第2章 よく有る国内添乗業務の一例

 

【集合時】

 

なんだかんだと忙しく毎日が過ぎ、いよいよ出発日となった。

佐藤の脅しで春田が頑張り、何とか手配は完了したようだ。

一行25名で貸切バスを仕立てて、新宿から一路中央フリーウェイで、

長野まで目指す。

パラダイスの従業員は夜が遅いので、朝が苦手だが、

この日ばかりは皆、朝の集合時間を守った。

集合場所の新宿西口には、すでに予約したバスが来て、

すでに出発を待っていた。

しかしいきなり問題が発生した。

それは今回一緒に旅をするバスガイドだった。

身長2メートル近く、体重は優に200キロ近くはありそうで、

相撲の力士でも幕内クラスの体格だ。

先ほど早めについた林が運転手に挨拶をしようとしたところ、

出入り口の扉が開いて、バスの車体を揺らして、

降りてきたのがこのガイドだった。

唖然として、口が利けない林に、

高齢で小柄の人の良さそうな運転手は

「添乗さん、今日はこいつしかいないので、

勘弁してやってください。」

といきなり謝られた。

「ああどうも。」と言ってはみたが、

予想をはるか超えた現実に、頭の中が真っ白になった。

とにかく二人(運転手&ガイド)と、

本日のコースや休憩場所、時間の打合せをするが

いつもと違い、見上げながらの説明で首が疲れた。

最初の驚きから少し慣れて、まともにその顔を見ると、

両ほほが少し赤く、純真そうだった。

まだ研修が終わったばかり新人で今回が初仕事だそうだ。

このガイドで大丈夫だろうか?

不安は益々広がるばかりだ。

乗車口で、ガイドから「おはようごぜぇいま~す!」と声を掛けられ、

バスに乗り込むパラダイスの面々が、誰もが目を丸くして、

返事もできずに黙って乗り込む。しかし着席しても、

視線は入り口に立っているガイドの方に向けられている。

幹事役の瑠奈さんが見かねて

「ちょっとなんなのよ、あのガイド。内をなめてるの?」

と林に言ったが、

最後に恵子ママが乗車する時

「よろしくね。あんた出身はどこ?」

「津軽でぇす。」と訛って、ガイドが答えると、ママは

「あら奇遇ね。実はあたしも津軽、五所川原だ。」と

嬉しそうに言って乗り込んだので、

諦めて、口をつぐんでしまった。

 

バスが走り始め、ガイドの挨拶が始まるが、

ガイド席に立つその姿は、堂々と驚異的な存在感を放っている。

これから向かう黒部の立山がそそり立つようで、

前方の景色が全然見えない。

しかもたどたどしい説明が続き、眠気を誘う。

朝が早かったので、ママを除いて、全員が眠ってしまった。

しかし、ママはガイドと話が合い、

故郷の話に花が咲き、カラオケで

「きい~と帰ってくるんだぞ~」と絶好調であった。

運よく、何とか窮地を逃れたのだが、

何事もなくこのままでは済みそうもない嫌な予感がした。

 

