この本は、戦後GHQの影響を受けていない「戦中の一般日本人が感じた生の意見」を伺い知ることのできる数少ない貴重な資料です。
この本に初めて出会ったのは、私が大学1年生の頃でした。
大学に入学し、学習意欲に燃えていた私は、中央図書館の地下室に行きました。そこには、戦前からの蔵書が所狭しと並んでいました。
心が弾んだのが今でも思い出せます。
ぶらぶら歩きながら本を物色していると、「軍事」という本棚に出くわしました。
当時、世間は民主党一色。それに反抗して右翼青年だった私は、その本棚に吸い寄せられました。
そこは宝の山でした。戦前・戦中の戦争、および軍事に関する書籍が並んでいました。
そこで、たまたま手にとった本がこの「虜人日記」でした。呼ばれたような気がしました。
著者の小松真一氏は、東京農業大学を卒業した生粋の理系技術者です。1944年に、軍人としてではなく軍属として採用され、フィリピンにバイオブタノール(当時不足していた石油の代替品)生産のために派遣されました。
そのため、この本には当時の一般市民としての意見が生き生きと書かれています。軍人の発想とは異なる、一般人の、理系の貴重な意見が「戦後」に汚されずに残っています。
小松氏が理系である点も貴重です。実験ノートを読んでいるがごとく明瞭な描写ばかりです。
特に、この本が貴重な点は、戦後のGHQの検閲・旧日本軍に対する批判の雰囲気を全く受けてない点です。
夫、真一がフィリピンの抑留生活から解放された昭和21年、帰国に際して骨壷に隠し、没収を避けて持ち帰った何冊かのノートがございました。30代前半の真一が戦地で目撃し、感じたままを綴ったこの記録は、戦後ずっと銀行の金庫に眠ったままになっておりました。
なぜ私が今、この本を紹介したいかと言うと、新型コロナが蔓延している国難において現在の行政とこの本で綴られている行政が全くそっくりだからです。
国家総力戦というのに、文官は毎日する仕事もなくただ仕事をしている振りをしたり、堂々と遊んだり、各々の人柄により勝手なことをしていた。
「7月攻勢だ」「8月攻勢だ」とか空念仏を唱えている。平家没落の頃を思わせるものがある。
「終戦」を「敗戦」と認め、反省し、今の世にフィードバックすることこそ必要だと思います。辛いことですが、それをしなければ「過ちは繰り返される」のではないでしうか?
私はもう戦争に負けたくない。チャイナの属国になりたくない。大八洲(おおやしま)にこれ以上原爆を落とさせたくない。
我が国を憂う者ならば、一度は読みたい一冊です。というか、お願いだから読んでください、お願いします。