今夜は――戦争に関わった作曲家たちをめぐって――と題して、20世紀前半の我が国を代表する作曲家山田耕筰と「大東亜戦争」について少しばかり考えてみたいと思います。



さて、山田耕筰が「赤とんぼ」や「からたちの花」などの童謡や唱歌を作曲したのみならず、大規模な交響曲やオペラも書いた我が国を代表する大作曲家のひとりであったことは一般にはまだ知られていないようです。実際、彼は紛れもない大作曲家で、20世紀後半を代表する武満と並んで日本が世界に誇る偉人の一人と言ってよいと思います。



ところで、その山田耕筰ですが、彼に先の「戦争責任」の嫌疑が未だに存在するということをみなさまご存知でしょうか?



山田耕筰さん、あなたたちに戦争責任はないのですか―新谷のり子さんへのインタビュー「なぜ反戦歌を.../梨の木舎

¥1,733
Amazon.co.jp


参考コラム

・「山田耕筰と信時潔の戦争責任を考える」音楽評論家佐々木光
「山田耕筰は,昭和20年3月10日東京下町大空襲のとき,どこにいて,なにを感じたのか?」




以上、もっときちんと精査しなければならない部分が多くありますが、山田耕筰が音楽家として積極的に先の戦争に協力していたということは間違いのない事実のようです。彼は百曲余りに及ぶ軍歌、軍国歌謡を作曲しており、音楽界の統制団体の会長などを務め、音楽家の国策協力の陣頭に立って活動しましていました。



ドイツのリヒャルト・シュトラウス、イタリアのマスカーニなども戦後戦争責任の嫌疑があったようですが、山田も同様(あるいはそれ以上!?)とみてよいでしょう。特に山田の戦争協力は表面的なものではなく彼の芸術上の信念とも深くかかわっていたことは間違いありません。







これについて山田はどう答えたのか。確実かどうか確認しなければなりませんが、先の参考コラムには次のように山田が戦争責任について述べたと記されています。



「「戦争中は日本人なら誰一人として日本の勝利を願わなかったものはいなかった。自分は当然であり、天皇陛下を敬愛すること人一倍であった。しかし、日本は敗れた。しかし、天皇はその責任をとらなかったんだ。だから、私もその責任などとる必要はないんだ」。戦後、山田耕筰が始めたオペラ運動のための「楽劇社」という団体を筆者がインタビューのために訪れたとき、山田耕筰はきわめて明確に述べたんです。」(・「山田耕筰と信時潔の戦争責任を考える」音楽評論家佐々木光から引用)



もしも山田がこのように本当に述べたのならば、現在の国際社会の通念に照らしてそれを無責任だと非難する声があるのはやむを得ないかもしれません。実際、先の戦争は日本の敗戦によって国際社会から日本の価値観が否定され「悪」とされた戦争でもあり(これについては19世紀後半から20世紀以後にかけてでは戦争についての観念も大きく変遷していることも十分に考慮する必要もあると思われますが)、その立場に立てば必然的に道義的に反した行為に加担したことになるわけですから。


しかし、このとき忘れてはならないのはこれが国民の総意による戦争であったということであり、諸外国はともかく単に軍部の暴走として私たち自身「被害者」という立場をとることには無理があるという点でしょう。


戦前の日本が何を為したかということや、戦前の価値観が現在も通用するかという問題はとりあえず埒外に置くとしても、私たちの祖父母が信じて総意によって戦った戦争のその当事者に対して、まるで常軌を逸した他者のように語ることは(いわば身内の)人情として心苦しいものがあります。


心苦しいどころか、実際、それは私たちの祖父母の姿なのであって、ある意味では私たち自身の「過去」だと言えるでしょう。だとすれば、戦前はあれだけ熱狂的に「信仰」していながら、一転してまるでそんな事実はなかったかのようにそれを罵倒し、否定するというのは決して正しいあり方とは言えません。確かに親は親、子は子、という考えもありますが、現実問題として明治以後の近代化、富国強兵の流れのすべて山田耕筰も含めた文化遺産のすべてを否定することは出来ない相談だからです。


仮に「全否定」するとしても、それは自己自身についての罵倒であり、否定であるという痛みを伴わなければそれは明らかに矛盾しています。なぜならば、全くの他者として過去を否定するということは、非難されるべき恥ずべき無責任を自ら自認することにほかならないからです。