【高速途中のサービスエリア】

途中休憩のサービスエリアで、林は幹事の留美さんから、

「ちょっと、あそこで焼きそばを2つ買って来て」との依頼に

「ハイ喜んで!」と言って飛び出したはいいけど。

焼きそばコーナーには、人の列ができていた。

途中で焼きあがっていた分が売り切れ、再度焼き始めた。

出発時間だけど少々遅れても大丈夫だろう、

買って帰らないと怒られそうだ思い、

自分が戻らなければ、どうせ出発はできない。と高を括り、

やっと焼きそばを両手に持ってバスに向かう。

気のせいかバスの姿が見えない。

まさか添乗員をおいてバスが出るはずがない。

そう信じてバスが止まっていた場所に戻るが、やはりバスが無い。

「なんで、僕を置いて出ていくなんて」

事態をはっきりと認識した林だが、

当時は携帯電話が普及しておらず、連絡をとる術はなかった。

とにかく追いかけなけばと思い。

駐車している自家用車で休憩している人に、片っ端から声をかけた。

「すいません。貸切バスに乗り遅れてしまい困ってます。

助けてください」

しかし、両手に焼きそばを持ち、慌てている様子から、

誰も不審に思い乗せてくれない。

やっと暇そうにしていた若い2人組が、

「その焼きそばくれたら良いですよ。」と言って乗せてくれた。

それから追走劇が始まったが、なかなか追いつかない。

しかし暫く行くと、非常停車場所に

目標のバスがハザードライトを点けて停車している。

やっと追いつき、

乗せてくれた二人組にお礼を言い、

焼きそばを渡してバスに乗り込むと

バスガイドは泣きながら、「あっ、添乗員さんがいた。」

と言って喜んだ様子だが、

「人数確認はガイドの基本、ちゃんと数えていたらこんなことには・・・」と

文句を言おうとすると、先にママから

「あんた一体何してるのよ、添乗員が乗り遅れるとは、

もってのほか、会社に行って首にしてあげる。」

実は瑠奈さんに頼まれて、焼きそばを・・と言おうとすると、

当の瑠奈さんは平気な顔で、目くばせをしながら

「ずいぶん心配したのよ。戻れてよかった。」

と一言で片づけた。

運転者が「添乗さんを残して出発した事が会社に知れたら

私が馘になってしまうので、ご勘弁ください。」というので、

すべて無かったという事で決着した。

いやいや、今回のツアーは無事には済まない。次は何が待っているのか?

 

【アルペンルート】

*ここでアルペンルートの説明図が必要

 

途中で昼食を済ませ、信濃大町から扇沢、いよいよ黒部アルペンルートだ。

ここから色々交通機関を乗り換えて、富山側まで抜ける。

まず初めは電気バスで関電トンネルを抜けて、黒部ダムへ

「黒部の太陽」を小学生の課外事業で見た経験がある年代なので、

実物を見て、その規模大きさと流れ出る水の量に圧倒され、

背景の雄大さにも、一同感激の様子だ。

また、季節がら紅葉も始まり、記念写真には打ってつけだった。

ここまでは順調に何事もなく予定通りに進んだ。

 

