第2章  「狸小路」と「札幌ラーメン」の歴史を巡る

 

前半 「狸小路物語」散策

 

数か月後、林からまた召集が有り、「腰抜け探検隊」のメンバーが集まった。

今回の集合場所は、狸小路1丁目と、2条市場の間の、創生川の上の広場だ。

 

少し前までは、狸小路と2条市場の間には、

暗くて、落書きの有る、地下通路が在ったが、

創生川両岸の美観整備で、通路は無くなり、

代わりに地上で行ける、明るい広場が出現した。

 

ここで集合したメンバーは、いつもより多く、女性もいた。

「ここは元々、暗くて寂しいイメージだったけど、

最近明るくなって、大分良くなったわね。

今日は、難しい説明なしで、楽しい市内ツアーだと聞いて、

主人からから誘われたので、楽しみにしてます。」

と中根夫人が言った。

その言い出しっぺの中根は、実は林の旅行会社の社員だった。

「社長、今日は狸小路を散策しながら、ラーメンの話も聞けるから、

絶対楽しい内容だと言って、家内も連れてきました。

天気も良いし、絶好のツアー日和ですね。」と、明るく言った。

その他の参加者も、お互いに挨拶しながら、

カメラを構えて、出発を待っていた。

 

時間になったので、林が挨拶を始めた。

「皆さん、本日はご参加頂き、誠に有難うございます。

今日、皆さんをご案内する、ガイドの林です。

まずは、2条市場の方を見て下さい。

たくさん並んでいる看板の中で、真ん中辺りに、

「ダルマの絵」の看板が、在るのが分かりますか?あれが「だるま軒」です。」

探検隊の伊達が、

「本当だ、屋根の下ばかり見ていたけど、上にダルマの絵がある。

市場の中にも、ラーメン屋さんがあったんですね。」

と言ったので、林は、

「現存する市内のラーメン店で、一番古いとされています。

しかも、この店の麺を作る為に始まったのが、あの有名な「西山製麺」です。

今では、市内のラーメン店の多くへ製造・配達しております。」

と林が説明すると、今度は探検隊の斉藤が、

「市内のどこのスパーでも、麺コーナーに必ず置いてある奴ですね。

ここが発祥の場所だったんですか?」

それに応えて、林が、

「そうです、それです。但し、面白い事に「だるま軒」では、

昔から地下の製麺室で、その日に提供する麺を、

現在でも、自分で作っているのも、興味深いです。

だから、その日によって、細さや、硬さが美尿に違う様です。」

すると、探検隊の小田が、

「昔から、あの場所に在りましたか?市場の中に在るより、

老舗なら、ラーメン横丁辺りに、在っても良いですよね。」

と質問、それに答えて、

「昔はあの場所では無く、こちらの狸小路商店街の中で、屋台で始めましたが、

その後昭和24年に、今の場所で、正式に店舗として開店しました。

そして現在まで、あそこで営業しています。」

 

いきなりラーメンの説明から、ツアーは始まった。

「そもそも、狸小路は、庶民の商店街です。

その歴史も140年前からある、札幌を代表する商店街です。

札幌の街は、大通りを境目に、北は駅と官庁、ビジネス街で、

南側がデパート、商店、映画、飲食店等がある場所と、分かれています、

1条通りはデパート、2条通りは商店、映画、飲食店が多く、

その先5条の歓楽街「薄野」へと続く、庶民の生活の場でした。」

林はここで、商店街の方へ、指さして、

 

「まさにこの南2条通りこそ、庶民の街「狸小路」です。

今から、1丁目から7丁目まで、約1キロ弱を、簡単にご案内します。」

と言って、商店街の地図を全員に配布して、

まずは商店街のアーケードの始まりへ移動した。

 

1丁目では、

 

