令和4年4月4日

忘れたくても忘れられないこの日


私達夫婦が勤める会社は繁忙期を迎えていました。

8年前に生まれた息子も小学生。

娘は大学生となり県外で一人暮らし。

忙しすぎて何時に家に帰れるかわからないので

毎年、旦那の母に泊まり込みで来てもらって

夕食や息子の世話をお願いしていました。


その日、旦那は出勤後デスクで事務処理中

今日の予定を考えながら、ふと、

営業部の同僚の一人がいつもより早く外回りに

出かけている事に気づき、

「早いなぁ。もう出かけたのか。」

そう思った所まで覚えているそうです。


で、、、


気付いたら

救急車の中。。。

その間は

全く記憶無し滝汗



その間、何が起こっていたかというと。。。


※以下、発作の様子を詳細に記載しています。

 ご注意ください。

 









椅子に座ったまま突然、

「ウォォーーー、ウァァー!」

と野太い叫び声をあげ

全身痙攣、硬直、足ピーン、

目は開けたまま眼球は上向き、

歯を食いしばって呼吸出来てない様子。次第に食いしばっていた歯から息が漏れ、泡状の唾液が出てくる。


同僚がすぐに119番へ電話。

電話の向こうの救急隊員さんに実況中継の様に

状況を伝えてくれています。


硬直したまま椅子に座っている状態だったので

同僚と私で床へ下ろし、シャツやベルトを緩め、靴を脱がし唾液等が気管に入るのを防ぐために横向きに寝かせ、椅子のクッションを頭に敷きました。口から出た泡状の唾液をティッシュで拭きながら私は旦那の背中を摩り「大丈夫、大丈夫」を繰り返し言っていました。

そう言いながら

「え、まさか、このまま死んでしまうなんて事があり得る?」

と、恐怖心が湧いたのを覚えています。


発作が起きて約3分後、

痙攣が徐々におさまって、硬直もやわらいでくると旦那が唾液を拭いたティッシュを掴みました。

「あ、意識が戻ったのかな?」

と、思った瞬間、両手で何かをつかむように手を伸ばして指をやみくもに動かしていますポーン

私がその手を押さえるようにつかむと

逆に私の手をモミモミニギニギ滝汗

何?どうした?その間も目は虚ろ。

意識は戻っていない様子。。。


その後、間も無く救急車が到着。

救急隊員さんの呼びかけにも返事なし。

横になっている旦那をストレッチャーに乗せた直後旦那が突然ムクっと上半身を起こして

ストレッチャーに座り

「え?なに?どういう事?」

と喋り出しましたチーン


救急隊員さんや同僚や私が

「横になってて。大丈夫だよ。」

と言っても、頑なに座ったまま

「え?なに?どういう事?は?何?なんで?」

と繰り返しますゲッソリ


すると救急隊員さんが

「あ、まだ戻ってないですね」

と言って再度、横になる様に促し

やっと救急車の中へ搬送


えー、、あれで戻ってないの?

結構はっきり話してたぜ滝汗

確かに目が座って

表情はおかしい感じはしたけども。。。


救急隊員さんに

「私、嫁ですパーパー

と、名乗って救急車へ乗り込むと

旦那がさっきとは全く違う穏やかな声で

「あれ?わし。。。」

    ↑一人称“わし”の旦那ニヤニヤ

私「倒れたよー。発作。たぶん8年前と同じ」

旦那「そうかーー。。。」

と、旦那は大きなため息をつきました。

意識がはっきり戻ったのはこの時だったそう。


救急隊員さんから

「かかりつけの病院ありますか?」

と聞かれ、8年前の発作の事を説明して

「同じ病院へは運ばないで下さい!」

とお願いしました。

8年前の病院は倒れたのが夕方だった事もあるのかもしれませんが搬送直後に何も検査されず、

入院も無し汗

MRI検査は3日後。。。で、異常無し。

原因不明で終わった事に

どこか少し引っかかっていたからです。


“てんかん”であればきっと今、脳波をとれば異常が見つかるはず。


8年前に“てんかん”を検索しまくった時に

”脳波検査が必須“

と読んだ記憶があったので,そう強く思いました。


救急隊員さんが

「脳の病気は〇〇病院が良いのでそこに連絡します!」

と、この地域で大学病院の次くらいに大きい〇〇病院へ救急搬送してくださいました泣

この救急隊員さんの顔は全然覚えてないけど

きっとイケメンだったに間違いないデレデレラブラブ


というわけで、

本格的なてんかんの治療が始まりました。