しかし、問題はこれからだ。

ここからケーブルカーに乗り換え、そしてロープウェイへといくのだが、

ここは大手旅行会社が幅を利かせ、優先的に先に乗れるシステムがある。

常識的には並んだ順だが、年間送客が大きく毎日ツアーを実施している

旅行会社に優先権を与える変なルールが有った。

黙って過ぎれば、こちらも気が付かないふりをして見過ごすのだが、

わざと他社の団体が並んでいる前を、

「は~い、我が社にお申し込み頂いたお客様はラッキーですね。

内の団体は、ここに並ばなくてもそのまますぐに乗れるんですよ。」

と自慢げに、上着の襟元に金バッジを付け、

大手旅行会社の社旗を靡かせながら過ぎてゆく。

毎回そうなのだが、業界の実情と我慢していたのだが、

今回のあの添乗員の言い方は腹が立つ、許せない。と林が思った瞬間。

やはりそれを聞いていた山田支配人が、

今日は朝からほぼ無口で静かに、

バス内ではワンカップ1本だけをちびちびとやっていて、

先ほどまでは「黒部の太陽」を思い出し、

裕次郎さんは男だ!と涙していたのだが、

おもむろに口を開いた。

「ちょっと良いですか?添乗員さん、あれは何だね。」

「皆さん、ちゃんと並んで待っているのに、ずるして先に行くのは、

おかしいじゃないですか?」

やっぱり、来た、そうじゃないかと、実は心配していたのだが、

いやな予感が的中した。

「そうですよね。どう見てもずるいですよ~ね。」

「しかし、あの旅行会社は特別で、いつもああなんですよ。」

と林が言い訳をするが、

「いや、どう見てもいけねぇ~!」

「業界の常識がどうか知らないけど、お天道様が許さない。」

「わしが行って、話を付けてくる。」と支配人が行こうとするので、

ここでもめ元を起こしては困る。道中まだ先が長い。

しょうがないので覚悟を決めて

「ちょっと待ってください。僕がいってきますので。」と止めて、

林がケーブルカーの乗り口方向に、坂を上って行く。

後方からのパラダイス一行の視線と、期待を浴びて

やっと問題の添乗員に追いついたが、

その団体は既にケーブルカーに乗り込んだ後で、

その添乗員はホームの端の、電話ボックスで通話中だった。

 

仕方が無いので、ケーブルカー会社の改札の駅員に

「どうして、この団体だけ先に乗れるんですか?」と大声で問うと

「おたくも業界の人だから分かってると思うけど、

そういう契約だから、仕方がないんです。」と、

何を当たり前のことを聞くのか?不思議そうに答えた。

「そうですよね~、仕方ないですよね~」と小声で受けながら

後方のパラダイス一行の様子をみると、

もっとどんどん言ってやれと言いたそうな雰囲気なので

林も引くに引けず、

「仕方がないじゃ、並んでいるお客さんは納得しませんよ。」と、

あえて一行に聞こえるように、また大声で聞いた。すると駅員は驚いて、

「何を何度も、同じことを言わせるるんだ。」

「あんた一体何なんだ?」と、少し怒ったように立ち上がった。

これはやばい、このままではまずいと感じた林は

「皆にも分かるように説明して下さいよ。」

と列を作って待っている多くのお客さん達を指さし、駅員に言った。

しかし、困ったことに、思わず駅員の制服の襟元を掴んでしまった。

すると遠くで見ていたはずの支配人が駆け寄って来て、

「添乗員さん、もうわかった!」と言って、

松の廊下で浅野内匠頭を止める様

後ろから羽交い絞めにして

「ここは耐え忍んでください。」と目に涙

「さあ、戻りましょう!みんなも協力してくれるでしょう。」

本心は止めてくれてホッとした林だが

まだ悔しそうに振舞って、支配人と一緒に一行の列に戻った。

途中、同じ様に並ばされていた他社のお客さんや添乗員も、

大きな拍手で迎えてくれた。

「あんたも中々やるね。少しは退屈しのぎになったわ。」

とママが言った。

 

その後は大人しくケーブルカー、ロープウェイと乗り継ぎ、室堂へ

弥陀ヶ原、美女平を過ぎ立山駅までは何とかたどり着いた。

ここから宇奈月温泉までは電車で行く。

ここがまた添乗員泣かせの最後の難所、地方の私鉄で

「優先着席券」という物を発行している。

この券も大手が独占的に買い取っており、他の団体には手に入らない。

乗車率も高く、遅く乗車すると座ることができない。

つまり座れないとかなり疲れるのだ。

 

しかし、今度の林は落ち着いていた。

先ほどケーブルカーの駅員とのもめ事の後、助けてくれた支配人と

既にこの件に対する攻略法を見出していた。

乗車案内が始まり、優先着席券を持つ人たちが改札を抜けたとたん、

パラダイスの足に自慢のある選抜チームが、獲物を追うチーターの様に、

前に入場した客たちを追い抜き、長いプラットフォームを走り抜け、

先頭車両両目に飛び込み、座席を確保する作戦を実行した。

お蔭で、パラダイス一行は悠々と歩いてきても全員が座れた。

支配人のガッツポーズをみて、満足した林であったが・・・

先ほど今夜の宿泊予定のホテルに確認の電話を入れたら、

「実は今夜の宴会場に問題が・・」

宿の担当者の返事がはっきりしない、

とにかく現地に着いたら判るだろう、余計な心配はやめよう。

と思い、それ以上考えるのをやめた・

何とか本日のメインイベントのアルペンルートを越えたのだ。

あとは美味しい料理を食べ、ゆっくりと温泉に入り、疲れを取ろう

と考えていたが、そうは問屋が卸さない。

 

