「東京現音計画東京現音計画#02 イタリア特集II:ミュージシャンズセレクション1・有馬純寿」に行ってきました!!



現代イタリアを代表する作曲家たちの傑作を集めた第一級の演奏家たちによる意欲的な演奏会。筆者はとりわけ、昔から巨星ノーノの晩年の作品に強く憧れていたので、「これを逃すと次は遠い」とばかりに出かけてきました。



所用もあって、後半しか拝聴することができませんでしたが、行って良かったです。



フィリデイの「狂気の練習Ⅰ」は演奏者四人が風船で色々な音を出す「作品」で、単なるデモンストレーションではなく構成やリズムなどもあるのですが、会場で実際に見ているとやはり滑稽なものは感じました。


優れた演奏家が互いに向き合って内側に円を描きながら、会場に背を向けて、ひたすら風船をいじり倒す光景はとても不思議な感じがしました。しっかりした音楽を奏でているようでありながら、笑わずにはいられないような、筆者も「これは笑ってはいけないのか」とずいぶん悩みました(笑)。



ノーノの晩年のエレクトロニクス作品「ジェルジ・クルタークへのオマージュ」は現代ハンガリーの大作曲家クルタークに捧げられた作品ですが、クルタークの「声」への身振りのような声楽の発声がエレクトロニクスによって残響が増幅され、器楽奏者が厳かに対話するという内容。


若いころの音列技法を用いた「屈強なイタリアの若者」的な生きの良い反骨精神も素晴らしいですが、ノーノと言えばやはり何と言っても、晩年の深い精神性とガラスのように繊細な美意識が際立っていると思います。ロマン主義的な伝統の彼方で極端に表現を切り詰めると大抵はかえって非常に野暮ったい、重々しい作品になりがちですが、ノーノの感性はとても透明度が高く、隅々まで美意識が行き渡っています。


その深い精神の息吹を細心の注意と集中力によって甦らせた見事な演奏だったと思います。


ただ、一つ感じたことは、ノーノの晩年の作品のような傑作を扱う場合、コンサートスタイルは必ずしもフィットはしていないという点です。このような音楽、あまりにも繊細な美意識を扱うためには、現在の音楽環境は必ずしも作品の美を引き立ててはいないと思います。ノーノは決して「環境音楽」のようなものではなく、伝統や歴史、社会問題にも妥協のない眼差しを注ぐ深いメッセージ性のある作曲家だと思いますが、彼の作品はそれでも私たちが「音楽を聴く」ことに対して一定の問題を投げかけていると思います。



「優れたヨーロッパの第一級の現代作品を第一級の演奏で聴く」という大変貴重な演奏会。他の演奏会からは得られない感動と共に、様々な想像を掻き立てられた意義深い時間を過ごさせて頂きました。