「皆さん、なぜここが、「狸小路」と呼ばれているのか、ご存じですか?」

林が、質問すると、社員の中根が、

「この先が「すすき野」ですから、文字通り、狸が出たんじゃないですか?」

と答えた。

林が笑って、

「中根君、正解です。しかし出たのは、動物の狸ではなく、人間の狸です。

ここは娯楽や飲食店がある繁華街で、来ていた男たちを言葉巧みに、

誘った女たちを、「狸」になぞらえたのが、定説といわれてます。」

すると、中根夫人が

「あなたも、狸に騙されない様に、注意してね。」

と言ったので、中根は頭を掻いた。

 

話は脱線したが、ここで改めて、林は説明を始めた。

「ここが狸小路の始まりで、突き当り、裏が創生川で、

ここが物流の拠点でした。」

中根は

「ここは、昔行き止まりだったんですか?」

それに林が答えて

「そうです。明治の中頃から大正時代に、ここに「勧工場(通称カンコバ)」

「札幌商品陳列場」(大正8年消失)の大きな建物が、在りました。

今のショッピングセンターに似た商業施設だったようです。」

中根が、

「昔でも、買い物に便利な場所は、必要ですよね。」

林が続けて

「最盛期には、2階に茶室を設け、市内を見下ろせる建物だったそうです。

物を売るだけではなく、客へのサービスも上々だったと思われます。

これがその当時の写真です。」(当時の写真をみせながら)

今度は、探検隊の伊達が、

「こりゃあ、凄い写真ですね。

これなら、今あっても観光名所になりますね。

是非、残しておいて、欲しかったな。

火事や、空襲で無くなるのは仕方ないけど、

札幌市民は、新しもの好きで、

古いものはドンドン無くなっちゃうからな。」

林は、頷きながら、

「余談ですが、皆さんは「南部忠平」さんをご存じですよね?

札幌出身の有名な陸上選手で、ロサンゼルス五輪の三段跳びの金メダリストです。

今の「南部忠平陸上競技大会」の、名前の元になった人ですが、

彼の実家である酒屋もこの辺にありました。この辺は「どぶ川」が多くあり、

小さい頃から、毎日それを飛び越えていたので、幅跳びが上手くなったとか、

雪道でのランニング、市電の線路で飛び出すトレーニングをしたとか、

いろんな話があります。

また、皆さんご存じの漫画家「おおば比呂司」さんも、

幼い頃、ここで花火を買った覚えがある、との記録が有りました。

札幌の有名人が、結構、この辺を歩いていた事になります。」

林は更に続けて、

「さあ質問です、この辺りには、今でも「印象店」が何店かあります。

昔は、もっと沢山有ったと記録に在りますが、どうしてでしょう?」

と質問した。すると探検隊の伊達が、

「先程の話から、想像すると、今はトラック輸送が中心ですが、

当時は、創生川を使った船輸送が盛んだったので、

その際に、商売上の手続きや、積荷人足さん達の証文に、

「印鑑」が必要だったのでは、ないでしょうか?」

と答えたので、林は、

「さすが伊達さんその通りです。

それで、ここは、「ハンコ屋さん」が多い場所でした。

今でも数軒残ってますが、当時はもっと多かった様です。

それと、札幌市内には、月寒に軍隊があり、

そこの兵隊さんの需要も有ったと聞きます。」

この答えを聞いてから、

参加者は、「印象店」を臨み込み、その種類の多さに驚いていた。

 

