

「いあ~昨日はどうも、早速ですが、我社の社員旅行で、あの「欧風列車」を

貸切たいのです。社長の希望で是非ともとのことです。」

あっけにとられた榎本と林は、互いを見合った後に頷き。

「ハイ、喜んで」と居酒屋みたいな返事をしてしまった。

その後、とんとん拍子に話は進み、

「欧風列車」は、今度は無事に満席で新宿駅を出発した。

それを見送った春田は、嬉しそうに涙を流していた。

また、この会社の旅行は継続・発展し、翌年の社員研修では、

クルーズ船とジャンボ機をチャーターし、グァムへ行く計画まで実行された。

参加社員600名を300名づつ2班に分け、現地で入れ替えをする段取りだ。

クルーズ船で先発した班を、後日後発班のチャーター機で追いかけ、

グァムで入れ替えをして、チャーター機はとんぼ返りで先発班を連れて帰国する。

後発班はクルーズ船で帰国するという前代未聞の大型ツアーも実現された。

 

ただし、この話には続きが有り、後発班に添乗した林は、グァムの空港で後発班を見送り、

直ぐに、先発班と合流して帰国した為、空港から一歩も出ず、グァムの海さえ見ていない。

そして、帰国時の入国審査では

「あなたは本日出国したばかりで、すぐ帰国ですね?」

「現地で何かあったのですか?強制送還とか?」

と不信がられ、釈明するのが大変だった。

 

とにかく振り返ると、「花火の岡田」出来なかった「欧風列車」の貸切も、

飛行機のチャーターも、後日後輩が実現させたということである。

「世の中、捨てる神もあれば、拾う神もある。」

こういうことがあるから、世の中は判らない。

頑張れば、いつか良い事もある。

 

 

【営業会議】

 

今年も年末恒例の「恐怖の営業会議」が始まった。

支店長を始めセールスマン全員と、カウンターの中村女史、

数字の確認の為、経理の矢野主事も同席させられていた。

それに今回は特別、本社から営業本部長も参加していた。

席に着くと、不機嫌そうで、苦虫をつぶした顔をしていた。

一同緊張する中で、吸っていた煙草を灰皿に押しつぶし、

本部長から開口一番

「新宿支店の諸君、君たちは、会社をつぶすつもりか?

いつも全国の支店売上ランキングでは、下の方を低迷し、

足を引っ張ることしかしていないが、今年は大丈夫だろうな。」

その言葉を聞いた支店長は、もうすでに冷や汗を流し、

本部長の視線をそらせた。

しかし、決心して、

「それでは、各人自分の売上高と収入額を、報告してください。」

「まずは、官庁チームから~」と、始まった。

官庁チームの報告を聞いて、本部長は、

「チーム全員、予算は達成しているようだな。

来年の役所の大きな仕事も、ほば決まるようだし、まずまずだ。」

本部長の顔が少し緩んだのをみて、支店長は進めた。

「では次は、民間Aチームだ。」

「リーダーの片柳君から、報告を続けてください。」

片柳のお座敷列車や、佐藤のスポーツ団体、榎本の農協団体等

収益歩率の良い報告でまた少し機嫌を直したようだ。

しかし、次の林の報告を聞くと、本部長は突然機嫌が悪くなり、

「君は何年生だ、この業界一年もすれば一人前だ、もっとしっかり稼げ!

