昨日スタバで決めた、本日の散策コースキラキラ

今回のテーマは「石積み」

駐車場はないので、端っこにとめさせてもらう

この鳥居を潜り

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あとはひたすら直斜面を20分上るらしいガーン

いざっグー

みなさんが20分ならuは30分みれば着くであろうOK

本当に遊びのない斜面もやもや

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休み休みでも歩いていけば着く、これがuのモットーグッ

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本当に30分だなもやもや

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ついにゴールが見えてきた!

最後に出てきた石段を上り

女神山の神聖なるエリアキラキラ

ゴーーールっ日本国旗

女神岳926.9mキラキラ

あっちは後回し

よし、行くぞっグー

行ってきまぁす

この辺りは5郭、らしい

もうアップダウンもないので

るんるん進む

ここまでも、この道も怖くないよ

=獣の気配、なし爆笑おいで

4郭、かな

おぉぉぉぉぉ!

キターーーっ!!

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連続している堀はうまく撮れないんだけど

まじですごいっ!

こちらは四重堀切になってます

やばいっアセアセ

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1番だと感動していた松尾古城が…

1日にして落ちたっガーン

ごめんっアセアセ

お宝の城を発見してしまったぁ

まじ感動ハート

連続している堀切って、どうしたらうまく撮れるんだろうかタラー

ドローンしかないかな

女神岳城星 No.15

PC宝永年間の「信濃国郡絵図」に斎藤源左衛門拠城とある。
慶長5年斎藤源左衛門が一揆を起こして女神岳城にこもり、真田氏に抵抗したとされ、その時のもう1つの拠点が馬伏城で、長野県町村誌にその事が記されている。

真田氏の配下であった土豪の斉藤氏がなぜ真田氏に反乱を企てたのか定かでなく、また、反乱の時期も第二次上田合戦中なのか、領主が信幸に替わった時なのかもわかっていない。

なお、最初の築城は鎌倉時代に勢力を誇った塩田北条氏の本拠塩田城に近いことから、40あったと伝わる支城郡の一つとしてこの時代に築城され、真田昌幸が上田から松本への最短ルートである保福寺峠、三才山峠の喉もとを押さえる城として改修したものと考察されている。

振り返る

あっ、石発見!

この脇に

はい、石積みキラキラ

今思えば、なぜこっちサイドは歯っかけのような石積みなんだろう

ポツポツを見ながら

本丸へ

そのviewカメラ

下には3郭

本丸

覗き込むハッ

虎口から2郭を

本丸

あ、虎口じゃないかぃ!?

行ってみようグー

続く

2020.3.20