「日本のヴァイオリンソナタ」


それもクラシック音楽を日本において確立させた功労者幸田延から『ゴジラ』の作曲者こと今年生誕100年の伊服部までの邦人作曲家によるヴァイオリンソナタがずらりと並ぶ、貴重な貴重な演奏会。


その未知なる調べへの期待に胸躍らせながら、筆者は昨日笹塚Blue-Tに出かけてきました。



昭和の趣を感じさせるホテルの一階のバースペース。ジャズが聞こえてきそうな雰囲気の中、超満員、開演前から熱気で溢れていましたね。



そもそもの筆者のきっかけは、このコンサートで幸田延(1870-1946)のヴァイオリンソナタが演奏されると知ったこと。幸田延は明治期において日本のクラシック音楽の礎を築いた功労者ですが、どちらかと言うと教育者として有名かもしれません。「上野の西大后」とあだ名されるほど、影響力が大きかった人です。


その幸田延ですが、実は彼女こそ、日本ではじめて本格的なクラシック曲を作曲した人であるとううことはあまり知られていません。そう、日本で最初のクラシック作曲家とはこの幸田延に他ならないのです。そして、その最初の曲こそがこの日演奏されたヴァイオリンソナタにほかなりません。



その幸田延に始まり井服部に終わる既に故人となっている邦人5人の作曲家によるプログラム。企画者の情熱と心意気を感じ取らないわけにはいきません。



筆者としてみれば、「日本で最初のクラシック曲」を聴くために足を運んだのですが、今回はそれを大きく上回る収穫がありました。



吉田隆子(1910-1956)の二調のソナタを聴くことができたからです。



筆者はその存在そのものをこの日まで知らなかったのですが、とても衝撃を受けました。



生前は戦時下の日本にあって左翼活動に傾倒した方ということで、最初に演奏された幸田作品と並べて演奏されたことは非常に感慨深く、また刺激的であったと言ってよいでしょう。


民謡を題材としつつ非常に精緻に織り上げられる音楽は本当に一級であり、海外の一流作曲家のそれに劣るものでは決してないと感じました。また、その精神性はショスタコーヴィッチなどにも通じると言えそうな深いもので、時折ほどばしる激情も表面的な効果を狙った表現ではなく、底深い音楽的感動が込められていました。


吉田作品の特徴は現代を含めてどんな党派にも属さない独創性があったと思います。田中昭三などを連想させる孤高の精神性を感じました。これが戦前の日本の女性による作品であるということは驚嘆以外の何物でもありません。


これに対し幸田延はブラームスやシューマンの様式を踏襲した優等生的なものであり、また時代の空気を反映した滋味深いものでした。爽やかなファーストレディの登場の後、深い精神的な響きを聴いたという印象でした。


貴志康一(1909-1937)は夭折の天才音楽家ですが、これも日本的な戦前の映画音楽を連想させる雰囲気があり、随所に魅力的な響きがありましたが、ピアノパートはやや単調なところがあり、必ずしも彼のベストの作品ではないように感じました。


入野義郎(1921-1980)は日本で初めて十二音技法を導入した人ですが、日本におけるモダニズムの受容という点で非常に重要な人だと思います。やや、遊び心に乏しく単調になるきらいはあったものの、しっかりした構成と随所に聴かれた十二音音楽ならではのユニークな表現は見事でした。


「トリ」は伊福部昭(1914-2006)。三楽章構成ですが、転調らしい転調が一つもなく、ある意味でアクロバティックさを感じましたが、『ゴジラ』にも流れているその荒々しい独自な表現は誰にもまねできるものではありません。この独自な音楽の魅力は音楽的な財産として語り継がれるべきでしょう。



ヴァイオリンの出口実折さん(幸田、貴志、入野作品)の特に入野作品で発揮された高い集中力。


企画者でヴァイオリンの上田朝子さん(吉田、伊福部作品)の作品への揺るぎない信念、確信。


ピアノパートを担当された斉藤芹香さん(幸田、吉田、入野作品)の香り豊かな表現。


ピアノパートの上羽剛史さん(貴志、井福部作品)の良い意味でクラシック風ではないダンディーな味わい。



それぞれの演奏者もとても魅力的でした。



 今回の演奏会を聴いて特に感じたことは、日本のクラシック音楽ならではの魅力と共にその歴史において女性がとても大きな意味を持っているということ。吉田隆子の再発見の意義はとりわけ大きいと言えそうです。



更なる再発見の旅と共に、ここに純粋な戦後世代の音楽がどのように「絡んで」来るのか。今後の展開がとても楽しみです。


また、まだ若い演奏者の方々が、日本のクラシック音楽の歴史と真剣に向き合うという動き自体がとても大きな意義を秘めているのではないでしょうか。



素晴らしいプログラムと意欲的な演奏に、超満員の会場のお客様も大満足であったことは書くまでもないでしょう。



最後に挨拶された企画者の上田さんのスピーチがこのコンサートの意義を何よりも物語っていたと筆者は思いました。




「この演奏会の企画を思いついたのは、昨年秋にオペラシティで開催された「五線譜に描いた夢」という展覧会に行った時です。


今回企画するにあたり、楽譜やCDを30曲ほど集め、その中からメンバーで選曲をしました。


素晴らしい曲なのになかなか演奏されないものが多く、今回ご紹介できたのはその一部ですが今日は学生さんのお客様も多く、これからこのような演奏会が増えることを期待しています。


日本で西洋音楽を勉強する人の多くが、なぜ自分は日本人なのに遠く離れた西洋の音楽を勉強しているのだろう…と考えたことがあると思います。


その問に対する答えの一つが邦人作品を演奏することだと思います。


フランス人がオシャレにラヴェルを弾く、イタリア人が気軽にオペラアリアを歌う…もちろんそれらは幻想かもしれないのですが、それをうらやましがるならば自分と同じ国で産まれた西洋音楽を演奏してみればそれがアドヴァンテージになり得るのではないでしょうか。」