いずれにせよ、以上の山田の発言の意は(その真偽はともあれ)「日本は一生懸命自らの信念にかけて戦ったが負けた。トップの天皇も自害はされていなければ退位もされていない。だから、日本は負けてしまって、過去の信念はもはや声高に主張することはできないし、日本がしたことについての非難は甘んじて受けれなければならないけれども、過去は過去として新たに出発する以外にはないではないか、仲間内で素知らぬ顔して非難し合ったり、死者に鞭打つようなことは止めようではないか」という程度に汲んでよいのではないかと筆者としては考えたいと思います。こうした、山田の考えが根本から間違ったものであるかどうか、それはここでは敢えて問わないことにします。









それでは、山田の音楽は現在の国際的な価値秩序に照らしてその思想的な意図が肯定され得ないとした場合台無しになってしまう、そのようなものなのでしょうか。むしろ、山田の音楽の真価は、彼の思想が公然と肯定的には語られ得ない、そういうコンセンサスを得ることが困難な現在であるからこそ、問うことが出来るのではないでしょうか。



ところで、こういう問題が生じた場合、


1)罪を犯すような人間の作品だから芸術的な価値も疑わしい


2)芸術はあくまですばらしいけれども罪は追求されなければならない


3)芸術がすばらしいのだから罪に問われなくともよい


4)そもそも悪でもなければ罪を犯してもいないのだから、糾弾されるのは不当である


という大体4通りの反応のパターンがあるように思います。4)についてはこれを語るということは、敗戦という現実に納得がいかず、国際社会の決定に異議申し立てをすること、つまり、もう一度戦争をしようと言っていることと同じことになりかねません。確かに芸術家に罪はないかもしれませんが、それでも国際社会から否定されたという現実は重く、その否定された価値観を肯定した芸術はその限りで評価が難しくなるのは必定でしょう。また、他者からその価値観を非難され、罪に問われることだってあるに違いありません。逆を言えば、国際社会の価値秩序を覆すことができれば、4)を公然と主張できることになりますが、これについては本稿の主題を超えますのでここでは論じないことにします。


1)は芸術を貶める考え方につながりかねません。ワーグナーやプッチーニなど倫理的には滅茶苦茶でも、偉大な作品を残した作曲家はたくさんいます。そうした作曲家に対して「倫理的に立派でないから駄目だ」というならばその人は「倫理的、道徳的に立派であるとはどういうことか?」という哲学的問いに自ら答える必要があるでしょう。


3)は一種の開き直りで、芸術家であるからといって何をしてもよいということにはならないのはもちろんのこと、作品もその思想と無縁ではない以上、何らかの糾弾は免れ得ないでしょう。


とすると、残るは2)ですが、これも本当に有効性を持っている考え方かどうか、疑問があります。実際、シュトラウスもマスカーニも山田も公的に責任は問われていません。明らかに敗戦国としてその芸術的なプロパガンダであったことについて「罪」があるのに、責任が問われなかったのは彼らが第一級の作曲家であることを誰もが否定できないことと無関係ではないでしょう。偉大な作品を世に生み出す力というのはそれだけで現実的な権威があることの何よりの証明です。(もっとも、これは一度世に認められればの話で無名のアーティストは平気で戦地に飛ばされるし、殺されますが。)


まず以上のことから「音楽がどれほど現実的な影響力と権威を持っているか」ということがわかると思います。私たちが思っている以上に、音楽は「力」、それも政治的な威力を持っているわけです。


そして、この威力は彼らの人格の力でもあるということに注目する必要があると思います。つまり、音楽的作品には「深い人格的感化」という意味での影響力、政治力があるのであって、山田作品にもこれが当てはまると思われます。というのも、そもそも音楽は時間の芸術であり、彼らの偉大な生の内部から迸るようにして誕生するものだからです。


現在の国際的な価値秩序に照らして、ナチスドイツを肯定する余地はありませんが、それでもだからといってワーグナーの音楽が価値を全く失うということがないように、ましてや山田の音楽についてそれが戦争の評価の問題で価値を失うということがあろうはずがありません。








このことを抜きにして、彼らの音楽や人格について「良い、悪い」を論じるのはいくつもの妄想を渡り歩き、白が黒に、黒が白に容易に反転しながら全く本質を見失うことになるでしょう。そして、このような議論がなされているとき、彼らを肯定するにせよ、批判するにせよ、常にこの本質を見失った「他者」の視点から論じられてきたように筆者には感じられます。