【ホテルにて】

 

やっとの思いで温泉ホテルに到着すると、まだ問題が待ち構えていた。

玄関で仲居さん達に「ようこそ!お疲れ様でございます。」と出迎えられ

フロント付近のロビーで荷物を降ろし、チェックイン手続きが終わるまで

休憩しながら待機している。全員が疲れた様子でぐったりしている。

林がフロントで部屋割り確認と鍵を貰う為近寄ると、予約係が

「ちょっと添乗員さん、こちらへ」とフロント裏へ引き込まれた。

そこには、いかにも真面目そうでスーツ姿のホテルの岡部総支配人が居た。

「実は少々手違いがあり、今晩の宴会所がダブルブッキングとなってます。」

「先ほど、お電話頂いたときにお伝えしようと思ったんですが、

お急ぎの様だったので・・」

と平然と言い放った。驚きを隠せず林は

「それでは、今晩の宴会ができないってことですか?」と問い詰めた

「いえいえ、出来ない訳では無いのですが・・・」

「皆さんに使ってもらう予定の宴会場に、地元の老人会の宴会がダブって

入っているのが昨晩発覚したんです。今

朝、お宅の支店手配の春田主任に相談すると。

「今日の添乗員の林と相談して、上手くやってちょうだい。

その代わり宿泊費は値引きしてもらうから。」とのことでしたので、

今相談しております。」

「その老人会は、地元の議員さんもいらして、お断りする訳にもいかないのです。」

「高齢者が多いので、予約時間は16時から18時で、もう始まっております。」

「幸い添乗員さんの団体は19時からですので、

1時間で「どんでん返し」すれば、間に合います。

どうぞ私共にお任せ下さい。」

「それまで、皆さまにはゆっくり温泉にでも入ってください。」

と真剣に言うので

こうなっては、信じて任せるしか、他にどうしようもない。

「とにかく、予定通りに19時から宴会出来るようにしてくださいよ。

と言ってロビーに戻り、パラダイスの皆に今晩の予定を説明し、

部屋のキーを配る。

「夕食会場は、「立山の間」で7時からですのでよろしくお願いします。」

「十分時間がありますので、ゆっくり温泉で日頃の疲れを癒してください。」

と各人に伝えた。

パラダイス一行は、何も知らず、疲れているのか、

大人しく解散し、各人部屋へ向かった。

とはいえ、本当に宴会場は大丈夫なのか?

心配なので下見に行く、林であった。

「ここが宴会場だな、どんな具合になってるかな?」

と入り口の襖を少しだけ開き、中を覗くと、

会場内は絶好調に盛り上がり、酔っぱらった幹事役の男性が

「さあ~今夜はとことんやりましょう!

先生方のカラオケが始まります~!」

芸者も入れてどんちゃん騒ぎ、

仲居さんもお酒の追加もどんどん運びいれる有様。

おいおいこれで時間通りお開きになるのか?

だんだん不安が深まるばかりだった。

 