少し移動して、林が、

「今はもうありませんが、この先の横丁に、

昭和8年に、東京・浅草の仲見世にあやかろうとして、

「新浅草寺」という名のお寺も建て、たいそう賑わっていたらしいです。」

これを聞いて、探検隊の斉藤が、

「今は跡形も無いですね、ここに浅草寺があれば、

差し詰め、ここは仲見世通り、もっと繁盛してても良いですね。

浅草と言えば、見世物小屋やサーカスも有りましたか?」

と質問したので、林は、

これも余談になりますが、

この先、創生川一帯は、昭和34年の札幌例大祭で、お祭り広場として利用され、

広場には、見世物小屋が並び、サーカス小屋もあり、数百人の見物客がいました。

2件あったサーカス小屋の内の一つ、南4条の「八木猛獣サーカス」から火が出て、

檻に入っていた猛獣は焼け死にましたが、出番を待っていた「象」が逃げ出し、

見物客にも被害がでました。象は南6条東1丁目の民家に逃げ込み、

お茶の間に、しばらく居座りましたが、

その後、捕獲され、事件は終結しました。当時は大変な騒ぎだったようです。

それだけこの辺は、浅草のように賑わっていたという事です。」

探検隊の斉藤は、

「自宅の茶の間で、テレビを見ていたら、いきなり象が飛び込んで来たら、

誰でもびっくりしますよ。そんな事件は前代未聞ですね。」

「そうですね、知らないで帰宅した人も、玄関開けたら、象がいたら、

ぞーとしますね。」

と冗談まじりに説明して、2丁目へと進んだ。

 

2丁目では、

「この辺から、靴屋さん、洋品店が多く見られる様になりますが、

このビヤホールを見て下さい。店の看板の上に、ジョッキを持った人形が見えますか?

ここが大正3年から続く、ビール会社系列のビヤホールです。」

すると、社員の中根が、

「ここは有名ですよ、僕も学生時代に、先輩にご馳走になる時に、

何度も来ました。注ぎ立ての生ビールは最高ですね。」

さらに、探検隊グルメ担当の小田が、

「前回の田中先生の話にもあった通り、ビールの普及は、ビヤホールのお陰、

ビールを飲むときは、必要なのは、それに合ったおつまみですよ。

カルパス(ソーセージを乾燥させた物)や、

ピータラ(ピーナッツと塩気のあるタラの燻製)が、

ビールのつまみに人気だったと、

僕も、ビール通の先輩たちから聞いてます。」

と付け加えた。林は続けて、

「当時はビヤホール戦争とも言われるくらい、庶民の人気も高く、

ここに数軒のビヤホールが乱立していました。

中には建物の天辺に五重塔をのせたり、巨大なビール瓶をのせたりして、

誘客を争っていました。」(当時の写真を見せながら)

(写真を見た参加者は驚きを隠せない。)

「びっくりでしょう。こんなのが今でもあれば面白かったですね。

そして、建物だけではなく、店内でも工夫をこらしておりました、

ビールに合う、おつまみやメニュー、店員の制服は勿論、

ビールの種類もいろいろ取り揃えました。

特に「黒ビール」は毎週、曜日を決めて、限定で販売する方法を取り、

ビール愛好家に、人気が有った様です。」

とか説明した。

 

3丁目では、

「この辺には、明治中頃から庶民の娯楽施設が、たくさんありました。

講談や浪曲・落語などが楽しめる、寄席や演芸場です。古い記録には、

1丁目の札幌亭、2丁目の南亭、3丁目の金沢亭、4丁目の市川亭などが残ってます。  

やがて、娯楽の主役が、演芸から活動写真に移ると、演芸場を映画館に変え、

新しい映画館が続々と誕生しました。

ここ3丁目には明治43年に誕生した「遊楽館」が、数度の改装をしながら、

2003年に「松竹遊楽館」として閉館するまで、90年以上も、映画ファンに

親しまれてきました。

探検隊の伊達が

「ここにあった映画館は、そんな昔からあったのですか?

小さい頃から、おやに連れられ、学生時代は友達と、よく来たもんです。

デートもここだったな。」と感心深げに言った。

続けて、林は、

「また余談ですが、後で行く5丁目には、

大正14年?)に洋画専門としてオープンした

「三友館」(後の日活館、東宝プラザ)が在りました。

当時の映画館は、演芸場などと同様に、下足番がいて、

客席は桟敷というのが普通でしたが

この館は、札幌で初めてベンチ席が設けられたらしいです。

とにかく、ここは昔から、庶民の娯楽で、賑わって来た場所です。

あり、週末は特に混雑してました。」

と説明して、駅前通りを横切り、4丁目へ

 

4丁目では

「こちら側の4丁目では、何といっても若い人に人気の「4丁目プラザ」が、

角にありますが、少し進むと、少しレトロなお店があります。

大人にも子供にも人気が有る「中川ライター店」が、昔からあります。」

探検隊の斉藤は、

「外から見ても、店構に趣があり、店内には、

子供には、懐かしいおもちゃやプラモデル、

大人には、パイプやライターを売ってるお店ですね。

中に入ってみますか。」と言ったので、

(参加者は、暫く中に入って、楽しむ。出て来た所で)林が、

「さあ次に進みますが、この辺りは、観光客を目当てにした

特産品を売る「土産屋さん」が多いでしょう?

