今年6月に東京文化会館で開催されたヘレヴェッヘのモーツァルトプログラム。モーツァルトの後期の交響曲とレクイエムを一晩で聴くという注目の公演。筆者にとっても生涯忘れられない演奏会となりました。






まず、この演奏会、ユニークだったのはアンコールを前半にやってしまったこと。この日の前半は「プラハ」でしたが、アンコールはなんと「ジュピター」のフィナーレ。(あんなにティンパニーを鳴らしていいのかというハイテンポの快演でした。)その後レクイエムが後半に厳かに演奏されるという筋書きです。








さて、そのレクイエムですが、本当に素晴らしかった。ただただ美しい演奏でした。正直言うと、前半の「プラハ」はやはり古楽器でやる意味が解らないというか脆弱な印象をぬぐいきれず、ジュピターの苦し紛れのハイテンポも文化会館の大ホールという舞台において「鳴らす」にはほかに方法がないためとしか思えませんでした。








しかしながら、ヘレヴェッヘのレクイエムを聴いていると、古楽器の弱点がほとんど感じられないばかりではなく、作品の根底に流れる宗教性があたかも水が流れるように晴朗なサウンドとなって心に響きます。また、そのドラマ的な組み立ての見事さからこの作品が「未完成」ではなく「完成」されているという思いにも強く打たれました。








ヘレヴェッヘの指揮ぶりは間近に接すると見た目にはどことなく野暮ったいというか、お世辞にも「カッコいい」という感じではありませんでしたが、その指揮ぶりから彼の精神性と熱情がジリジリと地熱のように伝わっていつのまにかこちらも作品の世界に没入しているのだから不思議です。この指揮者が如何に深く作品の内面的な精神性に通じているのかがわかりました。ヘレヴェッヘは敢えて奇をてらうことなく、モーツァルトの最後の大作をヨーロッパの宗教音楽の精神性に根差したものとしてその浄化された境地を私たちに示してくれたのです。








拍手は割れんばかりで最後にアヴェ・ヴェルム・コルプスが演奏され、純真無垢な新たな生の始まりを予感させつつ、コンサートは幕となりました。






生の浄化としてのレクイエム。






ヘレヴェッヘのレクイエムを一言で言い表すとすれば、筆者にはそれ以外思いつきません。






Mozart;Requiem/Mozart



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