自分の給料分だけを、稼げば良いというもんじゃない。

営業マンは、支店や本社の内勤者の分も、稼がないと、会社は潰れる。

そのことを肝に銘じて、もっと努力するように。」と叱りつけた。

反論もできず、怒られた林は、下を向いて、我慢した。

少し間をおいて、支店長は

「では、次は民間Bチーム」

本部長は、各人の報告を聞いていたが、岡田の番になると

「この未収金額は何だ!あり得ない数字だ。

一体どうすればこんな数字になるんだ!」

「この内容を説明しろ!」

岡田は、いつもの様に、淡々と説明する

そして、最後に。火に油を注ぐ、一言を言ってしまった。

「そんな事言われても、しょうがないじゃないですか。」

すると、本部長は烈火の如く、怒り、

「馬鹿もん!」と言ったと同時に、灰皿を投げつけた。

「そんな言い訳が通じるか!」「大体、お前は~!!」

と大声で怒鳴りつけ、延々と説教が続いた。

しかし、岡田は飛んできた灰皿を、ひらりとかわし、いくら叱られても

「カエルの面にしょんべん」の例えのように、平然としている

無言で聞いている岡田以外の人間は、この問答を聞き疲れ、

だんだん眠そうになっていた。

半時程過ぎて、怒っている本部長の方が疲れて、値を上げた。

「もういい!いくら言っても、分からない奴だ。」

「今日は、この辺で止める。後は一覧表にして、報告書を上げてくれ。」

と、支店長に云って、帰ってしまった。

 

後日、本部長は、岡田の左遷を真剣に考え、全国の支店へ打診したそうだが、

何処の支店も、「あの、花火の岡田さんですか?それはちょっと無理ですね。」

と断られ、受け入れ先が無い事が判明した。

 

それを聞いた支店長は、

「そりゃあ、そうだろう。あの岡田だ。内は喜んで、行かしてやるが、

どこも受入てくれない。」

「有効なパスポートが有るけど、何処もビザ(入国許可)が下りない。

だから、何処へもいけやしない」と言うことだ。

 

だから、あの人は、入社以来ずっと新宿支店にいる。

そして、多分これからもずっと。

これで、新宿支店七不思議のひとつの謎が解けた。

 

 

【社員旅行】

年末恒例の社員旅行は、新宿支店の所員全員が楽しみにしている大切な行事だ。

特に、年末の「恐怖の営業会議」が終了した週末と有って、緊張感も解れ

解放された気分で楽しむのが通例となっている。だから、宴会は無礼講

で良い事が暗黙の了解だ。

 

旅行会社の社員の旅行とあって、貸切バスの料金も、旅館の宿泊代も、

しつこく泣きつき、叩けるだけ叩く。参加費を出来るだけ安くするのが、

国内手配春田の腕の見せ所だ。

 

今回の宿泊場所も、今年一番多く、新宿支店が送客した温泉ホテルだ。

房総地区でも有名な大型施設で、宴会場も多数あり、料理も豪華だ。

今年宴会場の手配で、いろいろ事件が有ったが、ここなら安心。

今回はホテルに無理を言って、一番大きい宴会場を、用意してもらった。

中心部に川を模した水路が有り、そこに小舟に乗った七福神が出現し、

弁財天に扮した、女将が挨拶をするという趣向だ。

これで準備万全、皆の驚く様子を想像して、楽しみに待つ春田だった。

 

林が朝、西口のバス出発場所を目指し、歩いていくと、

バスの横に立つ物体は、遠くからでもはっきりと判る、

まさしく、あの時のガイドだった。

今回のバス乗務員は、手配した春田の考えか、偶然か不明だが、

林が黒部に行った時の運転手とガイドのコンビだった。

「林さん、元気でしたか?あん時の添乗は、大変でしたね。

私、今でも、昨日の様に覚えてます。」と、出発前に声を掛けられた。

「そうだったね。あの時はありがとう。お蔭で助かったよ。」

と挨拶を交わし、乗車したが、今回も何か起こりそうな予感がした。

 

集まってくる、全員がガイドに挨拶して、乗り込む。

「あ~あ、あなたが、林の噂のガイドさん。宜しくね。」

あの時の事件の噂が、既に全員に伝わっていたのだ。

しかし、そんなことは全然気にせず、営業の面々はマイペースだった。

今年も貸切バスが出発したとたんに、車内ではウイスキーのボトルと、

一升瓶が回され、後部座席では既に「チンチロリン」が始まった。

観光のお客さんとは違い、外の景色など見てる人間などいない。

ガイドの方を見る者も、説明を聞く者もいない。

 

