何か起こった出来事は、ただの事象であって、そこに意味を付けているのは、自分。

 

解釈次第で良い出来事にも悪い出来事にもなる。

 

だから色眼鏡で世界を見ていることを認識して、その色眼鏡を疑う事も時には必要である。

 

すべては最善、そう思えば見方を変えることが出来る。嫌だと思ったことも、自分にとってプラスになる出来事だと解釈することも出来る。

 

これが、リフレーム。

 

 

先日、とても悲しいことがあって、凹んでいた。

良かれと思って起こした行動が、相手にとっては不快だと思われてしまった。

 

最初は自分の意識に焦点が当たっていて、《お節介だと思われた。嫌われてしまった。不快って言われて傷ついた。》という具合に、相手を敵認定してしまい、自分を被害者に仕立て上げていってしまう。

 

ふと、すべてが最善だとしたら、今回の事にどんな良いことがあるんだろうと俯瞰してみた。

 

《相手の立場に立って説明が出来ていなかった。自分の伝え方を変えればよかった。もっと相手に寄り添ってあげればよかった。》と課題が沢山見つかった。

 

すると、不快だと言ってくれた相手に感謝することが出来た。

相手の心のゆとりの無さから、受け取りエラーだった可能性もある。

今後はもっと相手の立場になって言葉を選んでいこうって気持ちを切り替える事が出来た。

 

たしかに、そう思うとすべては最善。

 

脳の使い方や、物事の見方を変えるだけで

結果がこんなに変わってくる。

 

講座に入って、本当に良かったと思う事例になった。