一方パラダイスのご一行は、各人割り当てられた部屋に入ると、

浴衣に着替えて大浴場へ

さすがに歴史ある有名旅館とあって、何種類もの浴槽に加え、

大きな露天風呂がある。

女風呂では、恵子ママと瑠奈さんが、頭にタオルを巻いて

気持ち良さそうに湯舟に浸かっていた。

その時、男風呂の方から「オーマイゴッド!」との雄叫びが聞こえた。

実は男風呂では、山田支配人がまた一騒ぎを起こしていたのである。

久しぶりに温泉の大浴場に浸かった支配人は、

たまたま他の客がいないのを幸いに、

子供のころを思い出し、大きな湯舟で泳いでいた。

しかも頭に乗って「潜水艦ごっこ」と称し、

男性の一物を立てて、楽しく背泳ぎで泳いでいたのである。

ところがその姿を、

サウナ風呂から出てきた外国人に目撃されてしまった。

外国人は不思議そうな顔をして、こちらを注目している。

バツが悪くなったので、悠然とした振りをして、

外の露天風呂へ移動した。

大きな露天風呂の続きには、鯉が泳いでいる大きな池があった。

何を思ったか、先ほどの外国人も後をつけてくるので、

急いで湯舟に入ろうとして、

間違って手前の池に入ってしまった。

余りの冷たさに慌てて出ようとしたが、

ついてきた外国人に見られていたので、

出るに出られず、余裕の振りをして、

瘦せ我慢をしてそのままでいると、

外国人も池に入ってきた。

そして「オーマイゴッド!」と叫んだ。

「やっちまったな。」と独り言を呟いた支配人の股間付近には、

大きな緋鯉が2~3匹集まり、餌を食べるように口を動かしていた。

くすぐったさを堪え、じっとしている支配人であった。

 

【宴会場】

 

そんなことを知る術もない林は、

老人会の宴会が早く終わることを祈りつつ、

宴会場付近でうろうろしていた。

もうすぐ、予定の6時になるのに、終わる気配がない。係りの仲居さんに、

「幹事さんに早く終わる様に、せっついて下さい。」

と頼んでみたが終わりそうにない。

ホテルの総支配人とも連絡が取れず、もうこれは直談判しかない。

決心して、会場内へ入り幹事さんを探す。

やっとそれらしき人が、カラオケ器具の傍にいたのを発見し、

近寄って話しかけた。

しかしカラオケの音量が大きく、話が伝わらない。

「すいませ~ん。この会場をこの後予約している者ですが

時間なのでそろそろお開きにしてくれませんか?。」と言うと

「宴もたけなわ、まだまだこれからですぞ!」との返答の繰り返し。

かなり酔っぱらっていて、話にならない。

だから言ったこっちゃない。総支配人に責任を取って貰おう。

フロント連絡して、館内放送で総支配人を呼び出し、決着をつけよう。

再三の呼び出しにも関わらず、連絡が取れない。

もう一度問題の宴会場へ行き、中の様子を観察すると、

何と会場の片隅で倒れているスーツ姿の総支配人を発見する。

近寄って抱き起すと、酔っぱらっているようだ。やっと林に気づき

「私はアルコールが一滴もダメでして、

それなのにさっき偉い先生に無理やり飲まされて、

もう勘弁してください。」と言って、また倒れてしまった。

チェックインした時の約束は何だったのか?

この業界、人を信じてはいけない。今まで何度騙されことか。

そして、窮地は自分で解決するしかない。誰も助けてくれない。

覚悟を決めた林は、再度、酔っぱらっている幹事に交渉しに向かった。

そこに、胸にバッジを付け恰幅の良い、見るからに地方議員らしい人物が

行く手を阻んだ。

先ほどホテルの総支配人に、無理やり酒を飲ませ、潰した人物だろう。

「君は誰だ。我々の宴会を邪魔する気か!」と

カラオケにも負けないだみ声で発した。

林は怯まず、

「そうです。皆さんの宴会時間はもう過ぎております。」

「直ちに、お開きにして、ご退場下さい。」と毅然と返答した。

すると、その男は

「わしは、このホテルのオーナーで、ここを自由に使えるのじゃ」

「先ほど、支配人が細かいとを、ぐちゃぐちゃ言うので、酔い潰してやった。」

林も負けず

「お宅の事情は知らないが、

観光業界は信用が大事、一度でも約束を裏切ったら最後です。」

「政治の世界も一緒じゃないですか?」と言い返した。

するとその男は

「何を小癪な小童め、そこまで言い張るなら、勝負しよう!」

「飲み比べで、わしに勝ったら、ここを譲ってやる。どうだ?」

ここで引き下がる訳にもいかず

「分りました、その勝負うけましょう!」

さっそく両者は会場の舞台に上がり、据え置きの菰樽から、

大きな杯に注がれる酒の飲み比べが始まった。

 

