さて、筆者は去る9月8日(日)に東京芸大で開催されている芸祭に足を運んできました♪


 日本中から集ったアートの俊英たちがその才気でどんな華を咲かせてくれるのか、とても楽しみに出かけてきました♪♪


 とは言うものの、3日間に渡って開催された祭典のすべてを観、ご報告することは到底できません。今回は筆者が8日午前中に拝聴した「作曲科(2年生による)試演会Ⅱ」の一部の模様をレポートしたいと思います。


日本の作曲界の未来を担う若者たちが、今何を考え、どのような音を生み出しているのか、それを直接知ることのできる又とないチャンス。筆者にとっても本当に魅力的で刺激的な体験でした♪♪♪


 開演時間を迎え、平野真奈さんが代表としてお客様に挨拶をされ間もなく演奏が始まりました。最初に演奏されたのは向井航さんの「In Paradisum」です。


「In Paradisum」とラテン語のタイトルを聴いて筆者がまず連想したのはフォーレのレクイエムの同名の終曲。その名の通り現世にとっては桃源郷である彼方に存する「楽園」への憧憬を謳った名曲ですが、プログラムノートによるとこの作品は伊藤若冲の絵を元に作曲されたとのこと。タイトルから連想するヨーロッパ的な楽園のイメージがそのまま日本庭園に移されたかのような甘美で優雅な音楽でした。


八つ橋検校の六段の引用から「これまで決して交わることのなかった楽器」笙、筝、ヴィオラ、チェロが互いにハーモニーを創り出しながらゆっくりと求めていた楽園に落ち着いてゆく情景は聴いていて本当にうっとりするものがありました。作曲者の向井さんご自身が指揮を務められましたが、この年齢とは思えない落ち着きと気品があり、この方面でも頼もしい限りです。



 二曲目は長谷部瑞希さんの「循環――尺八、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための――」。今回拝聴させて頂いた中で筆者が最も美しいと感じたのはこの作品です。


先ほどの向井さんの印象的な曲とは異なり、楽器編成にはまるで第一ヴァイオリンを尺八に代えた弦楽四重奏のような選び抜かれた厳正さが感じられ、音楽も緊張度の高い抽象的な内容。そのため確かに作品の世界観が直ちに聴き手に理解されるものではなかったかもしれません。しかし、少なくとも筆者はその隙のない言わば一切の駄弁を排した洗練された美意識に打たれました。


長谷部さんのプログラムノートによれば、この作品は「日常に隠された多様な循環運動」を抽象的な表現媒体である「音」を通して表現されたものだそうです。日常に忙殺される現代人にとって、太古の人々がそうであったように宇宙や自然との繋がりにおいて生の意味を実感することはなかなか難しいものですが、そうした芸術の根源的な意味と現代性を問いかける意図も感じました。


 いずれにしても、作曲に生きる若き魂がこれほどまでに芸術に対して熱い思いを持ち、それを具体的な「美」として実現しているということに対して筆者も大変感銘を受けました。カルテット相互の対話も決して「なあなあ」なものになることがなく、互いに響きの意味を確かめ合うように丹念に織り上げられるハーモニーはただただ美しいとしか言いようがありません。この作品を通して表現されていた「循環運動」とは本当は長谷部さん自身の崇高な美への憧れと妥協を許さない情熱のことだったのかもしれません。尺八が息を吐き出しながら無へと還って行く終わり方もとても感動的でした。


 三曲目は沖田瑠璃子さんのピアノソナタ嬰ト短調です。筆者はこれまで「嬰ト短調」のピアノソナタというものをスクリャービンの2番のソナタ以外には聴いたことがなく、それだけでも「どんな作品なのだろう」とわくわくしていました。スクリャービンの先入見もあってかかなりヴィルトゥオーソなロシア的な作品かと思いましたが、実際に聴いてみると形式感はラフマニノフやスクリャービンよりはどちらかというとより古典的であったため、筆者にはバーバーやウォルトンの音楽のような印象も受けました。


 沖田さんの音楽性の素晴らしさは非常にオーソドックスな和声感や形式感に則りながら、端正に音楽を織り上げていく純真さにあると思いました。イングリッシュガーデンに象徴されるような文学的で清浄かつ幻想的なイメージとも言えましょうか。『カラマーゾフの兄弟』というよりは『嵐が丘』。ラフマニノフやとりわけスクリャービンにあるような「危険」な感じは一切なく、むしろ女性的な清潔感や真摯さがふつふつと伝わってきます。奇を衒うよりも、セオリーに徹する方がより表現の可能性が広がっていくような、そんな印象も受けました。一緒に聴いた友人たちからは、「沖田さんの曲が良かった」という声も多くあり、すっかり「ファン」になってしまった様子も伺えました。そもそも芸大の作曲科というと「前衛」というイメージが先行しがちですが、芸大生の実力と共に古典的なスタイルでの作曲もこのような舞台においては大いに魅力的であることがわかります。


 4曲目は釡賀隆寛さんの「とあるJ-pop歌手へのオマージュ」。その名の通り、作品自体もかなりポップな感覚によって作曲されており、ピアノのポップな抒情性に対して管楽器が様々な「反応」を見せることで全体として独自のポップ感を醸し出していました。


釡賀さんの作品については、筆者は現代の大学生らしいナイーブな印象を受けました。彼らの世代の気持ちを釡賀さんがその巧みな作曲技法において代弁している感じでしょうか。以前、聴いた釡賀さんの作品はこれとは全くことなる曲想で実に芸術的で美しい作品でしたので、釡賀さんにこのような一面があることを今回知ることができ、なんだか得した気分でした!


 5曲目は平野真奈さんのマリンバソロのために「Marinba Evolution」は、本当に素敵な作品でしたね。作曲者のユーモラスな一面も非常に良く現れていましたが、演奏された廣政志さんの情熱も見事でした。マリンバ独特の世界観とリズム、響きの面白さがとことん追求されていて、演奏者の情熱と一体となって作品が織り上げられていく様子が目に見えるようでした。


 平野さんの音楽の素晴らしさは、平野さん自身が新たなもの未知なものにチャレンジされる中でその都度「彼女自身」を再発見しているような、そんな新鮮な音楽の喜びが作品からとても良く伝わってくることです。様々な感情、神秘性、どこまでも広がって行く熱い思い、そうした彼女の極めて豊かな芸術性が今後どのように発展していくのか、筆者もとても楽しみです。


 続いて6曲目、と行きたいところなのですが、筆者は午後のコンサートの整理券を獲得するために席を立たなければならず、ここで断念。最後まで聴いた友人たちによれば、石坂真帆さんのCavefishes(洞窟魚)がとても気に入っていたらしく後でお昼を食べているとき「カーブフィッシュ!カーブフィッシュ!!」と叫ぶ友人たちが最初何のことを喋っているのか、注文のことなのかさっぱりわからず、筆者は大いに困惑しました。



 いずれにしても、若い作曲家たちによる新しい作品を聴くことができ、大きな刺激を受けたことは言うまでもありません。最後まで聴けなかったのは残念ですが、きっとまた機会があることでしょう。若き作曲家たちと共に、私たち自身もまた多くのことを感じ、考えながら、また再びコンサートで出会えることがとても楽しみです。


$アートと音楽~クラシック音楽航海日誌~