「時代がプロコフィエフに追いついた!!」
このようなフレーズが全く自然に響く今日この頃。
筆者が少年の頃はまだプロコフィエフというと「変な曲」「難解な曲」というイメージが強くそれほど演奏会でも採り上げられませんでしたが、現在は若い音大生たちもこぞって「プロコ」を弾いています♪
今日もどこかできっと、、、♪♪♪
それはともかく、所謂「クラシック」の初心者にとってプロコはまだまだとっつきにくい印象もあるかもしれません。
それは彼が古典的なスタイルをしっかり守りながらも、そこに独自の半音階的な副旋律を重ね合わせるところに由来します。
要するに、モーツァルトやベートーヴェンに聴きなれている耳からすると「なんでそんな変なことするの?」ということになるわけです。
しかし、プロコフィエフは決してそんな得体のしれないような分かりにくい作曲家ではありません。音楽的なアイディアも非常に単純で一件複雑でも実にシンプルな「仕掛け」から成り立っています。
彼の作曲家としての真骨頂は、あくまでクラシックの「古典」のスタイルやロシア伝来の詩的直観をそのまま継承しながら、それを現代人的なコラージュ感覚で自由自在に切り張りするそのイマジネーションの豊かさにあるからです。
プロコ・マジック
ともいえそうな最小限から最大限を生み出すその巧みさはまさに聴く者を虜にし、極めて耳に心地好いものです。
そして、とりわけ今、プロコフィエフの時代が到来しているのだとすれば、その一番の理由は明らかでしょう。
つまり、ブラームスやショパンらのロマン主義を代表とする所謂クラシックのレパートリーは現代人からするとまじめすぎるというか、少し暑苦しい(苦笑)
そこを少しオドケて距離を取って自由自在に語るその語り口が、現代人からするとたまらなく「カッコいい」のです!!
プロコがウケている理由はこれに尽きていると言っても過言ではなく、このことは自らの言語を持たず、過去に依存しつつもそれを自在にコラージュすることで「自分」を表現する忙しい現代人を表徴しているかのようです。
ですが、プロコフィエフにはショスタコーヴィッチなどにはない文学的で極めて詩的な繊細さがあり、非常に奥深い抒情を覗かせることも事実です。
ふたを開けてみると、それほど深い内容は持っていないようにも思え、たとえばシェーンベルクなどの同時代人とは同格にはできないと思われますが、それでも第一級の作曲家であることは間違いないそういう意味では不思議な存在。
個人的には、ピアノソナタやヴァイオリンソナタ、「三つのオレンジへの恋」、ロミオとジュリエットも名作だと思いますが、何といってもロストロヴォ―ヴィッチに捧げられたチェロコンチェルトが最高傑作だと思いますが識者のみなさま如何でしょうか?
まだまだ極めつくされていないプロコの世界を今年はたっぷりと堪能できそうでとても楽しみです♪