全員好き勝手に、やりたい放題。すでに無礼講が始まった。

忘年会を兼ねての旅行なので、今年のいやな事を忘れる為、

多少羽目を外しても、許されるので、言いたい放題だ。

 

皮切りは当然、岡田主事の話で盛り上がる。

官庁チームから馬鹿にされ、からかわれても、

不思議と、当の本人も笑っている。

既に「チンチロリン」でカモにされ、散々飲まされ、

酔っぱらっているからだ。

バスが出発して、30分も経っていない。

信じられない早いペースだ。

 

民間チームの面々と春田は、先日、夜逃げした近くの居酒屋の話をしていた。

「佐藤君、君はまた一軒、居酒屋を潰したそうだな。」と片柳が言うと。

「私じゃないですよ、春田ですよ。私が連れてった店に、その後、こいつが毎晩行って、

付けにして帰るので、店はたまったもんじゃない。」と佐藤が答えた。

 

「私じゃないですよ。榎本と林ですよ。私は週2回までと決めてますから。」

と春田が言い返した。

 

「私たちは近頃はローラー作戦ですから、1件を狙い撃ちなんかしてません。

金がない時に、週に2回ぐらいですよ。」と榎本が言うと、林が続けて

「それに僕達だけじゃなく、1階の人たちも行ってたらしいですよ。」

 

すると、煎餅をかじっていた、地獄耳の中村女史は。その話を聞いていたらしく、

近寄ってきて、

「私たちは、たまによ。月に1~2回しか行かなかったわ。」

「それに女の子だから、そんなに飲まないし。」と言った。

 

先程まで赤鉛筆を耳に挟み、競馬新聞に夢中だった矢野までも参加して

「結局、みんなして、代わる代わる、毎晩行ってた事は、確かだな。」

「これで、何軒目ね。あの親父さん良い人だったから、強く言えんけん。

だけど、お宅の人は皆払ってくれんと、嘆いていたばい。」

「矢野さんも行ってたのですか?」と林

「自分はランチだけ、それも現金で払っとる。」と矢野

そのあとも、過去に潰した店の話が、続いていた。

こんな恐ろしい会話のあと、暫くしてバスはホテルについた。

 

出迎えに出た女将は

「皆さんお疲れ様でした。今晩の夕食は6時から宴会です。

三日月の間で、お待ちしておりますので、宜しくお願いします。」

と言ったが、降りてきた一行は皆、かなり酔っていたので、

驚きは隠せなかった。

車中で散々カモにされた岡田は、両脇を抱えられ、既に千鳥足で、

連行させる容疑者の様に、部屋へ連れて行かれた。

各人部屋に入ってからも、一年の鬱憤を晴らすかのように飲み続け、

宴会場に集まった時は、既に酩酊状態だった。

 

支店長の挨拶が有り、乾杯の音頭と共に、宴会が始まった。

浴衣姿で頭に鉢巻をして、割り箸を刺し、一升瓶を持ち、

「八つ嘉村」の蛮行の様に、叫びながら部屋中を走り回る者。

酔いつぶれた人の口に、ビール瓶を差し込み、これでもかと、

なおもしつこく飲ませている者。

百期夜行、まさに地獄絵図のような光景だった。

宴会が始まり30分後、春田の手配通り、小舟に乗った女将が七福神姿で

現れた時は、ほぼ全員が酔い潰れ、横たわっていた。

 

宴会終了後も、部屋に戻れず、方向を間違えて、

非常口から裸足で外に出て、戻れず庭を徘徊する者。

廊下で倒れて横たわって寝ている者。

トイレで吐いまま、便器を抱え個室で夜を明かした者。

部屋でまともに寝た者は少なかった。

 

世間では、~先生と呼ばれる団体と、普段制服を着用している団体の

社員旅行は、宴会が荒れるので、要注意と言われている。

しかし、旅行会社の社員旅行も、間違いなく、この部類に入るだろう。

 

・・・・続く