先週、「左手のピアニスト」智内威雄さんの両国門天ホールでのリサイタルを拝聴しましたので、その感想を書いてみたいと思います。


智内さんは「左手のアーカイヴス」の主催者として幅広い活動をされていますが、この門天ホールでは現代作品の初演を初め内容的にも非常に充実した刺激的なプログラムを企画されているようです。


今回も川上統さんのソナチネ「アイリス」や橋爪皓佐さんの回り燈籠が初演、そして、ビッドゲンシュタイン版のバッハのシャコンヌ、日本の唱歌からスクリャービンなど左手ならではの名曲まで盛りだくさんのプログラムでした。


まず、何といっても強いインパクトを放っていたのはビットゲンシュタイン版のシャコンヌ。「左手開拓者」のビッドゲンシュタインがブラームスの左手編曲をさらに演奏効果を高めて拡大解釈したもので、壮大な世界が繰り広げられました。


智内さんによれば、この編曲版は演奏時間として大体17分(原典版では大体12分くらい)ほどになるそうです。しかし、テンポが遅いとか間延びした印象は全くありませんでした。シャコンヌのスケールを左手で限界まで引き出そうというビットゲンシュタインの野心、智内さんの高い表現力が光りました。

ビットゲンシュタインの編曲の核心は、両手のブゾーニ版のような演奏効果を最大限に引き出す点と、ブラームスの左手版にある原典に忠実なバッハの線的なラインの鍵盤ならではのクリアーな表現の両立にあると感じました。この知られざる「名編曲」の演奏の機会が今後増えることを願ってやみません。



また、川上さんのソナチネ「アイリス」や、橋爪さんの回り燈籠の所謂現代作品の初演においても、智内さんならではの高いテクニックと表現力、音楽理解、さらにはプログラム構成の妙が門天ホールの空間に彩りを添えます。


まず印象深かったのは川上さんのアイリスが各楽章前に日本の唱歌と合わせて演奏されたこと。単なる新作の初演という趣向に飽き足らず、作品の本質的な魅力を伝えようという智内さんのアイディアに演奏効果と共に人間的な暖かさを感じました。


また、川上さんや橋爪さんの作品は、響きの点や時間の流れ方においても、大変斬新なものがありましたが、他方で吉松隆さんの「アイノラ抒情小曲集」のような現代作品でも非常に耳に慣れた親しみやすい作品が演奏されたこともコンサートをより開かれた深いものにしていたと言えると思います。


川上さんのアイリスは、同名の花から命名された可愛らしい作品でその清楚な愛らしさがソナチネの伝統的なイメージと結び付けられた魅力的な作品でした。川上さんにはこれまでに智内さんと「宮沢賢治の夜」など、特定の目的やテーマにおいて書き上げられた美しい左手小品集がありますが、今回の作品はどちらかというと川上さんのライフワークである動物や植物の「フォルム(形態)」の音楽における視覚化と言えそうな一連の素晴らしい作品群の系列に属する作品であったと思います。生命の背景にある自然のイメージや人間との関わりを敢えて捨象し、生命の内的な躍動や多様な形態に対する愛が音楽化された川上さんならではの世界。今回も斬新な和声から美しいアイリスの花びらをめくるめく堪能しつつ、最後にきゅっと短三和音に纏まるところなど、その手腕は鮮やかでした。


橋爪さんの回り燈籠はギタリストでもある作曲者ならではの響きがとても印象的でした。垂直に積み重ねられる和声、ギター弦を引っ掻くような心地よいサウンドがこれまでにない独自の「左手音楽」を創りだしていました。空間や時間の感じ方においても、スケールの大きさを感じさせる作品でしたが、現代作品ならではの斬新な響きの背後で、非常に日本的な素朴な抒情性や何とも言えない味わいが感じられたところも大変すばらしかったです。回り燈籠とは枠を二重にし、回転するようにした灯籠のこと。「さまざまな物の形を切り抜いて内枠に取り付け、ろうそくの熱による上昇気流で内枠が回転すると影が外枠の紙や布に回りながら映る。」まさにそんな光景が目に見えるようでした。


筆者としては川上さんや橋爪さんの音楽の方が「好み」であることは確かで、吉松隆さんの作品は何か音楽的な感動(感情としての深み)の点で物足りないものを感じないわけには行きませんでした。が、しかしそれでも次の点は筆者も深く感じるところはありました。


つまり、川上さんや橋爪さんのような作品を、古典的なプログラムと合わせて聴くとなると、所謂「現代作品」は「似た響き」に聴こえ易い、という点です。これは現代作品特有の音との向き合い方、時間や空間の感じ方が非常に多様であるにも関わらず、プログラム構成上皮肉にも極めて似てしまうという現実を暗示していたようにも感じられました。この点、吉松作品は旋律や様式感が極めてはっきりしており、細部の「工夫」に聴き手も安心してなじめます。ソナタやワルツのような決まった様式を排除して音の価値を新たに発見しようという傾向が支配的な現代音楽の一つのイデーと共に、現代の新しい音楽と聴衆をどう「繋ぐ」のか、という極めて本質的なテーマを考えさせられました。(しかし、これはあくまで筆者の個人的な関心であり、会場のお客様が非常に興味深く、様々なイメージを連想しながら楽しまれていたことは言うまでもありません。)


そして、リストのハンガリーの神や、スクリャービンの前奏曲と夜想曲といった智内さんの得意とするレパートリーの圧倒的な世界。これについては、もう素晴らしいとしか書きようがなく、是非、これを読んでくださっている方々にはライブで聴いて頂きたいと申し上げます。


次回の智内さんの門天ホールでのさらなる企画が本当に楽しみです。