<鹿児島競馬場>昭和23年3月30日撮影。USA-R229-54 。現在地は、鹿児島市東郡元町の西半分である。
鹿児島競馬は、明治18年に鹿児島市山下町の旧練兵場で開催されたのが始まりで、その後明治40年からは天保山練兵場で、大正2年からは常設競馬場として鴨池競馬場(1周半マイル。現鴨池競技場の辺りか?)で競馬を開催したとある。
鴨池競馬場では、競馬規程に基づく競馬、次いで地方競馬規則に基づく競馬を昭和7年秋季まで開催した。そして、昭和9年に完成した鹿児島競馬場に移転した。
鹿児島競馬場では、昭和10年3月8日から地方競馬規則、軍馬資源保護法、地方競馬法、競馬法に基づく競馬を開催し、昭和31年をもって廃止された。この地域の空中写真は、昭和37年9月撮影の空中写真MKU6214X-C7-18 まで無く、同写真では競馬場の痕跡も無くなっている。
馬場の規模は1周1200m
<鹿屋競馬場>昭和22年1月25日撮影。USA-M11-79
鹿屋競馬は、明治32年頃に鹿屋町西原に800mの馬場を作って行われたのが始まりという。そして、昭和2年8月の地方競馬規則の公布に伴い、馬場の延長が必要となったので、翌3年に競馬場を移転し、昭和4年2月から新鹿屋競馬場での開催を開始したとある。
地方競馬史の記述は、以上のようになっているが、同時に掲載されている開催成績表には、鹿屋競馬場の開催成績として昭和2年春秋開催、3年春季開催の次は5年春季開催となっており、矛盾がある。
鹿屋競馬場は、軍馬資源保護法に基づく競馬場として指定されず、昭和13年秋季開催をもって、一旦閉鎖された。その後、現行競馬法に基づく地方競馬場として昭和24年から37年まで競馬を開催し、廃止となった。
廃止時の空中写真は昭和38年11月29日撮影のMKU632X-C10-4 。この写真と、昭和22年の写真を比べると、この間に鹿屋競馬場の外回り馬場は無くなったようであり、1周1600mとある地方競馬規則時代の馬場は、1000~1200m程度に縮小されたようである。
現在地は、鹿屋市札元1丁目、寿4丁目。道路の一部に馬場の形状を残している。
<南薩競馬場>昭和23年3月2日撮影。USA-M806-81
南薩競馬場は昭和5年7月9日、地方競馬規則に基づく開催許可を受け、昭和6年から13年まで競馬を開催。軍馬資源保護法の施行により廃止された。
現在地は、南九州市川辺町大戸原の畑地。25000分の1地形図には、馬場そのものの形状の道路が見られる。
【追記】 鹿屋競馬場は、地方競馬史第1巻に「馬場延長1600m」とあるように、大きな競馬場であった。現在の地方競馬場でこれに匹敵するのは、いずれも一周1600mの門別、盛岡、大井だけである。
地方競馬史第1巻に記載されている、これまで紹介した競馬場の走路距離を、紹介しておく。
江別競馬場1200m 八雲競馬場1000m 今金競馬場1200m
倶知安競馬場1200m 羽幌競馬場1000m 稚内競馬場1000m
根室競馬場1000m 苫小牧競馬場1610m 日高競馬場1600m
釧路競馬場1200m 野付牛競馬場1600m 小樽競馬場1300m
室蘭競馬場1170m 岩見沢競馬場1200m 旭川競馬場1600m
帯広競馬場1600m 札幌競馬場1630m 函館競馬場1603m
北見競馬場1600m 鹿児島競馬場1200m 鹿屋競馬場1600m
南薩競馬場1000m 熊本競馬場1004m
荒尾競馬場1030m(現況1200m) 八代競馬場1200m
山鹿競馬場は、不明である。