山田作品を再評価する場合、難しいのは彼の音楽が私たちの文化にとって非常に大きい精神的な意味を持っているからです。この部分が先の敗戦によって否定されているため、またそれをそのまま肯定することもできないために、問題が生じていると筆者は考えます。そして、これは現在の私たち自身の問題でもあると考えられます。つまり、極端に「右」に振れた文化が戦後の「左」の価値観によって完全否定されつつ、実は煮え切らない情念を内に抱えているというのが私たちの現状なのではないでしょうか。このため、私たちの精神的態度は極端な自己否定か極端な自己肯定のどちからになっているように思われます。これは一方が他方を否定すればそれで済むという問題ではないのではないでしょうか。


これに関して、先の大戦をどのように評価するのか。「戦前」の我が国をどのように考えるのかという問題とある種の山田作品の復興は密接な関連があると思います。軽々には答えられませんが、「負けたという結果がまずかったので意図は全否定されるべきではない、もっと緻密な戦略が必要だった」と考えるのかそれとも本当に「全否定」か。しかし、全否定の場合でも「私たち国民の総意に基づいた戦争であった」という肝心要の部分はやはり忘れてはならないでしょう。「だまされた」とだけ言って無責任な態度を取り続けることは山田同様、私たちにも許されていないことだけは確かです。筆者としては、単に「肯定するか、否定するか」ではなく、山田作品の素晴らしさをそのままに受け止めつつ、さらにそれを乗り越えて行くことが大切であると思います。これは「音楽の未来、社会の未来をどう考えるのか」ということでもあると思います。


だから、彼らを批判するためには、その責任を問うためには「私たち自身がどのような未来を切り開きたいと考えているか」ということを明確にしなければなりません。彼らの不十分さを第三者的に指摘しても全くナンセンスなのであって、生産的な議論は不可能でしょう。



とはいえ、単に「未来ビジョンを考える」と言っても、私たちはすでに戦争を知らない世代に属しており、想像力に欠けた想念しか持ち得ないかもしれません。そこで、次のような参照点を踏まえることはある程度有意義だと筆者は考えます。







それは「兵士として戦地に赴いた作曲家とそうでない作曲家」を比べてみることです。



たとえば、シュトラウスやマスカーニそして山田は先の大戦では兵士としてではなく、軍のリーダーとして戦争を指揮する側だったと言えるでしょう。



では、「兵士だった人」ないし「戦争で被害を蒙った人」というと、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク、メシアン、、、などなどです。特に、新ウィーン学派の三人は第一大戦の折、祖国の勝利のために自ら積極的に参戦し、その後全く意見を変えてしまったと言われています。そして、彼らはいずれも戦争に反対するだけでなく、ナチからも「退廃音楽」のレッテルを張られ、国外での亡命生活を余儀なくされました。



ここでさらに興味深い点に気付きます。それは、前者が極めて保守的な作風を生涯守ったのに対し、後者は極めてラディカルに独自の道を歩み、西洋芸術にモダニズムをもたらしたこと、これです。


ここには極めて注目すべき「何か」があるように筆者には思えてなりません。ここには戦争の芸術の極めて深い関係を見て取ることができるのではないでしょうか。



20世紀以後のモダニズムの意味も、単なる理論的な問題ではなく、二つの大戦が人類に対して提示した最も深い問題との関連で考えなければならないのではいでしょうか。(実際、いわゆるダルムシュタット学派はワーグナーやシュトラウスのロマン主義的音楽観を解体する試みであったともいえる。音楽によって人を思想的な陶酔に巻き込む価値観自体からの脱却として音楽の意味を新たにとらえ直そうという試みとして捉えられるでしょう。)



いずれにせよ、現在尚問題であり続け、その作品の評価には格別の配慮を要する山田耕作。



人類の過去の遺産と向き合い、それを乗り越えようとするところに私たちの「今」があります。山田耕筰が遺した芸術を無視するのでなく、また単に礼賛して先祖がえりするのではなく、素晴らしいものを素晴らしいものとして評価しつつ、私たちの未来の礎として、また乗り越えるべき課題として向き合うことが必要であると筆者は考えます。



今年は山田耕筰についてもっと知りたいと思います♪