一方、久々の温泉にゆっくり浸かり、汗をかいて喉が渇いた

パラダイスの一行は、集合時間に集まったが、会場の「立山」では、

違う団体が宴会をしているようだ。

不信に思い幹事の瑠奈さんが入り口看板を確かめると、

今掛かっている団体名は違うが、

その後ろには「歓迎!ハッピー興行様」

(パラダイスの運営会社の名前)の看板もある。

「また、あの添乗員がまだ来ない、一体何をしているのかしら?」

どうも変だと思い、中を覗くと、

その添乗員は舞台の上で、見知らぬ誰かと飲み比べをしている。

「また、あの人は私たちをほったらかして、自分だけ飲んでるよ!」

と皆に伝えると、それを聞いた恵子ママが

「今度こそ、首にしてやる。」

と浴衣の袖をまくって宴会場へ乱入した。

先ほどから、お互い睨み合いながら、

一升以上は飲み続けている舞台上の2人。

老人会の団体客はカラオケを止めて、

静かに舞台上の戦いを観戦している。

田舎の議員は酒が強い。

飲んで味方を増やし、票を固めるのが仕事だ。

林も入社以来、毎晩歌舞伎町で鍛えられてはいるが、

このままでは危ない。

横丁の路地裏で吐いて倒れ、

明け方カラスに突っつかれて目を覚ました

あの訓練は何だったのか、

今こそ、その成果を見せねば

そう思った時、

なんと恵子ママが、すざましい勢いで飛び込んできた。

なんでこんな事をしているのかを説明すると

「あんたは馬鹿だね~。本当に馬鹿だ!」

「あんたが負けたら、私たちの宴会はどうなるのさ?」

「ぜったい負けるんじゃないよ!」と冷めた目で言った。

いつの間にか、パラダイスの一行もママの後ろに集まり、

全員頷いている。

「はい頑張ります!」と言ってはみたものの、

そろそろ限界だ。吐きそうだ。

「チョッとタイム、トイレに行ってすぐ戻ります。」と言って

外の廊下へ出て、トイレへ行こうとすると

 

その時、目の前に突然、本日の観光バスのガイドが現れた

「添乗員さん大丈夫ですか?」

「今日は私たち乗務員も同じ宿にして頂き、ありがとうございます。」

「いつもは近くのビジネスホテルの狭い部屋らしいのに、今日は感激です。」

「今お風呂帰りに通りがかったら、宴会が盛り上がっているみたいですね。」
何をのんきな事を言っているのだ、

こっちは命がけの修羅場だというのに・・

その時、ある考えが浮かんだ

「旅は道連れ、世は情け」何処でどうなるか分からない。

浴衣姿のバスガイドを見て、幕内力士の様に頼りがいがある。

バスの観光案内はダメでも、この体格ならいけるかも?

突然ガイドの後ろから後光が差し、お釈迦さまの様に見えた

「君は、お酒に強そうだね。どのくらい飲めるかな?」

「田舎は津軽だから父親の相手ぐらいは・・・」

「よし決まった。パラダイスのママも中にいるから、

ちょっとだけ乾杯しよう」

断る間も与えず、一緒に宴会場に連れて戻った。

迷わず舞台の上の決闘の場へ座らせた。

「なんだこいつは?」田舎議員がいうと

「私の助っ人です。」「添乗員とガイドは一心同体」

「続きを始めましょう。」

2人の大杯に酒をどんどん注いで、ガイドには

「訳は後、頼むからどんどん飲んでくれ、これも仕事だ。」

と説明もせず、林はまた吐き気を催し、トイレへいってしまった。

バスガイドの突然の出現に、一時は驚いた恵子ママも、

その飲みっぷりに、やんややんやの大喝采

やがて田舎議員も飲み潰れ、とうとう倒れた。

 

