不謹慎にも青山霊園おばけを散策するきっかけとなったお目当ては~
こちらロ12号
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先日の西郷どん「桜田門外の変」で散った薩摩藩脱藩浪士
有村次左衛門
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のお墓があると知って旬だから来てみたのハハハ
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年(1839年)12月28日安政年(1860年)3月3日は、江戸時代末期(幕末)の薩摩藩藩士尊王攘夷志士薩摩藩士・有村兼善の四男として生まれる。母は連寿尼森元高見の娘)。兄に有村俊斎(後の海江田信義)、有村雄助がいる。
安政5年(1858)兄の雄助とともに江戸で尊攘活動を行い、のちに脱藩し、水戸藩士らの志士と交流を深める。
安政6年(1859)安政の大獄が起きるとそれに憤慨し、その実行者である大老井伊直弼暗殺を水戸藩士らと計画し、翌安政7年3月3日の朝、桃の節句祝いに登城する井伊を狙って江戸城桜田門外で行列を襲撃した(桜田門外の変)。
自身は行列中央の井伊の駕籠を襲い、路上に引きずり出して殺害し、首級をあげた。享年22。
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お隣には兄さんの海江田信義(大河ドラマに出てるのは、こっちね赤
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保3年(1832年)2月11日~明治39年(1906)10月27日は、日本武士(薩摩藩士)、政治家。通称は武次。
幕末期は有村俊斎の名で活動。

天保3年(1832年)、薩摩藩士・有村仁左衛門兼善の次男として生まれた。11歳の時、島津斉興の茶頭に出仕して茶坊主となり、俊斎と称した。
嘉永2年(1849)、薩摩藩の内紛(お由羅騒動)に巻き込まれた有村父子は一時藩を追われ家は貧困の極みに陥るが、嘉永4年(1851)、新藩主・島津斉彬によって藩に復帰、このとき俊斉は西郷吉之助、大久保正助、伊地知龍右衛門、税所喜三左衛門、吉井仁左衛門、長沼嘉兵衛(早世)らと『近思録』を輪読する会、いわゆる「精忠組」を結成、幕政改革や日本の近代化を考えるようになった。嘉永5年(1852)、樺山三円(のち樺山資之)とともに江戸藩邸に勤め、多くの勤王家と知り合う。
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この青山霊園も高野山の如く、歴史に浸れるスポットですわ
一般の方々には申しわけないけれどぉ
今後も粗相のないよう、気をつけて巡りたいと思います笑