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2019-5-26の桜島観光の記事になります。
2019年5月26日
桜島港から、桜島の北側を走る市営の路線バスに乗り、黒神中学校前で下車しました。
ここには、黒神埋没鳥居を観光するためにやってきました。
大正3(1914)年の桜島大噴火で噴出した大量の火山灰・軽石は、上空8000m以上まで上昇し、火山灰は遠くカムチャッカ半島まで飛んでいったそうです。
そんな大正大噴火の猛威を如実に物語るものが黒神埋没鳥居です。
現在は、火山灰に埋もれてしまって、絶対にくぐることが出来ない鳥居となってます。
埋もれているのは、黒神地区にあった「腹五社神社」の鳥居です。
大正の大噴火で、たった1日のうちに軽石や火山灰に埋め尽くされました。
もともと高さ3mあったという鳥居ですが、今は笠木部分の約1mを地上に見せるだけとなっています。
当時の様子がわかる写真も展示してありました。
埋まった直後の鳥居の写真ですね。
大正の大噴火では1ヶ月にわたって計30億トン以上もの溶岩が噴出し、神社のあった黒神村全687戸も同時に埋もれてしまいました。
噴火がおさまった後、住民達は神社の神聖な鳥居を掘り起こそうとしたそうです。
しかし、当時の村長「野添八百蔵」氏が、「後世に噴火の記憶を残そう」と決断し現在に残されているのです。
鳥居を潜って(間違えました、避けてですね)参道を先に進むと・・・・・
黒神中学校の渡り廊下が交差しています。
中学校のすぐ近くにあるため、毎朝始業前に全校生徒で黒神埋没鳥居のボランティア清掃活動をしているそうです。
大噴火にも耐え、奇跡的に生き残ったアコウの老樹もしっかりと根付いてました。
外観は質素な本殿です。
開いている扉の中を、ちょっと覗いてみましょうか。
中は・・・・・、奥行きもあって意外と広いです。
参道の脇には、いろんな社も祀られていました。
よく見たら、左手に子供を抱いているではありませんか。
右手は・・・・巾着袋!?、それとも桜島大根!?
違うかな~
ジオを体感できる場所の掲示板も!!
防災新聞もパネルになって、避難三原則を呼び掛けてます。
桜島の誕生物語もパネルになっています。
いいえ、パネルの写真でした。
でも、そんな時は退避壕があるんですよ。
退避豪には小窓があって・・・・・
埋没鳥居の方が見えるようになってました。
最近では、荒天時を想定して、バス島外避難訓練もされているようです。
日頃から、避難訓練をしておくことは大事ですよね~
黒神埋没鳥居は、これからも大噴火のすさまじさを後世に伝え続けていくことでしょうね。