1週間といっても、火曜日からだから4日だけど…
ぐだびれだぁ
府中編
新年のご挨拶@大國魂神社
とりあえずぅ
3月まで、見守っていてくださいな
三が日はさぞ…
大賑わいだったことでしょう
朝の参道は気持ちがよいです
楽しい若者たちが祝ってくれて
幸せな気持ち、ありがたいことです
そんな金曜日、分倍河原駅まで寄り道walking
まずは駅のロータリーの
新田さん
何故に新田義貞
1333年(元弘3年)5月8日、後醍醐天皇の綸旨を受けて、新田庄生品神社で討幕の挙兵をした新田義貞。
挙兵時は150騎程度だったといわれているが、軍を進めるに従いその数を増し、5月11日の小手指原の戦い、5月12日の久米川の戦いで北条軍(鎌倉幕府軍)を破った。
迎え撃つ北条軍は、北条泰家を派遣して分倍河原に陣を敷き、5月15日の合戦で新田軍を退却させる。
この時、武蔵国分寺が新田軍によって焼失させられたという。
しかし、三浦義勝をはじめとする相模国の豪族の援軍を得た新田軍は、翌16日未明、北条軍を急襲、北条軍は敗走し壊滅的な打撃を受けた。
分倍河原で北条軍を破った新田軍は、一路鎌倉へ向けて南下、一方の北条軍は鎌倉の七つの切通を固め防戦した…
と、鎌倉幕府滅亡の通過点が分倍河原
駅前の騎馬像は1988年5月、府中市が地元の歴史を後世に残そうと建立したもの
新田義貞が駅を背にしているが、それは鎌倉の方角を見ているためだそう…
はい
その駅をスルーしまして、住宅地へ5分くらい
どーーん
高倉塚古墳
府中崖線の斜面上に広がるこの周辺には、これまで確認されている 古墳が25基あり、これらは 高倉古墳群 と呼ばれています。
このうち墳丘が残っているものは4基あり、この高倉塚古墳は古墳群の中心に位置しています。
古来より「高倉塚」と呼ばれ象徴的な存在だったことから中世以降には信仰の対象として保存されてきました。
これまでの 発掘調査 で、墳丘構築工法が判明し、墳丘下層から6世紀前半とされる 土師器 坏が出土するなどの学術成果があり、高倉古墳群を研究するうえで貴重な資料となっています。
なお、付近の古墳群からは、 土器 ・直刀・鉄鏃・玉類が出土し、昭和の初め頃に出土した銀象嵌大刀を含む大刀5振は、平成6年2月に市の文化財に指定されています。
(案内板より)
よくもまぁ、こんなところに…
というより
古墳を軸にギューギューに建てましたな
やはり都内は…
つまらん
せっかくだから分倍河原でランチ
ミックスフライ1150円