昔は、本州からの団体客が北海道へ押し寄せ、

お土産に、「木彫りの熊」が、飛ぶように売れた時代が在りました。」

すると中根が言った。

「そうでしたね。観光客は不思議と、皆「木彫りの熊」を買ってました。

内の両親も、札幌に来た時買って帰り、今でも実家に飾ってあります。」

続けて、林が、

「今は外国人観光客が多いので、「木彫りの熊」ではなく、

お菓子や、化粧品を買っていくそうです。」

と説明した。

 

5丁目では、

「皆さん、あの「JRAウィングプラザ」(場外馬券販売所)の入り口横に、

小さな赤い鳥居が見えますか?近くに行ってみましょう。」

と、林が言うので、全員そちらの方へ行くと、説明が、

「この神社は、昭和48年「狸小路百周年」を記念して、4丁目に建てられ、

その後ここ5丁目に移転した、「本陣狸大明神(通称「狸神社」)」です。」

そこで、探検隊の小田が、

「こんなところに神社が、東京なら「お稲荷さん」ですが、

「狸小路」ですからね、やはり「狸」ですね。」

と一人ごとを、林は続けて、

「江戸時代の講談で有名な四国松山、「八百八狸」族の長の系譜であり。

ここをお参りすると、「八徳」が得られると言われています。」

すると、小田が続けて、

「ここにお参りして、馬券を買って、当たったら、お賽銭を上げる、

効率的な考えの人も、居るようですな。」

と言うので、林が、

「お狸様」に水をかけ、自分の身体の痛い処と、

「お狸像」の同じ部分をなでれば、痛みが直ると信じて、

真剣に祈願する人も多いそうです。皆さん、是非ご参拝下さい。」

と言って、全員参拝した。

 

6丁目では、

「右側のあそこには「ロシア料理」の老舗があり、昔から定評があります。

皆さん、これから段々と、通好みの店が出始めます。

探検隊の小田は、

「あのロシア料理の店、ボルシチやピロシキが美味しいですよ。

ウオッカを飲みながら、ロールキャベツも良いな。」

と一人、自分の世界に入っていた。

そのままにして、次に進んだ林は、

「少し先の横丁にある、「狸小路市場」は、2条市場に比べて小規模ですが、

八百屋、魚屋、肉屋と、一通りの食材が揃っていて、

また小さいですが、専門料理のお店も並んでます。」

と言って、少し進み、市場の中へ入った。

全員が戻ってきたので、また少し進み、

「先程、3丁目で映画の話をしましたが、この先の角には、映画通が通う、

「シアターキノ」があります。大きな配給会社では扱わない、

まさに通好みの映画が観られます。」

と説明して、7丁目へ

 

