「左手のピアニスト」智内威雄さんのコンサートに行ってきました♪ 昨年末のNHKのETV特集をご覧になられた方も多いと思いますし、智内さんについてはすでに多くの方が書いておられますので、ここでは今回2014年1月12日両国門天ホールでのリサイタル(夜の部)で筆者がとりわけ感銘を受けた点に限ってご報告させて頂きたいと思います。


 客席が50ほどのアットホームな空間でしたが、プログラムとしては繊細かつ壮大。シューマンやグリーグなどのクラシックのスタンダードナンバーとポンセやレーガーの知られざる大作。そして、日本の唱歌と気鋭の現代作曲家による新たな音楽の調べ。智内さんの音楽への溢れるばかりの情熱が凝縮されていました。


 まず、驚いたのはシベリウスの「もみの木」グリーグの「アリエッタ」など、クラシックのコンサートでは大変有名な叙情的小品が、左手のために全く新たな息吹を吹き込まれていたこと。和声が豊かに付加され、ドラマティックな響きが聴かれました。もしも、このような編曲を両手で試みるとしたら、原曲の持つ抒情性は完全に損なわれてしまったことでしょう。左手だからこそ可能な豊穣な表現を堪能しました。


 ポンセ及びレーガーの「前奏曲とフーガ」では、大変スケールの大きい演奏が披露されました。「前奏曲とフーガ」はその複雑な構造から歴史的には両手鍵盤やオルガン、近代では大編成で書かれる作品ですが、最小において最大を実現すべく敢えて「左手一本」で表現しようという「表現の限界」に挑む巨匠の野心が感じられます。(当然、作曲者が示す険しい頂を臨むために演奏者にも相応の技量と精神力が要求されます。)ETV特集でも取り上げられたメキシコの大作曲ポンセにおいては、南米特有の流離うメランコリーが、レーガーにおいてはドイツ音楽の堅固な構成感と世紀末を覆う混沌がダイナミックに表現されました。繊細な響きのコントロールと音色の豊かさ、真の通ったタッチと明快な構成感を併せ持つ智内さんだからこそなし得る偉業だと言うことができるでしょう。


 「さくらさくら」等の日本の唱歌やトロイメライ、冒頭に演奏されたアヴェマリアなどの叙情的な作品においてはシンプルなピアノの響きが会場を爽やかに吹き抜けていきました。とりわけシューマンのトロイメライは「左手がむしろオリジナルではないのか」と思わせるほど自然な表現で、聴きなれた旋律とハーモニーが左手一本で表現される様は大変詩的で趣がありました。いずれも、智内さんが主宰されている「左手のアーカイブ」において編曲された(初心者、中級者向けの)「左手版」ですが、「片手に障害を抱える方にもピアノという選択肢を開く」という志とピアノとの原初的な出逢いの感動が背景にあると思います。智内さんの人間的な温もりが身近に感じられ、会場のお客様も大変和んでおられたようでした。


 そして、筆者がこの日とりわけ感銘したのが3人の現代作曲家の左手作品。いずれも智内さんによる委嘱作品で、「新たな左手文化」を切り開く智内さんのチャレンジ精神の豊かな果実を堪能することができました。


 前半に演奏された塩見充枝子さんの「架空庭園2」では、時折聴こえてくる連打音が描き出す異空間性の中に、鳥の鳴き声を思わせる美しい響きが羽ばたくように解き放たれます。拡散するコスモスと生命の躍動がシンプルに表現されたとても印象的な作品でした。智内さんの表現はさながら「門天ホール」というキャンパス(空間)に日本画の世界を描き出すようで大変スケールが大きくタッチも鮮やかでしたが、現代音楽ならではの斬新な響きと時間の感覚、日本的な奥行きある陰影と残心にも大変感銘を受けました。


