演劇と音楽



――オペラでもミュージカルでもない――



そんな思いに心打たれ、去る6月12日、筆者は下北沢の北沢タウンホールにて開催されたアンサンブル室町の公演『帝国の建設者』に出かけてきました。



台本はフランスの作家ボリス・ヴィアンの遺作『帝国の建設者』。



和楽器+古楽器による音楽を担当されたのは気鋭の現代作曲家久木山直さん。



 ローラン・テシュネ芸術監督主催によるアンサンブル室町においては以前より、和楽器と古楽器のコラボによる「現代音楽」のコンサートが開催されてきましたが、今回はそこにもう一つのエレメント=演劇が加わります。


 和楽器と古楽器の抜群の相性に加えて演劇が持つアットホームなライブ感、台詞の室内楽的な音楽性。そうした特質が一体となって新たな総合芸術が繰り広げられるという期待と予感。


 会場には音楽関係から演劇関係双方の幅広い層のお客様が集われ、そのすべての観点からレポートすることは筆者の力量を超えることなので、ここでは筆者がとりわけ感銘を受けた点に限ってレポートさせていただきたいと思います。



さて、この公演において、筆者が感銘を受けたのは次の点でした。


それは音楽が「物語り」、そして俳優が「歌って」いたこと♪♪


『帝国の建設者』は幸福を求めて「建設」されたはずの現代社会の不条理を描いた戯曲ですが、今回の公演では全編に現れている状況の奇妙さ、登場人物の滑稽さが音楽と劇の双方によって巧みに演出されていました。


それは、ある小さな家族の物語。アパートに住む一家が太鼓の音が鳴るたびに怯え、上階に避難してゆくという奇妙な設定。「なぜ、避難しなければならないのか」「かつて住んでいた下階はどうなっているのか」そうした自然で当然の「問い」が封殺されながら「上の階に上がれば幸福になれるに違いない」と思い込まされ自由を求めながら破滅してゆく家族の物語です。これは現代社会の現状そのものとも言えそうですが、最終的に一人生き残った主人公は最上階で「人間は家具にすぎなかった!!」と絶叫して息絶えます。


この家族のそれぞれのキャラクターには独自のテンポ感があり、まるで音楽のように聴こえてきます。とりわけ主演の菊沢将憲さんのクライマックスの「演説」の迫力と異様さは台詞自体の錯乱した内容とも相まって極めて「音楽的」なものがありました。


他方で、琵琶やバロックギターによる独奏や合奏、太鼓の音などは象徴的な仕方においてでありながらこの登場人物たちが置かれている奇妙な状況を「雄弁に」物語ります。


 台本がすでに設定している状況そのものがすでに象徴的なものであり、説明的ではないためあたかも音楽が物語っているように聴こえるのでしょうか。もしも、この台本において「ナビゲーター」が存在するとしたら、実際それは音楽以外にはあり得ないでしょう。そして、和楽器と古楽器のコラボがこの独特の「語り」を一層豊かで雄弁なものとしているように筆者には感じられました。


 他にも、見どころ聴きどころは数多くありましたが、この独特の雰囲気は私たちが生きている社会の雰囲気であり、それを美として昇華することで「人間とは何か」「幸福とは何か」「愛とは何か」という問いかけへと私たちを自ずと誘います。過去の時代の名作をオペラハウスで聴いたり、話題のヒット作を観に映画館へ出かけるのとは根本的に異なるライブ感。この具体性こそが、芸術の本来の意味であり生命であるのかもしれません。



 アンサンブル室町の次回公演が待ち遠しいです☆





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