その頃、舞台周辺の人間たちは気が付かなかったが、

ベテランの仲居頭が、密かに老人会のメンバーを上手くあしらい、

下手の出口から退出させ、2回目の宴席準備を進めていた。

何と田舎議員が倒れた時には、すべて準備は整っていた。

トイレで吐きまくり、白い便器を抱えて、寝ていた林は

気が付いて、顔を洗い、うがいをして、宴会場に戻ると

入り口の看板は「歓迎!ドリーム興行様ご一行」となっており、

宴会所には整然と膳が並んでいる。

二の膳、三の膳までついた豪華料理を皆食べ始めている。

ついに宴会場を勝ち取った、と感激した林だが、

遠く上座の、舞台付近は先ほどと変わらず、人だかりが有る。

さっきの田舎議員は消え、代わりに恵子ママがいる。

その隣には、バスガイドがドンと聳え立つていた。

いつの間にか、カラオケも再開し、

二人で「帰って来いよ」を熱唱している。

その後ろでは、パラダイスの山田支配人が、

「らっせ、らっせ、らっせら」と叫んで、

ねぶた祭の「羽根子」の様に飛び跳ねて、踊っている。

近づくと、幹事の瑠奈さんが

「あんたは、いつも肝心な時にいなんだね。」

「もう宴会が始まっているよ。」と冷めた目で言った。

上機嫌のママが

「添乗員さんも飲もう!じゃんじゃん飲もう!」

というが、疲れ果てた林は朦朧として

「いやー、今日はもうだめです。」というと、ママが

「そんなら、踊れ!そんな服、脱いで踊れ!」

もうこうなったらやけくそだ!

林はネームプレートの付いたブレザーを脱ぎ捨て

先ほど顔を洗った時に濡れたワイシャツも脱ぎ捨て

頭を捩った手ぬぐいで縛り、後ろの支配人と一緒に踊り初めた

踊るうちに、酔いがまた回り、朦朧としてきた。

誰が何をしたのか分からないが、途中気が付くと、

パンツ一丁で踊っているが、腰回りのゴムひもラインには

折った千円札が沢山挟まっており、

なぜか幸せ感に包まれて、記憶を失った。

 

【翌朝】

明け方、自分の両側に、ホテルの総支配人と

例の田舎議員が並んで寝ている現実を見て、目が覚めた。

誰かがここへ運んでくれ、

パンツ姿だったので、毛布を掛けてくれていた。

それが誰だったのか?

もしかしたら、あのガイドさん?

確かに温かい太い両腕に抱きかかえられたような気がする。

でもそれは錯覚、夢であってほしい・・・

そして気が付くと、パンツに挟まった千円札が沢山ある。

を外して、集めて束ねると、かなりの金額になった。

それが昨晩の踊った時のチップだと思い出し、

これで、少しは月末払いの借金が返せる。

貧しい発想しかない林であった。

 

横で寝ている、2人はそのままにして、

冷え切った体を温めに朝風呂に入ることにした。

 

早朝の為か、大浴場に人影は無く、貸切状態だった。

気持ちよく、ゆっくり温まっていると、

サウナ風呂から外国人が出てきて、露天風呂の方へ行った。

何を思ったのか、湯舟ではなく、池に入っていくのを目撃した。

そして「ジーザス!」「オウマイゴッド」と叫んでいる。

池は冷たいはずなのに、なぜか何度も頷き、に見えた。

変なことをする外国人だ。と思ったが無視した。

その行為を伝授したのが、

まさかパラダイスの山田支配人だとは知る由もなかった。

 

朝食後、一行はバスに乗り、海に出た

 

・・・続く