 川上統さんの宮澤賢治作曲「星めぐりの歌」による幻想的小品と「みちびき地蔵」は本当に感動しました。川上さんの現代的でリリカルな即興性と賢治に象徴される豊かなポエジーが見事に調和していたからです。とりわけ「みちびき地蔵」は3.11がテーマとなっていて、津波の表現なども存在します。低音から突き上げる津波のグリッサンドはむしろ優しく美しく、しかし無情にも響く高音の「ラ(=A)」の音は残酷な現実を偲ばせており、これが作品を非常に含蓄のある深いものにしていたと思います。津波の後に現れる「輝くお地蔵様」の表現も本当に神々しく、無機質だった「ラ(=A)」も周辺の音と共に優しくなぞり返され、慰めと浄化を経て音楽は静かに時の中に消えてゆきました。正直言って、直前に演奏されたレーガーを聴いた時に「これが今夜の最高潮だろう」と思っていたので、予想は大きく良い意味で裏切られました。


 しかし、今夜はこれがクライマックスではありませんでした。近藤浩平さんの「海辺の雪」が演奏されたからです。これも川上さん同様震災追悼曲として智内さんによって委嘱された作品ですが、大変な傑作だということは以前から譜面では知っているつもりでした。ですが、今回智内さんの実演を通して、「これは現代芸術のあり方を考える上で、また日本人の心というものを考える上でとても大切な作品ではないか」という意を新たにしました。単音から雪が降り積もり様にして斬新な五度の積み重ね(五度+五度=十度、ド#・ソ#・レ#もしくはレ♭・ラ♭・ミ♭)が生まれ、その五度が波と雪の双方を象徴的に表現します。このダイナミックにして象徴的な表現方法はさながら北斎の版画の大胆な構図を彷彿とさせるものですが、何よりも私たちのハートに強く訴えかけるものがあります。震災という現実を超えて、東北地方に降り積もる雪の重み、自然が覗かせる峻厳な光景に染み渡って行く人の「心」。日本人であれば誰でも思い当たるそうした情景が音として結実する光景は感動以外の何ものでもなく、「日本人として生まれてよかった」という実感が何の衒いもなく湧いてきます。西洋で起こったモダニズムの意義を十分受け止めつつ、しかも私たちの心に直接訴える深い精神性が実現されていることは、私たちの文化においてとても重要な意味を持つと思います。智内さんの演奏は、この作品の持つ様々な魅力―左手のピアニズムの可能性、ダイナミズム、繊細な詩情、自然への崇敬と浸透性の神秘的な一致、震災という出来事への眼差しと被災者の方々に寄り添おうとする祈りの情感、日本的な奥ゆかしい美意識―を引き出した素晴らしいもので、会場も作品の誘う深い精神の息吹に包まれました。スタンウェイの豊かな残響の中に神業的にはめ込まれた五度の響きが忘れられません。名演でした。


 アンコールは、スクリャービンの前奏曲と夜想曲。智内さんが左手のピアニストとして生きるきっかけになったといわれる作品で、音楽にすべてを捧げるスクリャービンの途方もない情熱と決意が秘められつつ、おずおずと歩み寄るナイーブな叙情性が表現された傑作です。演奏の出来栄えと、会場のお客様が惜しみない拍手を送られたことは書くまでもありません。


 コンサートは、演奏家だけでなく、作曲家、聴衆も含めてそれに関わる人々の幾多の「物語」の結晶であると思います。そして、「左手」には私たちが全く知らない多くの物語、これから紡ぎだされる限りない物語があるのだということを知ることができました。智内さんは素晴らしい演奏をされるだけでなく、作品の紹介を通して多くの言葉を私たちに直接語りかけても下さいました。智内さんならではのリサイタルにコンサートの醍醐味を感じた一夜でした。



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(以下は、会場で購入した「左手のアーカイブ」の楽譜。他に智内さんのCD販売もありました!終演後、智内さんは会場に来られたお客様御一人御一人に声をかけられていました。写真は本日のプログラムの川上作品と近藤作品です。演奏者の智内さんと、お越しになられていた作曲者の川上さん、近藤さん双方のサインを頂きました♪ 大感激です☆)