なんとなく…
この私が横穴だけでおしまいにする訳には…
いかないっ
ひとっ城歩いて帰ろうと、選んだこちら
安心の駐車場完備
狩野城
(マップにあった説明を記しておく)
狩野城跡は、伊豆一番の武将狩野茂光の居城であった。
茂光は中臣鎌足の子孫、藤原家(南家)の血筋につながる武将である。
茂光の死後も約300年間、北条早雲と戦って敗れるまで狩野氏の本拠として、伊豆一円に勢力を振るっていた。
この一族からは足利幕府、織田、豊臣、徳川幕府と各時代の為政者の御用絵師として活躍した「狩野派」が生まれている。
狩野派のふるさとなんだねぇ
伊豆だったんだねぇ
まずは現地にて縄張り確認
これ、わたしのスタイル
マップもあるなんて親切ぅ
杖まであるわよ
このマップを手に
GOGOGOだ
この地は古くから「狩野郷」と呼ばれていた。
平安時代後期に藤原維影は駿河守の任後、この狩野郷に定住し「狩野氏」を名乗った。
代々伊豆と伊豆七島を治める押領使をつとめ、やがて天城の地に狩野城を築き、ここを本拠地に伊豆を代表する武将として、約400年間も活躍した。
特に狩野茂光は嘉応2年(1170)伊豆大島の為朝を征伐し「介」の称号を賜った。
つづいて治承4年(1180)源頼朝の平家追悼の旗揚げに参じ、一族は数々の功績をあげた。
その後、永享4年(1432)狩野景信は、下向中の将軍足利義教公の御前で「富士の正図」を描きその才を認められ、息子正信と京都に上がって絵師として活躍し、後に正信は「狩野派」をおこした。
明応2年(1493)狩野城は、伊勢新九郎との戦場となったが、今も「郭」「空堀」「土塁」などの遺構は保存されている。
久々の山歩きだから、あまり繁々した山は嫌だし
獣の不安も嫌だし
ここは整備されているコースだから安心して選びました
(が…)
本郭への近道との道標
行きは一気に行って、帰りはゆるやかに下ってこよう
水が豊富な山です
そのぬかるみに踏み込んで撮った1枚
もうね
蜘蛛の巣がね
やだわぁ
久々の
やだわぁ
ストレスだわぁ
半袖だから直に肌に感じちゃって
キャップを被っていても、なんで顔にあたるのかな
山歩きは好きなんだけど
蜘蛛の巣・虫は、不快極まりない
色んな雑念を頭に進むと、次の道標
おっとぉ
深いっ
こういうのは、良い
もう戻ってこないからね
振り返って
西郭
またその先に
おっ
二重堀ぃ~~~
やるじゃないっ
このせっまいエリア
ここが本郭らしい
スルーしまして、
確実にストンと落ちる感が
ど深いっ
楽しいな
蜘蛛の巣なければ、まじ
楽しいな
先が気になるが
1番高いエリアに行こうじゃないか~
なんじゃ、あれ
ふぅ~ん
中郭
一段あがったところに、南郭
南郭から中郭を
廃屋にあった説明板
降りる途中、タケノコ発見
筍、美味しい
好き
我慢
続きまして
東郭
私の目的地は、だいたい人がいないから
来てしまえば何のストレス(蜘蛛の巣以外)もないんだけどね
家を出るまでの葛藤が…
年々億劫になってきた
最後の出丸
帰路はゆるやかコース
くねくねと
無駄な歩みの多いコースでございました
誰もいない自然満喫エリア
地元の方々から、大切に管理されているエリア
しかしながら~
久々の蜘蛛の巣攻撃に撃沈
帰路に着きました