7丁目では、

「この角にあるのが、炭火でホルモンを焼く、塩ホルモンの「炭や」です。

そして、この先左側にあるのが、ラーメン「一徹」です。

昔、「富公」という名の、伝説のラーメン屋がありました。

残念ながら、今は無くなってしまったのですが、

そこのファンであった、現在の「一徹」のご主人が、「富公」を継承すべく、

この店を開業して、現在まで営業していると、聞いています。

但し、ご主人の性格も店の名の通り、「頑固一徹」の様です。」

林の説明を聞いて、社員の中根が、

「その話を聞いて、先日来てみました。初めは怖そうに見えましたが、

後からきた常連さんと、楽しそうに話していて、

夜は、ラーメンだけではなく、つまみも色々だして、居酒屋の様に、

成みたいです。」と言った。

一同、また少し進んで、林が、

「さあとうとう、アーケードの終わりに、近づきました。

ここまで来ると、少し華やかな店は、少なくなります。

最後に、右の角付近をご覧ください。」

と林が言うので、指さす方向を見る。

「1階が骨董品屋で地下に降りると、クラッシック音楽を専門に流す、

「音楽喫茶」があります。部屋の奥に大きなスピーカーがあり、

席は一席ずつで、一方向に並び、そちらを向いています。」

探検隊の斉藤が、

「ここが、噂に聞いた「音楽喫茶」か、クラッシック好きの友人が、

静かに、名曲を楽しむ人には、絶好の場所だといっていたな。」

いったので、林が続けて、

「札幌は、戦前から「喫茶店」が多く、「喫茶店」の街と言われていて、

さっきは通り過ぎましたが、「ジャズ喫茶」や、ススキノには、

「葉巻喫茶」まで、個性的な店が多くあります。

余談ですが、喫茶店のメニューに、当たり前のように「ラーメン」が在るのも

札幌独特の文化です。この件については、後で詳しく説明します。」

と言い、最後の説明に入った。

 

「そして皆さん、商店街のアーケードはここまでです。

話はそれますが、この商店街の人達は、代々新しいものが大好きで、

全国で街灯が流行ると、早速に設置し、昭和の初期には、

スズランの花のような街灯「鈴蘭灯」が、街を彩り、

一時は狸小路の代名詞となっていたが、いつのまにか姿を消しました。

また、「現金つかみ取り」は、紙幣の最高額が百円札の時は百円で、

千円札の時は千円で、一万円札の時は一万円で行っています。

このアーケードも早くから設置して、何回か改装しています。

そして、このガラス屋根は、夏のある時期だけ、開けるんです。

前回見た時、開いていたので、カラスが降りて来て、びっくりしました。」

 

そして、向かい側の8丁目の方を指さして、

「ここからは、10丁目までは、アーケードがありません。。

青空商店街となります。個性的な店や、古本屋もありますが、

私が、個人的に紹介したいのは、狸小路も終わりの部分、

石山通りに出る手前の、10丁目の部分です。

今は昼ですので、夜にならないと、雰囲気が分からないので、そこまで行きませんが

そこに美味い「焼き鳥屋」が2件、「金富士」と「玉屋」が並んでいるんです。

その向かいの「ひょうたん横丁」は、小さな居酒屋が並ぶ、赤ちょうちんの集合帯で、

個性的な女将が切盛りする、狭くて、小さい店ばかりですが、家庭的です。

だから常連客、昔は「さっちょん族」と呼ばれる人が、仕事帰りに寄る店で、

今でも、「単身赴任者」に人気が有ります。安くて経済的です。

是非、機会があれば、今度行ってみて下さい。

 

ここで、狸小路の街歩きガイドは終了です。

私の個人的な趣味や偏見で、ご案内しましたが、如何でしたか?

アンケートに感想を記入して、後で提出して頂ければ幸いです。

後半は、いよいよ「札幌ラーメン物語」散策です。」

と説明して、「狸小路物語」散策を終了した。

 

 

参加者の感想は、皆同様で、いつも何気なく歩いていた商店街が、

別の視点で見ると、まるで違う通りに見えて、

異次元の世界に、吸い込まれる、イメージだと、共通していた。

確かに、街の歴史、当時の人々の暮らしを、考察すると、

まさに現実とは違う、異次元の世界だ。

 

探検隊は、こんな世界を、探し求める為の、冒険だ。

但し、一人では出来ない、皆で探検するのが、

腰抜け探検隊の本質だ。

 

<追伸>

余談ではありますが、先日、本棚の整理をしていたら、書類の中から、

10年以上前に実施していた、ウォーキングガイドツアーの下記パンフが出てきました!

懐かしい思い出が、いっぱい蘇ってきました。吾輩も若かったですね。(笑)